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リュシドール子爵領領都にミニョレー伯爵領軍が駐留し統治を開始して、一年が過ぎた。
前年秋までに領都の南端街道沿いに石材建築の砦を築き、ほぼ街の半分を囲む石壁を巡らした。以前にはなかった、他領や王室からの進攻に備えたものだ。
その形で冬を越え、春となった現在は砦の備えを増し、さらに魔獣への防備も考慮した壁建設を進めている。
伯爵領軍司令官のドーヴェルニュは、その砦の司令室で執務をしていた。
昨年春には三千名の領軍と支配下に置いた二足龍による威嚇で、元子爵の親戚筋の貴族たちと王室の役人を駆逐した。
その後伯爵領領都に帰した龍は使役を継続することができず山に戻したという報告を受けているが、兵士三千名はそのままこの砦と北隣の町ギャルヴァンに駐留している。
領軍全体で一万ほどの規模なのだからこの砦の駐留はかなりの人数ということになるが、それだけの必要が見込まれている。そもそもミニョレー伯爵領は他領と接する境界が少なく、魔の森の東で領都近くの範囲と、この元リュシドール子爵領の南端部以外ほぼないのだ。そのため現在は、この砦が領として最も注力すべき地点となっている。
軍の最高階級である司令官をここに配置し続けているのも、その重要性の表れと言える。
「閣下、南街道の駐留所から、異状なしの報告が来ております」
「うむ」
当面領として目を光らすことになる最要所は、この砦から南方に続く街道ということになる。
ミニョレー伯爵領が武力でこの子爵領を掌握したのだから、子爵家の残党や他の領が同じく武力で奪還に訪れる可能性は十分にある。もう五十年以上にわたり現在の王家が国を治めある程度安定しているというものの、各領間での小競り合いや領地の奪い合いは跡を絶たない。
威嚇に使った龍の存在を失ったとは言え、もしもの事態に到ってもこの三千人の兵力で対処は可能、と領主である伯爵も司令官も判断していた。
最も懸念すべきはリュシドール子爵家の親戚筋に当たるルドワイヤン伯爵家と他子爵二家が連合して攻めてくる可能性だが、どの領も周囲に競合する他領が存在している。そちらに隙を見せることができない現状で、こっちに多くの兵を割く余裕は持てないはずだ。
王家の意向を無視したこの領有に対し、国軍が向けられることもあり得なくはないが、王家でさえ南方に不穏な貴族家を抱えている。いつ王都の背後を衝かれるか分からない状況で、何千人もの兵を十日以上かけてここまで進軍させる余力のあろうはずはない。
南方への見張りには遺漏のないよう留意しながら、司令官は落ち着いてこの旧子爵領都の施政に気を配っていた。
そうして春が訪れ、周囲の農地で作業が始まった頃合いだった。朝の打ち合わせが終わった後、司令官室に慌ただしく入室する士官の報告があった。
「閣下、南街道から緊急の伝書鳩が入りました」
「何だ?」
「南方より、正式な軍備で武装した一団が接近しているとのこと。その数、およそ百名」
「……はあ?」
緊張しかけた貌にやや目を瞠って、ドーヴェルニュは目の前に立つ中隊長を見返した。
当然冗談ではないらしく、中隊長は真顔だ。
「たった百名だと? 後に続く気配もないのか」
「そのようです。駐留所で呼び止め誰何したところ、リュシドール子爵領の正式な軍である、領地の奪還に向かう、との返答でそのまま通過したとのこと」
「子爵領の正式な軍――だと? 我々がこの地を掌握したどさくさで逃亡した兵は確かにそれなりにいたろうが――まあ確かに、百名程度なら集めることもあり得るか。しかし数名を配置しただけの駐留所を押し切ることはできても、その数でこの砦に向かうなど、正気の沙汰ではなかろう」
「御意にございます」
「とにかくも迎撃の準備をさせよ。この砦に交替常駐している者に即時追加招集を加えて、千にはなるはずだな。それらに出兵態勢を整えさせ、残りの者たちもすぐに招集をかけられるように」
「畏まりました」
「百名などというふざけた人数、何かの罠かもしれぬ。ゆめゆめ油断せぬようにせよ」
「は」
司令官の命に従い、即刻約千名の軍勢が砦前、城壁の内側に集結した。
偵察に出した兵の報告によると、約百名の一団は粛々とこの砦に近づいている。今しも、砦前の街道を囲んだ広く草茂る平地に達しようというところだ。
尖兵の指揮を執る中隊長は、五百の兵を率いて砦の門を出た。
近づく一団は平地の半ばまで進み、砦側の尖兵隊と二百ガターほどの距離を置いて足を止めた。
確かに正規の軍らしい、と中隊長は判断する。
揃って金属と革を合わせた鎧を身につけ、前方の者は盾や弓矢をすぐ構えられる状態で携えている。二本立てた旗の印は、旧リュシドール子爵領のものだ。
弓矢を構えた兵を連れて、中隊長は前に出た。
それを見て、向こうの集団からも大将らしき男が一歩前に出た。
「某はこの軍を預かる中隊長、バシュラールである。我が領地を脅かす不審な一団、何者であるか」
「リュシドール子爵領領軍小隊長、エテュアンと申す。我々は子爵家の正統な後継者ランベール・リュシドール様を将に抱き、ルドワイヤン伯爵家、モクレール子爵家、ミュラトール子爵家の友軍を加えたリュシドール子爵領領軍である。こちらの不法な占拠をやめ、直ちに領都を明け渡していただきたい」
「この地は我がミニョレー伯爵領が領有するものである。そのような要求を聞くことはできぬ」
「聞き届けられぬとあれば、交戦やむなし」
「承った。応戦しよう」
頷き、両隊長とも表情を変えずに軍の中に下がる。
本来の領地間の戦闘であればもっと改まった七面倒なやりとりが重ねられるはずだが、今回の相手はわずか百名、そこらの農民一揆や野盗の襲来と大差ない。中隊長としては短時間で一蹴して終える心積もりだった。
間もなく敵軍の先頭が盾を構え、全員足を揃えて小走り程度の速度で前進を始めた。
わずかに態勢を整える隙間に、やや妙なものが見えた。先頭の盾のすぐ後ろ、数台の荷車のようなものが続いている。
少しだけ首を傾げながら、中隊長は命を発した。
「弓隊、前へ!」
「はっ!」
五十名ほどの弓隊が前に出て横三列の並びとなり、交替で次々と矢を放つ。敵軍は進み足を緩め、先頭に並べた盾でそれを受けた。
相手からも矢が飛んでくるが、射撃数も圧倒的な人数差に比例する。砦側の絶え間ない攻撃に、少人数の敵軍は徐々に足を進められなくなっていた。
「行け、一気に鎮圧せよ!」
「はっ!」
並んだ弓隊の隙間から、盾と剣や槍を構えた歩兵が数十名、一斉に駆け出した。背後から弓矢の牽制が続き、剣の攻撃兵はさらに後ろに準備されている。これだけですぐに敵の人数を数倍する勢いで、早々に決着はつくだろう。
ほとんど切れ切れとなった敵の射撃を盾で防ぎながら、もう先頭の兵はあと数十ガター程度まで迫っている。
うおおーー、と吶喊の声が蒼天に高々と揚がる。
次の瞬間、だった。
「ぎゃあーーー!」
「うがあーーー!」
「痛えーーー!」
盾と剣を構えた兵たちが、次々とその場に倒れ伏していた。
何が起きたか、と中隊長と周囲の兵たちは目を瞠った。
矢を受けたわけでもない。まだ敵と剣を交えたわけでもない。
ただ何もない草原で、数十名の兵たちが倒れのた打ち出している。
地面などに罠をしかけた、はずもない。相手はここに来たばかりだし、場所は砦から昼夜見張られている位置どりだ。
目を凝らしても、異状は見えない。ただ、緑の草原の上、その緑がぼやけているかのように映るばかりだ。
「何をしているか! 次、続け!」
「おお!」
味方を鼓舞するような大声を上げてさらに数十名、盾と剣を構えて駆け出していく。
それが。
先にのた打つ兵たちの後ろに達したところで。
「ぎゃあーーー!」
「うがあーーー!」
同様に叫び、顔を押さえて倒れていくのだった。
剣や盾を放り出し、特に目や鼻の辺りを手で覆い、なすすべない様子で転がり回る。
いったい何だ、と中隊長は目を凝らした。
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