灰剣
翌日。
ギルドの空気は、どこか妙だった。
「おい、見たか?」
「あの新人、また変異種倒したらしいぞ」
「しかも素手で止めたって話だ」
酒場の隅や受付前で、
そんな声が飛び交っている。
だが。
誰も“黒の英雄”なんて言葉は口にしない。
ただ。
“得体の知れない何か”を見るような視線だけが、
ナナシへ向けられていた。
「……居心地悪ぃな」
ナナシが小さく呟く。
「変異種二体も倒しゃ当然だ」
ガイルが笑う。
「むしろ今まで通りの方がおかしい」
「私はまだ信じられませんけどね……」
リナが苦笑する。
セラだけは黙ったまま、
周囲を観察していた。
その時だった。
ギルドの扉が開く。
中へ入ってきたのは、
十数人の集団だった。
白銀の外套。
統一された重装備。
胸元には、王国の紋章。
先頭を歩いているのは、
屈強な男達。
歴戦だと一目で分かる。
腰の剣。
無数の傷跡。
放たれる空気だけで、
並の冒険者ではないと理解できた。
だが。
その男達ですら、
先頭の女には半歩下がっていた。
灰色の短髪。
鋭い目。
腰には細身の剣。
静かな足取り。
だが。
彼女が一歩踏み入れた瞬間、
ギルドの空気が変わった。
「あれ……」
誰かが息を呑む。
「嘘だろ……」
「“灰剣”のリゼリア……」
小さな呟き。
だが。
その名前だけで、
場の空気が張り詰める。
「王都最強の……」
冒険者達の顔色が変わっていた。
ガイルですら、
わずかに目を細める。
「……マジかよ」
リゼリアは周囲を気にした様子もなく、
静かに口を開いた。
「王国特級討伐部隊団長、
リゼリアです」
静かな声だった。
「レイヴン周辺で発生した変異種について、
調査へ来ました」
その瞬間。
ギルド内がざわついた。
「団長……?」
「おい待て、
灰剣って特級討伐部隊の頂点だろ……?」
「王都案件が、
レイヴンまで降りてきたのか……?」
カウンター奥から、
バルドが姿を現した。
「王都が動くとは思ってたが……
“灰剣”本人が来るとはな」
低い声。
リゼリアは軽く頷く。
だが。
次の瞬間。
彼女の視線が、
ナナシで止まった。
正確には——
その仮面で。
リゼリアの動きが止まる。
空気が変わった。
数秒。
彼女は、何も言わなかった。
ただ、
信じられないものを見るように、
ナナシを見つめている。
そして。
小さく、声が漏れた。
「……そんな」
その瞳が、大きく揺れる。
一歩。
ふらつくように前へ出る。
「……まさか」
震える声。
「し、師匠……?」
ギルドの空気が凍りついた。
「……は?」
「お、おい……
今、“師匠”って……」
「灰剣のリゼリアが……?」
冒険者達がざわめく。
あの冷酷で有名なリゼリアが、
涙を浮かべていた。
「……変わってない」
リゼリアが、
震える声で呟く。
「顔も……
声も……」
信じられないものを見るみたいに、
ナナシを見つめる。
「本当に……
あの頃のままだ」
ナナシは眉をひそめた。
目の前の女に、
見覚えはない。
だが。
なぜか胸の奥が、
妙にざわついていた。
「……悪いが、
会った覚えはない」
その一言で。
リゼリアの表情が、
苦しそうに歪んだ。
だが。
彼女は小さく笑った。
「……そう、ですよね」
どこか、
寂しそうな笑みだった。
「十五年も経ってるんですから」
静かな声。
「それに……
師匠は昔から、
無茶ばかりする人でしたし」
その拳だけが、
わずかに震えていた。
周囲は完全に混乱していた。
「おい、どういうことだ……?」
「師匠ってなんだよ……」
ガイルですら、
言葉を失っている。
その時だった。
「……場所変えるぞ」
低い声。
バルドだった。
鋭い視線で周囲を見渡す。
「聞かれたくねぇ話が多すぎる」
誰も反論しなかった。
ギルド長室。
重い扉が閉まる。
部屋の中には、
バルド、リゼリア、ナナシ、
そしてガイル達だけがいた。
しばらく、
沈黙が流れる。
リゼリアはまだ、
ナナシから視線を外せないでいた。
まるで。
消えたはずの存在を、
まだ信じ切れていないみたいに。
だが。
バルドが低く口を開く。
「積もる話は山ほどあるだろうが、
今は後だ」
その声で、
空気が引き締まる。
バルドは机の上へ、
黒い結晶を置いた。
「まずは、
この結晶について話せ」
リゼリアの表情が変わる。
一瞬で、
仕事の顔へ戻っていた。
「……はい」
だが。
その視線だけは、
今も時折、
ナナシへ向いていた。




