王の鬱積
執務室より城下を望む。
モーリスが去ってから我はこうして一人でいることが増えた。
テシオンが代わりに詰めていてくれるが、なかなか父親の代わりは難しいと見える。
モーリス親子が気遣ってくれてはいるが、できるだけ一人でいたいとも思っている。
いつ何時狂気が襲ってくるのかわからないのだ。
臣下に不安を与えるわけにはいかん。それもいつまで保つのかわからんが。
これまでは何とか抑えることができたが、これからも抑えることができるとも思えん。
狂王アクラブの魂がこの身にとり憑いたとでもいうのか。
我はどうしたというのだ。
いつもと同じ眺めの影に、赤々と燃え上がる激しい炎が見える。
街や我が民が激しい炎に包まれる。
そして、愉悦に浸る我もまたその炎に巻かれて行く。
すべてを破壊し尽くしたくなる衝動。
荒れ狂う波のごとく我の内に襲い掛かる狂気。
忘却の彼方へ押し流されそうな自我。
これは現実なのか?
ある日突然に襲い掛かってきた黒い闇に、我は成す術もなく飲み込まれてしまった。
闇は我に破壊を囁く。その先にある大いなる快楽とともに。
初めは何のことか分からなかったが、破壊すること、本能のままに蹂躙することが闇の望みであったようだ。
いや、我の心の内に棲む衝動であったのやもしれぬ。
モーリスを送り出してから、なお一層酷くなってきた。
こうして我は自分自身を保っているのか、それとも狂気の内のつかの間の安息なのか、だんだん見分けがつかなくなってきたように思う。
成さねばならん仕事は宰相に任せてあるとは言え、我が熟さねばならんことも多い。
執務中に狂気に襲われることはないが、ふと気を抜くと囁き声が聞こえてくる。
すべてを壊し、無に帰れ。
闇が我を突き動かす。手の内にはいつしか握られていた王錫が潰れていた。
闇が去っても我が脳裏には強き意識が刻み込まれている。
我が身を突き上げる抜き身の衝動によって壊された鎧の数々が思い出される。
気を静め夜の帳に身を任せようとするも不安が過る。
我は朝を迎えられるのであろうか。
眠りにつくことがこれほどの恐怖を伴うこととは思わなかった。
良き王であろう、民のために尽くそう、そう思いここまで励んできたものが、一瞬にして吹き飛ばされたようだ。
我が意思はこれほど弱いものであったのか。
若き頃よりこの身に刻んできたつもりであったのだが………
我はいつから弱くなったのか。
闇に怯え、眠れぬ夜を過ごすことになるとは思いもせなんだ。
目の前に敵あらば、一刀のもとに切り捨ててくれるものを。
姿の見えぬ恐怖に、日々震えることしかできないとは。
我が敵はどこにある。剣を振り、魔法を放とうともその姿には行き当たらん。
何とも不甲斐ない。
音に聞こえし魔王国の王がこの体たらくとは。
悠久の刻を超え、我が先祖に蔑まれそうだ。
これが神より託された王の末裔なのか。
理不尽な暴力より救い出し、虐げられた同朋のために我が身を捨てて戦った血が、この我にも流れているのではないのか。
もしその血が少しでも我が身に残されているなら、我が願いに応えてほしい。
理不尽な被害が出る前にこの身を滅ぼしてほしい。
我が血よ、偉大なる魔王国の王たらん血よ。
我を滅し給え。
国のため、民のためならば、この身を捧げること惜しくもない。
闇に飲み込まれる日が近いのかもしれん。
記憶の流れが途切れていく。
そして我が意識の存在しない闇が増えていく。
昨日は手元にあった印璽が、今日は部屋の隅に打ち捨てられている。
我が捨てたのか。
この部屋に誰かが入ったのか。
どちらも我の記憶にはないこと。
夜の帳か、心の闇か
我には見分けがつかなくなってきた。
いっそこのまま埋もれてしまいたい。
だが、王たる身には許されんこと。
激情と共に訪れる狂気の闇は次第に我が身を包んでいく。
拒むことも、抗うこともできない。
何と非力なことであろう。
魔王国の王たる者が、ただただ恐れ慄くばかりとは。
万の軍勢を前にしても恐れることはない我が、闇に追われて打ち震える。
どれだけ払おうとも視界に消えぬ闇。
我に残された時間は少ない。
急がねばなるまい。
神より遣わされた勇者に委ねよう。
モーリスよ我が我であるうちに帰ってくるのだ。
神よ、我が民に平和と安寧を。
我が身に変えてお願いする。
願わくば我が身が闇に埋もれる前に。




