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一夜が明けて、子爵邸の中は落ち着きを取り戻していた。
ただこの朝の食事も味が気に入らず、子爵夫妻は機嫌を損じていた。
それでも屋敷から邪魔者が消えたことに思いを馳せると、口元に笑いが戻ってくる。
朝早く、執事を町の状況を確認に派遣した。執務室で書類を点検していると、その報告が返ってきた。
「まちがいなく魔狩人協会にも宿屋にも、あの娘は姿を見せていないとのことです」
「うむ。では、直接一人で北の街道に向かったということで、まちがいないのだな」
「はい。門から見ていた限り、振り返ることなく北方向へ歩いていきました」
「よし。あとは後日、街道を調べさせるだけだ。昨夜無事に過ごすことができたか、何処かで魔獣の餌になったか。今日何処かで疲れ果て歩けなくなっているか、といったところだな」
「左様かと存じます」
「調査の兵を送るのは、明日でいいか。少なくともこの数日も、こちらから商隊などが発つ予定はないということだったな。魔獣に食われても、何かは残っていて見つけられるだろう」
「左様かと」
「死んだ証拠が持ち帰られ次第、王宮へ死亡届を送ろう。書類だけでも今日から準備を始めることにするか」
「はい、それがよろしいかと」
「成人前の娘が死亡し、これで問題なく我々が後見でランベールという男子が跡継ぎと認められる。すべての手続きが、間もなく終了だ」
「はい、楽しみですな」
「まったくだ」
***
近くの小川で顔を洗い、残していた焼肉で朝食をとる。
そうして再び歩き始めたが、脚の力は昨日の歩き始めと段違いだった。かなり長時間休めたのに、力は戻らない。鈍い痛みは残っている。
しかしそれでも、歩くしかない。
動かない右足を引きずり、杖を前に送り。
一歩ずつ、気合いを入れんばかりにして。
歩く。歩く。
遅々として進まない、焦れったい限りの歩みではあっても。
気を奮い、奮い、足を前に出す。
途中何度か、兎魔獣や猪魔獣が出現した。すべて脇の草むらから顔を出した刹那、アヒイで転がすことができた。
兎魔獣の一頭は解体して、肉一塊を荷物に加える。
また途中で具合のよさそうな林を見つけ、中を検分に入った。
「お、これはいいかな」
アヒイと毒茸、痺れ茸と知られるものを見つけ、採取する。
乾燥させた方が扱いやすいのにまちがいないが、細かくちぎったものを袋に溜めておいても何とか同様に使えるはずだ。
屋敷裏の狩りの際に確かめて、毒茸の致死量は野鼠や野兎なら匙二杯分程度、増やしても効き目が早まるわけではないと分かっている。実証していないが、対人間でも似たようなものだろう。狼魔獣などの大物なら数倍は必要か。
痺れ茸も必要量は同程度と聞いているが、確かめてみなければならない。
とにかくもそういう見当で、持っている袋に入るだけ採取する。
あまり体力を浪費しないうちに、街道の歩行を再開。
じわじわ、じわじわ、と歩みを進める。
陽が高くなり、頭が熱くなってきた。
持参していた布を三角巾として被り、凌ぐことにする。
それでもすべて凌ぎきれず、気温が上がって体力が奪われる。
ますます歩みが鈍くなり、それでも気合いを入れ直す。
また、三時程度は歩き続けたか。
どれだけ進んだか、まったく分からない、が。
とにかくとにかく、前へ進む。
陽が真上に来た見当で脇の広地に入り、焚火で肉を焼いて食べた。
ややしばらく休んだが、脚にそれほど力は戻らない。
仕方なく街道に戻り、少しずつでもと足を進める。
とにかく、少しでも。
前へと、進む。
こつ、と足が石に引っかかり。
前のめりになりそうになって、辛うじて持ち堪えた。
背を、伸ばし直した。
ところで。
何か、気配を感じた。
左右見回すが、草むらの中でない。
何だ、と前を見ると。少し前方の岩の陰から、人間が現れた。
一人、二人、三人。
かなり薄汚れた服装だが、体格はいい。三人とも、黒っぽい髭面。腰には剣を下げている。
見るからに、怪しい。どうも岩陰に隠れていたらしい、行動も。
警戒して、足を止める。
「おい、本当に子どもだぜ」
「それも、女か。こんな子どもが何で、一人で街道を歩いている」
「おい、娘。何処から来たんだ?」
近寄りながら問いかけられるが、答えない。というより、疲れて声が出ない状態だ。
はあはあと、荒い息で肩を上下するばかり。
「こんなにチビで汚れてじゃあ、売り物にならないか」
「町まで苦労して運ぶほどの、値打ちはなさそうだな」
「持ち物もたいしたこと――いや」一人の鋭い目が、オリアーヌの胸元を睨んだ。「その懐の膨らみ具合、金だな。娘、金を寄越せ。大人しく出せば、命は助けてやる」
盗賊認定、確定だ。
オリアーヌは、一歩足を退いた。
「……断る」
「抵抗しても意味ないぞ、ほら」
悠々と近づき、一人がぐいと手を伸ばした。
にやにや笑う、その口が。
「ヒ、ギャア!」
大声を上げて、丸く開かれた。
鼻先に、アヒイ粉をぶちまけられて。
すぐに続いて、痺れ茸の細切れをぶち込む。開いた口から、喉の奥まで。
「ゲエッ、ゴホゴホゴホ――」
「おい、どうした」
「何ここで、噎せてやがる」
目を丸くして、残る二人が寄ってきた。背後からは何が起きたか分からなかっただろう。
そこへ、同様にアヒイ、続けて痺れ茸をぶち込んだ。
「ゲハッ!」
「ゴホゴホ――」
咳きこみながらのた打ち、やがて両手足を突っ張り出した。
倒れ込む男たちとすれ違い、オリアーヌは前へ進み出た。
数歩進んだところで振り返り、三人の様子を見守る。
「げ、ゲハ――な、な――」
「何だ――痺れ――」
「う、動かねえ――」
たちまち茸が効いて、手足が動かなくなってきたようだ。
即効性とは聞いていたが、効き目が回るまで十ミン(秒)程度だろうか。やはり一人匙二杯分が適量のようだ。
頷いて、オリアーヌは盗賊たちに背を向けた。
「ま、ま――」
「あう、あ――」
もう口まで動かなくなったか。
本で読んだ通りなら、数時程度で痺れは消えるはず。
それまで魔獣に食われずに済むかどうかは、彼らの運次第だろう。
何にせよ今のオリアーヌに、人のことを構う余裕はない。
思って、できるだけ足速に、その場を離れた。
とは言え、誰の目にも焦れったく映るだろう程度の足の運びに変わりはないのだが。
かなり離れてから振り返っても、倒れた三つの姿に変化は見られなかった。
杖をつき。足を引きずり。
前へと、歩き進む。
まだ道のりを、半分も消化していないはずだ。
領都の方が近いのだから、あの盗賊たちはそちらを拠点にしているのではないか。逆向きにしつこく追ってくることはない、と思いたい。
しかしまあ、追われてそれを振り切る速度は出ないのだから、そのときはそのとき、何とか対処するしかない。
考えながら、一歩ずつ、前へ進む。
その夜はまた、平地を選んで焚火で過ごすことになった。




