黒い門
ギルド長室には、重い沈黙が落ちていた。
誰も、すぐには口を開けない。
「……英雄、ねぇ」
最初に沈黙を破ったのはガイルだった。
「そんなの、おとぎ話だと思ってたんだが」
「実際、半分は伝承みてぇなもんだ」
バルドが低く返す。
「記録もほとんど残ってねぇ」
「残ってるのは、“一人の黒髪の男が災害を止めた”って噂だけだ」
ナナシは黙って聞いていた。
胸の奥が、妙にざわつく。
だが。
思い出せない。
何一つ。
「当時、王都の外に突然“門”が現れた」
バルドが静かに続ける。
「そこから、見たこともねぇ化け物が溢れ出した」
「騎士団も、冒険者も、まともに歯が立たなかった」
部屋の空気が重くなる。
「三日で国の半分が壊滅したって話だ」
リナの顔が青くなる。
「そんなの……」
「しかも厄介だったのは、数だけじゃねぇ」
ガイルが眉をひそめる。
「……親父から聞いたことある」
「魔王災害の化け物は、普通の魔物と違ったってな」
バルドはゆっくり頷いた。
「普通の魔物とは別物だった」
「傷が塞がる奴、魔法が効かねぇ奴、街一つ吹き飛ばす化け物までいたらしい」
そして。
バルドの声がさらに低くなる。
「……だが、一番ヤバかったのは別だ」
部屋の空気が張り詰める。
「当時の生き残りは皆言ってた」
「魔物たちが、“何か”に従っていたってな」
「そして、“黒い門”の奥には、桁違いの魔力反応があったらしい」
リナが息を呑む。
「じゃ、じゃあ……」
「だから当時の連中は、それを“魔王”と呼んだ」
沈黙。
「誰も姿は見てねぇ」
「だが、英雄が門へ消えた後、災害だけが終わった」
バルドが苦々しく吐き捨てる。
「だから今でも言われてる」
「——魔王は、本当に死んだのかってな」
ナナシの背筋を、嫌な寒気が走った。
知らないはずなのに。
その言葉だけが、妙に胸へ引っかかる。
「その英雄って、結局どうなったんですか?」
リナが恐る恐る尋ねる。
「消えた」
バルドが短く答える。
「災害が終わった直後、突然な」
「死んだとも、生きてるとも言われてる」
「ただ——」
そこで、バルドの視線がナナシへ向く。
「その後、黒い結晶も姿を消した」
セラが険しい顔をした。
「つまり、今回の件は……」
「十五年前の再来かもしれねぇ」
ガイルが頭を掻く。
「笑えねえな……」
その時だった。
ズキッ——
また、頭の奥が痛む。
ナナシが眉をひそめる。
嫌な汗が流れる。
知らないはずなのに。
胸の奥だけが、
“思い出すな”と警鐘を鳴らしていた。
「また頭痛ですか?」
セラが静かに聞く。
「ああ……」
ナナシは額を押さえる。
「記憶みたいなものが見える」
部屋の空気が変わった。
ガイルが真顔になる。
「どんなだ」
ナナシは少し迷う。
だが、隠しても意味がない気がした。
「赤い空とか、崩れた街とか……」
「銀色の髪も見える」
その瞬間。
バルドの目が細くなった。
「銀色……?」
ナナシは頷く。
「誰かは分からない」
「でも、妙に胸が苦しくなる」
沈黙。
すると。
セラが静かに口を開いた。
「それ、本当に記憶なんでしょうか」
全員の視線が向く。
「……どういう意味だ?」
ガイルが眉をひそめる。
セラは少し考えてから続けた。
「ナナシさんの力は、普通の魔法と違います」
「普通、魔法には過程があります」
「詠唱、魔力操作、発動」
「普通は、その過程が必要です」
「ですが、ナナシさんの力には、それがない」
「気づけば、“結果だけ”が起きているんです」
部屋が静まり返る。
「炎も、身体強化も、剣技も……」
「まるで、“そうなる”ことが最初から決まっていたみたいに」
ナナシの背筋に、冷たいものが走る。
「……何が言いたい」
セラは真っ直ぐナナシを見た。
「その光景も、“思い出している”というより——」
「力が、無意識に再現しているのかもしれません」
その言葉を聞いた瞬間。
ナナシの背筋を、嫌な寒気が走った。
まるで。
ずっと前から、
その事実を知っていたみたいに。




