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いちばん左に配置された兵が、風を送ってそれを拡散させる。
その間にもオリアーヌは、横向き十ガター程度の間隔で次々と茶色の粉の出現を続けた。すべておよそ二十ガター先という位置なので、オリアーヌを中心とした円弧を描くような要領になる。
粉が出現し、風加護の兵が順にそれを撒き広げる。その間に、次の変化が起きた。
新しく配置された兵が片手を差し伸べるや。
最初に粉を送った左真横の位置に、ブワア、と音が聞こえそうな勢いで大きな炎が燃え上がったのだ。
「うわ!」
初めて見る伯爵だけが、驚愕の声を上げた。
炎は空中で、幅十ガター以上にも広がった見当か。
それが、次々と横向きに続く。
円弧状の位置に粉が出現、風で拡散し、炎で引火する。
瞬く間に、強い炎が地上に舞い落ちる。
それが、右真横の位置まで次々と続いた。
今回は剥き出しの地面があるだけなので、すぐに火は消えていく。
最後の火が消え、一同の沈黙が暫時続いた。
ううむ、とやがて伯爵の口に呻きが生まれた。
「これは、凄い。あの位置に敵兵が迫っていたら、先頭は瞬く間に全滅か」
「確実に命を奪うまでいかなくとも、髪や衣服に引火してしばらく戦闘不能になる程度の効果はあると存じます。先日野兎を連れてきて試したところ、治癒にしばらくかかるほどの火傷を負わせることができました。また今の結果で、先頭から三列目程度の兵までは同様の被害を与えることができると存じます。先ほどの位置に隙間なく兵が殺到していれば、おそらく百名を超える死傷者が出るものかと」
「何と」
司令官の説明に、なおも伯爵は唸り続けている。
首を捻りながら、オリアーヌの足元の袋に目を向けた。
「それは、さっきのオガクズというものだな」
「はい。細かい粉状にしたオガクズは、ご覧の通り激しく引火しやすい性質があるようです」
オリアーヌは頷いて答える。
なるほどのお、と老貴族は先刻から唸りっぱなしになっている。
「こんな強力な攻撃法は、初めて目にする。当然オリアーヌ嬢の能力がなければ実現しないのだから、誰も思いつきようがなかっただろうな」
「だと思われます」
「――いや、しかし。先ほどのアヒイを用いた攻撃は、ミニョレー伯爵の前で使って見せたということではなかったか」
「本人の目の前ではありませんが、はい」
「それでもそうすると、アヒイについては知られている。この炎の方法についても、考えれば思い至るかもしれぬのではないか」
「閣下、発言してもよろしいでしょうか」
「うむ」
エテュアンが頭を下げて声を入れた。
それに、伯爵は鷹揚に頷き返す。
「旧子爵領領都に潜ませました間諜からの報告によりますと、どうもあそこの砦には、オリアーヌ様が伯爵領領都でなさったことの顛末の情報が入っていないようなのです」
「そうなのか?」
「はい。オリアーヌ様が倒したという龍についても、何かのまちがいで山へ逃げ戻ったというふうに囁かれているだけで。ランベール様が奪還されたという事実も、こちらにはまったく伝わっていないようです」
「何と……な」
伯爵は、腕組みをして考え込んでいる。
ジョフロアが首を傾げて、訊ねかけた。
「考えられないことですよね。軍事的に重要になりそうな情報が、この最前線の砦に届いていないなど」
「……あり得なくもないのかもしれぬ」
「そうなのですか?」
「砦で指揮を執るドーヴェルニュという司令官は、伯爵の親類に当たる。直系には劣るものの爵位の継承権も持つはずだ」
「はい」
「ああした独裁者のような領主などにありがちなのだが、下の者に自分の失態を知られたくないのではないか。自分の地位を脅かす可能性のある者に対しては、なおさらだ」
「ああ、ありそうですね」
「オリアーヌ様の能力を知っても、まさかすぐにご本人が先頭に立って攻め入ってくるまでは、想像もしていないのかもしれませぬな」
「さもあらんな」
デフォルジュの付言にも、伯爵は頷き返した。
エテュアンも大きく頷き、話を続ける。
「そういうことであればなおさら、この作戦を用いた侵攻は早期に行うべきと存じます。砦まで情報が届いて準備されないうちに」
「そういうことになりそうだな」伯爵はゆっくり頷いた。「雪解け頃に向けて準備を進め、直前にはさらに情報の確認をせねばならないだろうが。それで問題なしと判断できれば、最大限オリアーヌ嬢の安全を図るという条件下で、許可しよう」
「オリアーヌ様には、ただ今全身を覆う金属製の鎧を作らせております。かなり重いものになりますがそれを着用の上、荷車のようなものに乗っていただいて進軍にお加わりいただく計画です。これで万が一の場合にも、流れ矢で負傷することも防げるものと考えます。それでなくとも進軍に合わせていただくためには乗り物が必要ですし、鎧で動きがとりにくくなるのはほぼこの計画の妨げにならないと存じます」
「なるほどな」
「その上で閣下、我が伯爵領軍からさらに数百名程度、この百名の進軍に少し遅れて追う形をとるのはいかがかと。万が一の場合数名はオリアーヌ様を連れてこの後続隊に逃げ込むようにしておけば、いっそう安全は担保できるかと思われます。また砦を奪うことに成功した暁には、その後の護りなどに人数が必要になります」
「うむ、もっともな話だな。よく吟味検討しよう」
「は」
エテュアンの説明に続くデフォルジュの提案に、伯爵は頷いた。
司令官と領主で、何度も頷き合っている。
そこへ、オリアーヌが声をかけた。
「もう一つ、なのですが。この進軍にはランベールも伴いたいと考えます。もう少し様子を見てのこととはなりますが」
「何? ランベール君はまだ七歳であろうが。戦に連れ出すには早すぎると思うぞ」
「春先には、八歳になります。加護を受けることのできる年齢ですね。お話ししたようにこのランベールには『豪火』の加護が得られると予想されています。もしその加護が得られれば、先ほどの炎の攻撃の際にふつうの火の加護の者よりも効率的、強力に引火が実現できると思われます」
「ううむ」
「効率だけではありません。何よりも領地を奪還するための戦なのですから、次期領主のランベールが圧倒的な加護の力を見せれば、敵味方の兵や領民たちへの印象は大きく決定づけられると考えます」
「なるほどな」
姉の隣で、ランベール本人も真剣な顔で頷いている。
すでに姉弟で話し合い、覚悟は定まっているのだ。
「しかしこれは、重大な決断だ。オリアーヌ嬢だけでも少数軍の先頭に立つなど本来ならとんでもない、狂気の沙汰と判ぜられるところだ。まだ幼い貴族後継者をそこに加えるなど、過去例がないわけではないかもしれぬが、まずあり得ようがない。十分な検証が必要であろう」
「はい、決断までにはまだ時間があります。春になって加護の結果を確かめ、その上で十分検討を重ねたいと思います」
「私は是非とも、進軍に加わりたいと思います。戦の場で、必ず姉を護る所存です」
「はは、頼もしいな、次期子爵殿は」
ランベールの幼い声の意思表明に、居並ぶ者たちの口元がほころんだ。
そうしてから伯爵は暫時黙考し、小柄な令嬢の乗馬服姿を見直した。
「しかし、まだまだこの作戦には検証が必要であろう。先ほどの方法で敵軍数百名程度を破ったとしても、砦の中にはまだ二千名を越える兵が残っていると考えられる。それらが続けて攻め出てきたら同じ要領で対処できるのかもしれぬが、そのまま籠城に転じられたら難儀することになろう。かの砦と防壁はすでに、こちら南に向けてかなり堅牢に築かれていると聞く。籠城に関しても遺漏はないと思われる」
「そう聞いています」
「では、どうするのだ」
「籠城は、させません」




