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やはりその周囲に、異状は窺えない。
晴天の草原で、緑がぼやけ輝くばかり。
その向こうで、敵の軍がゆっくり前進を再開した。
すぐに転げ回る百名近い兵たちに近寄り、数名が進み出てそれらを脇へ押しのけた。数兵は剣で命を絶たれているか。
間に空いた隙間を、整然と全軍が行進してくる。なおも続く弓矢の迎撃を、先頭の盾で受けきっている。
「続け! 敵をこれ以上前進させるな!」
「はっ!」
「全軍で迎え討て!」
「おお!」
さらに数十名が、剣を構えて駆け出した。その後ろに、絶え間なく兵が続く。
まだ砦内の全軍は半数も出てきていないが少しずつ補充がされ、このまま数百名は殺到できるはずだ。
それが、また。
先頭が敵まで五十ガターを切ったか、というところで。
「ぎゃあーーー!」
「うがあーーー!」
次々と目鼻を押さえ倒れ伏していく。
後ろから続く者も、同じ辺りまで達したところで同様の次第となる。
目に見えない壁でもあるように、同じ付近で何か攻撃を受けたかという反応だ。
壁――。
「何だ、あれは?」
目を凝らして。先刻より距離が縮まったので、中隊長の目に認められるものがあった。
倒れ伏す兵たちの前に、何か緑のものが散り漂っている。それを顔に浴びて、兵たちはもんどり打っているようだ。
さらに続く兵が、倒れ伏す味方の間を縫うように前に出る。
その顔前に、改めて緑のものが散り広がった。
「ぎゃあーーー!」
「うがあーーー!」
たちまちその兵たちも、地に転がる。
構わず、敵軍は前進を続ける。
次々と殺到する兵たちが、同じくらいの距離の場所で倒れていく。
敵の前進に合わせて、味方兵の倒伏場所もこちらに近づいてきた。
それがやがて、跪く弓隊の位置まで達し。
「ぎゃあーーー!」
「痛えーーー!」
さらに緑が散って、弓を持つ兵たちも昏倒していた。
剣を持つ兵たちも次々倒れ、その位置がますますこちらの集結場所まで近づいてくる。
近づいて、さらに明らかとなってきた。先頭の兵が駆け寄ると、その面前に突然、緑の粉状のものが出現する。次の瞬間、それが周囲に散り広がる。
どうも目や鼻に刺激を与える粉のようで、兵は全員例外なくのた打つ結果となっている。
粉の突然の出現は、訳が分からない。しかし次の散り広がりは、原因が察せられた。
敵軍先頭で盾を持つ数名が、片手を差し伸べている。おそらく風魔法の加護を持つ者だろう。出現した粉を、兵たちの鼻先まで吹き散らしているのだ。
少しでも状況が分かれば、対処のしようはある。
中隊長は指示の声を上げた。
「もっと大勢で横に広がり、一斉にかかれ! 目を狙われているぞ、手で覆って防ぐのだ!」
「おお!」
二百名を超える軍勢が横に広がり、敵軍を囲むべく半円状の形態をとり出した。
敵の先頭まで、百ガターを切る。
ますます味方の陣形が定まり、距離を縮めていく。
ふと中隊長の目に、敵の変化が認められた。
先刻も気づいたが、盾を並べたすぐ後ろに数台小ぶりの荷車らしきものがあるようだ。弓矢攻撃がなくなったと見て盾が引かれ、二台の荷車が見えてきた。それぞれに、全身金属の鎧を装備しているらしい小柄な人間が乗っている。
味方の先頭が、囲みを縮める。
その距離、五十ガター程度まで迫ったか。
指示の通り兵たちは手で目を覆い、粉の出現に備えている。
じりじりと迫り。
次の瞬間。
粉が、現れた。
しかし、さっきまでと様相が異なる。
出現場所は兵の先頭より少し先、それも人の背丈より上付近だった。しかも緑ではなく、茶色がかって見える。
半円状に囲みを作る兵たちの前、向かって右から左へと間隔を置いて少量ずつ次々と同様に出現していく。
それが散り広がり、舞い落ちる。それだけではほとんど、兵の顔に届かない。
続けて、風魔法が使われたようだ。茶色の粉が吹き上げられ、兵たちに近づく。
兵たちは盾と剣を持つ腕で顔を覆い、その接近に備える。
そのとき、突然だった。
ぶわあ、と音が立つほど勢いよく、空中の粉が火に包まれていた。
それがそのまま、兵たちに襲いかかっていった。
「うわああああーーー!」
「あちちちちーー!」
腕で顔を覆っただけでは間に合わず、衣服まで引火した格好の兵たちはその場に転げ回った。
敵軍がゆっくり前進し、その攻撃がくり返される。
「ぎゃあああーーー!」
「あちちちちーー!」
次々と炎を浴びせられ、味方兵は陣を崩していく。
瞠った、中隊長の目にも見えてきた、
粉の出現は、変わらず訳分からない。
それが散り広げられるのは、風魔法だろう。
それに続けて、荷車に乗った小さな人物の一人が、片手を伸ばす。
次の瞬間、茶色の粉が炎に包まれる。
火魔法、だろう。
そう思い、中隊長の頭にさらに連想が繋がった。
「豪火」
自分たちの主たるミニョレー伯爵がリュシドール子爵の跡取り息子を連れ去った、その理由となった加護だ。
ふつうの火魔法ならあの茶色の粉に何回にも分けて着火していくのがやっと、使う者によってはあの距離まで届かないかもしれない。
しかしあの小さな人物が放つらしい火は、半円状に囲む兵たちの前、一気に端から端まで続けざま、燃え上がらせていくようなのだ。
噂にだけ聞く希少な加護のなせる業と思われる。
つまりあの荷車の小さな人物がこの少数軍の大将、幼い跡取り息子だということではないか。
己が主が連れ去ったはずの子どもが何故ここにいるか、中隊長には理解できないが、他に考えようもない。あれほどの加護を持つ人間が何人もいるとは思えない。
「あちちちちーー!」
「あちちちちーー!」
半円状の陣形をとり先頭で対敵する人数を増やした分、一度の火攻撃での被害も増えたことになる。最初に撒かれた茶色の粉に引火して吹きつけられ、先頭からさらに後ろまで炎が届く。そのため瞬時に百名程度の兵が燃え転がる始末になっていた。
衣服への引火を消そうとのた打つ者たちをかき分けんばかりに、敵軍は前進を続ける。進みながら粉と炎の散布がくり返され、囲み阻むべく送り出した一軍はあっという間に蹴散らかされていた。
まだ味方の兵は敵軍に届くまで接近を果たしていない。一切剣を交えることさえしていない。
それにもかかわらずこの開戦してからほんの数ミーダ(分)の間に、戦闘力を奪われのた打つ味方は数百名に及び、敵はまったく傷を負った者さえいないのだ。
そうして敵軍は、ますます接近の足を速めている。
ある一定の距離まで近づくと空中に茶色の粉が撒かれ、次の瞬間一気に炎と化す。前方の味方兵が、悲鳴を上げて倒れ伏す。
砦側の軍としてはまったく対抗の術なく、敵の接近に押されるばかりだ。
見る見るうちに中隊長の周囲で剣を構える兵は、百名ほどの敵軍より少なくなりそうな様相になってきた。
「ひ――」顔を真っ赤にして、中隊長は声を絞った。「引けえ! 砦に入って、門を閉じよ!」
「はっ!」
残る百名程度の兵たちはたちまち後ずさり、砦の門に飛び込んだ。
厚い木の扉ががっしりと閉じられる。
入るなり、正面口上の見張り台から大声がかけられた。
「貴様、これは何たる態だ!」
戦闘を後方から見守っていた、司令官の怒号だった。
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