#13 完
「……意味が分からないわ。もう行きましょう」
私はセキエンちゃんを抱きかかえたが、抱いてしまった嫌悪感が先行して、意図せず鋭い目つきで兄さんを睨みつけてしまった。
「クラフティアンに入らないか、と質問するっていうことは、入るかどうかは私の自由なんでしょう。私はよろず屋が気に入ってるもの。宗教団体の幹部になるのは嫌よ。はやくエレベータまで通してちょうだい」
「だから、ここは宗教団体じゃないって何度も言ってるだろう」
兄さんはわざとらしくため息をつくと、私に対抗するように立ち上がった。
「いいから座れ。そして石燕の嬢を下ろして話を聞け」
「いやよ。マイカがいい」
セキエンちゃんはコートの襟をぎゅっと服を掴むと、兄さんに冷たく声をかける。
「おじさん怖いもの」
「お、おじさん……だと!?」
兄さんは自分の両手をまじまじと見つめると、呆然として座り込んでしまった。そりゃあそうだ。見た目こそは青年と言える兄さんだが、年齢で見れば老々々々々人。そもそもセキエンちゃんから見れば、兄さんだって立派なおじさんだ。
「と、ともかくだ。クラフティアンに入るんだ舞夏。悪いことは言わない。君のためだ」
「君のためって言うヒトに限って、大抵はなんだかんだ言って自分のためにしろって言っているのよね」
「つべこべ言うな。本当に君のためなんだ」
「私の自由意思はどうなるのよ。私はよろず屋として、この街でやっと居場所を……」
「その居場所がッ! お前を殺すんだよマイカ!!」
会話に割って入ってきたのは百神だった。ずっと黙っていた彼も、急に声を荒げて立ち上がったのだ。そして私の肩に手を置いて、じっと眼を見つめ、少しの間呼吸を整えていた。
「な、なによ百神……」
「マイカはよろず屋、僕は付喪神屋だ。僕はマイカのために道具を用立てて、マイカはそれで仕事をこなす。僕の仕事は、間接的とはいえ、君をよろず屋たらしめていたんだよ。そしてその事実こそが、まさに今君を消そうとしているんだ。僕のせいでも、あるんだ」
彼の目が少し赤らんでいる。最後の方の声は掠れていた。彼が泣き出してしまうのではないかと心配になって、私は優しく彼の手の上に自分の手を置いた。
「大丈夫よ百神、ヒトが消えるなんて非科学的。貴方が不死なのも、この世界の妖怪や怪異も、ぜんぶ論理的で科学的なのよ。この世界は科学が支配しているの」
「君だけは違うだろう。マイカの不死は純正の人魚によるものなんだ。パッと煙のように消えてしまっても不思議じゃない」
百神は私の肩に置く手にさらに力を込めた。そうだ、私は、私だけは、違う。私はその単純な事実を突きつけられただけで抵抗する気力を失って、されるがままに椅子に座らされる。
「クラフティアンは、妖怪を生み出す組織なんだ。かつて小説を通してひとつの神話を作り出したとある怪奇作家の小説の、愛好家たちをかつてはそう呼んでいたらしい。原型からいくつか文字が脱落したらしいが、妖怪を創り出すする者とかけて僕たちは、クラフティアンを名乗っている。僕らは現象を観測し、定義し、名前を付けて怪異と為す」
百神は話しているうちにも少しずつ落ちつきを取り戻していき、いつもと変わらぬ口調と目線で、美龍を見た。
「読書家の君なら知っているだろう。亜米利加の怪奇作家。海を極度に怖れた、宇宙的恐怖の生みの親」
「ラヴクラフトか」
「そう、僕たちはラヴクラフト師を継ぐ者。ヒトの心に巣食う恐怖に妖怪というカタチを与え、世界を回す歯車だ。僕たちは僕たち自身が、妖怪を妖怪たらしめるという役割を社会そのものに対して背負う一種の怪異と化している。マイカがクラフティアンになれば、マイカは僕たちの同僚として、この社会に居場所ができる。怪異として居場所があるうちは、マイカは不死になる。これが延命のロジックだ」
彼の言っていることの意味は理解できた。この社会は極めてロジカルな空間だ。この世界で生きている者は、生きている必要があるから生きている。のうのうと生を貪っているだけの存在など、ここにはいない。だから仕事を持つという事はそれそのものが、その存在を根本から規定することに繋がる。たとえ私の不死の理由はいかに非論理的だとしても、私自身はそのロジックに縛られざるを得ないのだ。
「クラフティアンはよろず屋とは違って、不老不死にしかできない仕事なの?」
今度の私の疑問には、兄さんがこたえてくれた。そして私の心は既に揺れ動いているということを、彼は表情から察していた。
「構成員全員が不死というわけではない。百神の部下のオートマタたちは経年劣化するだろうし、危険な仕事……つまり、命を落とすという危険性まで含めて自らの仕事とする者だって存在する。彼らは終わりを迎える者たちだ。対して不死であるのは、エージェントだけだ。エージェントはあらゆる時間、あらゆる場所で任務をこなす。すべての時代に同一の存在として活動する以上、俺たちは不老でなければならないからな。これは同時に、俺が人魚の肉を食べることなく不老不死になっている理由でもある」
兄さん曰く、神隠しは人為的なものらしい。時を越えたネットワークで連携している各支部は、必要に応じて情報や物資を送り合う。その際の輸送システムに一般人がうっかり紛れ込んでしまうと、ネットワークを通って、どこかの時間のどこかの場所に飛ばされてしまうのだという。結果もとの場所からはぱったりと消えてしまうため、人はそれを神隠しにあったと説明づけていたらしい。
「あの場所もそうだった。舞夏を除く俺たち一家全員が押しやられたあの空間は、そこから四百年後の仏蘭西に繋がっていた。むこうは当時戦争中で、動乱の中父とも母ともはぐれてしまったが、俺はさまよった挙句にイギリス軍に属するクラフティアンに保護された。タイムパラドックスを起こさないように教育を受けた後、紆余曲折を経て俺はエージェントになった。不死となったんだ。そうでなければ、俺はいまごろコンクリートと土の底だ」
「……私には、本当に選択肢は無いのね」
「無い。ここでもし本当にどうしてもエージェントにならないという決意を通すのなら、俺たちは無理に君を引き留めはしない。だが舞夏が消滅した後に俺たちが対応しないといけない社会の安定化という労力を考えると、是非ともここでクラフティアンになってほしいというのも本音だ。公私どちらの立場からも、俺たちは君に死んでほしくない」
「もし、もし万が一私が上層で消滅したら、セキエンちゃんと美龍はどうなるの」
「石燕の嬢は俺たちが責任をもってエージェント・鳥山のもとに送り届ける。だが美龍君は……まあ消えるだろう。もともと純正の幽霊なんて非科学的の塊だろう。そもそもどうして今も化けて出てこれているんだ」
「……知らねえよ、俺が聞きたいくらいだ」
美龍が力なくぼやく。その姿を見て私は一瞬ぎょっとした。彼の姿がとても薄く、今にも消えてしまいそうなくらいに透明に近いように見えてしまったからだ。慌てて目をこすったが、透明度は変わらない。それは彼が意識的に調整した透明度なのか、はたまた私が消えようとしていることに連動して彼まで消えようとしているのか、私にはそれが読めなかった。
美龍となら意志を通わせられる筈の私が、だ。そのことは、私に結論を用意させるには十分なものだった。
「セキエンちゃんに関しては、その言葉を聞いて安心したわ。でも美龍まで、美龍まで……消えちゃうのなら……」
「おいマイカ待て。俺に気を回すな」
「回すわよ。貴方は私、私は貴方だもの。でも貴方は私とはちがったの。貴方は私のパートナーなの」
自分でも支離滅裂なことを言っているのは判っている。でも私の気持ちはその言葉の通りだった。私は抱きかかえたセキエンちゃんを百神に渡すと、ひと呼吸整える。
「マイカ……?」
「それじゃあね、セキエンちゃん。ちょっとの間だけだったけど、とっても楽しかったわ」
兄さん、と私は努めて普段通りの声色で、座り込んでうつむいたままの兄に決意を投げかけた。
「いいわ、了承しましょう。クラフティアンのエージェントとやらに、なってやろうじゃないの」
**
「やぁ百神、今日はどんな付喪神があるんだ?」
「やァオヤジさん。昨日に仕入れたばかりのものだと……これとかどうかな、釣り竿だ」
トーキョー上層の一画で、百神は細長い棒きれをつまむと、今日のお客のまえでひらひらと振る。棒の先に括りつけられた紐がぷらぷらと揺れた。
「なんだそれ」
「釣り竿だよ、知らないのかい? 魚を釣るための道具だ」
「サカナツリか、俺はよく知らねえが、サカナが取れるんだっけか」
「そうそう、コツがいるけどね。川や海なんかで使うと良い。巧くいけば、サカナや魚の怪が釣れる」
「……そうか、なるほど面白そうだ。じゃあ今度、何でも屋に頼むとするかな。そういえば最近マイカちゃんを見ないが、あの子はどうしたんだろうな」
百神はその言葉を聞くと、少し悲しそうに笑みを浮かべた。
「ああ…………よろず屋のマイカは、もう死んだんだ」
上層に一陣の風が舞う。その風によろめくヒトの姿は、この街にはもうどこにもいない。
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「それでねそれでね、お顔はお兄さんなのにね、お腹から下はおさかなさんのユーレイさんがね!」
少女はなにやら不思議な生き物の話を、心底楽しそうに親戚のおじさんに話している。男は少女の話を世迷言だと笑い飛ばすことなく、真剣な顔つきで聞いている。そしてその手には、一本の筆が握られていた。
「ほうほう、それでそのあんちゃんは、脚はあるのかい?」
「無いよ、ふわふわ浮いているの」
「そうか……。面白いものを見たな、セキエン」
男は興味深げに頷くと、少女の頭をぽんぽんと撫で、ふと思いついたように筆を走らせ紙に書きつける。紙には、人の顔をした魚の絵が記されていた。
『人魚。人面にして魚身足なし 胸より上は人にして……』
**
「良い風ね。海の香りがしないのは、ちょっと落ち着かないけど」
「ちょっとどころじゃねえよ。俺の故郷はどこだと思ってるだ。乾燥した風はどうも好きになれない。ま、もう干からびる心配はないわけだが」
一人の女と人魚が一人、草原の真ん中に立っていた。
「あらそう。それじゃあリクエストを汲んで、少し海沿いの街まで行こうかしら。地図によると……えーっと、インスミスね。ここにも勿論、怪異の伝承はあるんでしょう?」
「ああ、勿論あるともマイカ。ヒトありし場所に怪異ありだ。当然、おかしな言い伝えがある。その街では近頃、ヒトと魚の混血児のようなモノが目撃されているそうだ」
「つまり……美龍の親戚ってこと?」
「違う違う、俺と一緒にするなよ。マサチューセッツ支部も頭を悩ませている、れっきとした未確認の怪異だ。顔も体も、ヒトと魚の中間みたいな存在なんだそうだ。どうだ、興味あるだろ」
まあね、と相槌を打った女は、眩しそうに空を仰ぎ見る。そこには煩雑なビル群の姿はどこにもなく、ただ青々とした空だけが広がり、中を白い雲が悠々と泳いでいる。
「なんだか不思議な気分ね。よろずの仕事があったのに、いまやこんなに単純になっちゃって。ただ見て、書くだけよ?」
「奥が深いし仕事じゃないか。作業量的にはそりゃあ前よりもマシだが……。そういえばマイカ、おまえトーキョーにいたころの自叙伝も仕上がってないだろ」
「う……その通りでございます」
「だったら良い宿を探して続きを書かなきゃな。よろず屋としてのマイカが物語になれば、いつか伝承になる日だって来るはずだ。伝承になれば、俺たちはよろず屋としてもう一度、あの街に不死として帰ってこれる」
彼女は人魚の霊に背中を押され、少し照れ臭そうに笑うと振り向いた。
「判ってるわよ。さあ、次の仕事場所に向かいましょうか!」
エージェント・マイカ、つまり私は、清々しい風を胸いっぱいに吸い込むと、こうして2020年の亜米利加の大地を駆けだしたのだ。私がこの奇妙な数日間の体験を小説風に書き留めるのは、この後のことになる。




