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転生調理令嬢は諦めることを知らない  作者: eggy
第1章 リュシドール子爵領

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   ***


 仕上げた主人用の夕食を運ばせた後、いつものようにヴァランタンは厨房で下働きの女たちと貧素な食事をとった。

 何とも、主人や本館使用人用より劣る貧しい飯が、いつもにも増して不味まずく感じられる。

 それは女たちも同様のようで、しばらくの無言の咀嚼の後、一人がぽつりと口にした。


「行っちまったんだねえ、お嬢様」

「いつ追い出されるのかと思っていたけど、とうとうだったねえ」

「覚悟していたことだ」具の少ないシチューを一口して、ヴァランタンは吐き捨てた。「ただ、あの手際のいい下拵えがなくなるのは、痛手だな。明日からまた、しっかり頼むぞ」

「ああ、分かったよ」


 実際の痛手を言えば三人にとって、オリアーヌが狩ってくる肉での小遣い稼ぎがなくなるのが最も大きい。

 暗黙の了解でそれは口に出さないことにしながら、それだけでなくこの厨房にぽっかり穴が開いたような虚脱感を同時に覚えていた。

 特に彼らと親しく交流したというわけでないにしても、とにかく約五年、あの少女はここで毎日働いていたのだ。

 食事が終わると女二人はすぐ帰宅するのが常だが、この日は何となくそのまま椅子にかけていた。

 何処か気まずいような、共感するような、妙な沈黙の中。

 少しして、戸口から声がかけられた。不機嫌な様子の、執事だ。


「ヴァランタン、いるか」

「へい、います」

「今日の料理は、どうしたことだ。いつもに比べて不出来すぎる、と旦那様はお怒りだぞ」

「えーー? いえ、いつも通り作っておりますが。作り慣れた兎肉シチューですし」

「何度も食した同じ料理だから、不出来が際立って分かるということだ。下働きが減ったからといって、調理に手を抜くではないぞ」

「へ、へい」

「今夜は祝いの膳だと機嫌をよくされていたご夫婦が、これでは台無しだとお怒りだ。こんなことは二度とないようにせよ」

「は、かしこまりました」


 言いたいことを言って、執事は戻っていった。

 一度浮かしかけていた尻を椅子に沈め直し、ヴァランタンは呆然と宙に視線を流した。


「そんな……」


 ここ数年、料理の腕を上げたと主人に褒められることが多かったのに。

 今夜は邪魔者を追い出した祝いだと言って、夕食は直前に一品追加を命じられた。それでも問題なく調理は終えて、収穫してきた果実も添え、いつになく豪華な見た目で満足の出来だったのだ。

 料理はすべて慣れた品で、特別失敗した覚えもない。


「……何が、悪かった?」

「違いと言えば、下拵えのお嬢様がいなかったことかねえ」

「いや、でもさ、今日もお嬢様は下拵えまで終わらせていたんだよ」

「ああ、そうか。それじゃ、違いはないじゃないか」

「何か見えない失敗があっただけだろうさ。明日から気をつければ、大丈夫だよ」

「ああ……そうだな」


 年下の料理長に、珍しく優しい声を女たちはかける。それはもしかすると、ついさっき同じ喪失感を共有していた名残だったかもしれない。


「そうだな、明日また、しっかりやるさ」


   ***


 領都を出て、三時さんとき(時間)程度は歩いたことになるか。

 当然オリアーヌにとって初めて歩く道。地図なども持たず、一本道に標識の類いなどまったくないので、どれだけ進んだのかはまったく分からない。

 途中で睡眠をとることは、できない。それを思えば、疲れきらないうちにできるだけ距離を稼いでおいた方がよいと思われる。

 魔獣に襲われる危険を除けば、オリアーヌのこの脚と体力でいかに隣町まで歩ききれるか、というのが勝負だ。体力の配分を、ぎりぎり真剣に考えなければならない。

 食後の一休みを終え、焚火を消して立ち上がる。兎魔獣の肉は、焼いた一塊を袋に入れて携え、残りは森の近くに放っていくことにする。これも旅人や狩人の常識としてどうなのか知りようもないが、とにかく持ち運ぶ体力はないし、穴を掘って埋めるなどの力も時間もない。

 何にせよ体力と相談しながら、刻々暗くなる街道を、できるだけ歩み進めておこうと思う。

 貴族令嬢なのだから、生まれてから長時間歩いた経験などない。脚を負傷してからは、なおさらだ。

 それでも今は、歯を食いしばって足を進めるしかない。

 すでに左脚はじんじん痛み、杖を挟む右腋も鈍い痛みを訴え始めている。これが屋敷の中にいたときなら、部屋に戻るなり寝台に潜り込んでいるところだ。

 今は、そんな逃げを打つすべもない。

 とにかく前に目を向けて足を出す、それだけだ。

 歩みは、ますます鈍くなる。

 それでもぎこちない足どりを、進める。

 辺りは、急速に暗さを増してきた。持っていた棒に火を点け、灯りにする。

 手元に、小さな灯り。少し離れると、景色はすぐ闇に沈んでいく。

 獣の気配には、ますます神経を尖らさなければならない。

 そうしていると。


 ガサ。


 すぐ左手の茂みに、動きがあった。

 わずかに跳び退き、そちらを見据える。

 闇からいきなり、丸っこい毛皮が飛び出してきた。

 咄嗟に、アヒイをぶつける。続けて、毒茸。

 道の中央近くに転げてきたのは、小ぶりの兎魔獣だった。

 杖の先で転がして、死骸を道端に寄せておく。

 その場を離れて、ひと息。


「危なかった、かな?」


 当然とは言え、明るい頃より対処が遅くなった。

 もっと素速かったり大柄な魔獣だったら、撃退しきれなかったかもしれない。

 道の中央を歩くようにしているが、丈のある草の茂みが昼間より近いように感じられてくる。気配を感じとるのに遅れたら、命取りだ。

 脚の痛みも、増してきている。

 夕食休憩から一時いっとき過ぎたかどうかなのだが、仕方ないかな、と思う。

 もう少しだけ歩みを進めると、右脇の茂みが切れ、少し広い岩地が続いていた。

 幸い、と大きな岩に寄り、腰かけることにする。

 周囲から木の枝を集め、小さな焚火にする。

 眠ることはできない。が、しばらく身体を休めようと思う。

 茂みがなくなっているので闇の中ながら見晴らしがあり、少し離れても獣の接近は知ることができそうだ。

 ただしやはり神経を研ぎ澄まし続けなければならず、眠ることは決して許されない。

 両膝を抱き、炎を見つめ。全方向へと耳を澄まし続ける。


「やっぱり、無理か……」


 しばらく脚を休めて、歩みを再開できないかと思っていたのだが。体感二時程度を過ぎても、じんじんした痛みは和らぎそうにない。

 このまま、夜明けまで過ごさなければならないか。

 しかしそうすると、最大の敵は睡魔ということになった。

 炎を見つめていると、意識が遠のきそうになる。

 歯を食いしばり、手の甲をつねって、それを堪える。

 何度も首が折れそうになり、手をつねって引き戻す。

 脚を休めたいのだが仕方ない、と短時間立ち上がって周囲を歩いてみる。

 そんなくり返し、気の遠くなるような長い葛藤の末。

 やがて、東の森の上に光が射してきた。



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