#12
「消滅って……どういうことだよ」
「文字通りだ、消えて無くなる」
百神は極めて単調に、言葉少なくそう告げた。私は助けを求めるように兄さんの方を見たが、彼はまっすぐ私を見つめながら、その頭を縦に振った。耐えられず、私は声を上げる。
「意味が分からないわ。身体が原子レベルでバラバラになるってこと?」
あり得ない、と呟いた私だったが、自分が見当違いな返事をしていることくらいは自覚していた。そして見当違いな言葉というものには訂正が付き物だということも。
「違うよマイカ。生物学的な死ではないと言っただろう。なにせ君自身はもう、純粋な意味での生物ではないのだから」
予想通りご丁寧に訂正をいれた百神だったが、彼のその言葉に軽蔑の色はない。
「ほらマイカ、覚えているだろう。君がこの街に来てすぐ、この街に未知のコンピューターウイルスが流行ったことがあったな。そしてあの時はまだ一旅行者に過ぎなかった君に一方的な嫌疑がかかり、一部の過激派が勝手に君に凌遅刑を実行しようとしたことがあった」
「あ……あったっけ」
「おいおい冗談だろう、あの時僕は結構焦ったんだぞ。あの頃はまだ君と直接の交流は無かったが、せっかくの新規のお客候補ならびに貴重な《来訪者》が死んでしまうという意味では、僕にとっては大きな損害だったんだ」
「覚えてないわ。美龍、覚えてる?」
「……いや、なにせ俺たち処刑云々には慣れてるからな、一個一個のイベントのインパクトが薄い」
大きくため息をついた百神は、君たち……と呆れたように言葉に詰まる。
「凌遅刑だぞ凌遅刑。たとえ煮ても焼いても死なない身体だとしても、凌遅刑によって死なない論理は理解できない。マイカの身体が文字通り千回切断されたとして、その一つ六十グラム少々の肉片が……」
「五十グラム少々よ。それに子供の前なの、スプラッタな描写は控えてほしい」
「ああ失礼……では言葉を濁そう。約五十グラムの肉片が、だが」
百神は私の顔色を見ながら言葉を続ける。
「その肉片一つ一つがどうして生きていると見なせるんだ。無理だろう。実際にあの刑が施行された場合、生物はどれほど強靭な生命力を持っていたとしても死ぬ。間違いなく死を迎える」
彼の言いたいことは理解していた。凌遅刑とは、生きたままその身体を切り落としていくという処刑法だ。科された者は死ぬまで------あるいは死しても尚その身に刃を突き立てられる。歴史に名を残す人物の中でさえ、この残虐な刑により死を迎えた者は数多く存在する。
「だが舞夏は死ななかった、だろ?」
兄さんはそう呟き、百神に続きを促す。
「ああ。君たち本人は忘れているようだから僕から事の顛末を伝えよう。マイカ、君は縛り上げられはしたものの刑は執行されなかったんだ。正確には執行できなかった。用意した処刑用の刀は何故だか全て折れてしまっていたし、処刑を行った者たちがもたもたしてるうちに他の者が事態に気付き、君は解放された。疑いの段階でこのような目に遭わせてしまったことを詫びるという形で、君はこの街の居住権を得るに至った。思いだしたかい?」
「いや……全く思い出せないわ。そんなことあったかしら」
「俺も。そんな『執行されなかった処刑』なんぞいちいち覚えてないっての」
「はは……君たちはホント、変な意味で気が抜けているというか……」
百神がははは、乾いた笑いをこぼす。
「まあいい、さておきここからが本題だ。つまり、何故凌遅刑が執行されなかったのか、について今から検討していく。もちろん単に、偶然の重なりによるものであるという可能性も否定はできない。現実世界にご都合主義は存在しない以上はね」
そう、私は主人公ではないのだ。私はこの街の、その一角でよろず屋を営む一人の人間に過ぎない。街は私の個の意志に関わらず脈動し、私の存在に関わらず日が暮れて夜が明ける。ヒト一人くらい消えたって気付かれない、なんて時代こそ去ったものの、個の集合としての全に対して個が為せる影響は微々たるものだ。
「だがそうではないとしたら。僕はずっと、その答えを探してきた。はじめて君の不死を知ったその日から、毎日毎日考えてきた。僕の不死は物理的で、疑似的なものだ。僕は予備機体を全て破壊され、記憶と人格のバックアップを全て破棄された瞬間に死を迎えてしまう儚いものだ。絶対的なものでは決してない。だからというべきか、君の不死に興味があったんだ。もしかすると僕の唯一の不安を取り除く要を、君が持っているのではないか、と思ってね」
そして結果は単純だった、と百神は一言語尾に付け足すと、続きを告げることなく口を閉じた。私達の理解が追い付くのを待っていてくれているのだ。
百神は、彼は彼なりの意図をもって私と交流していた。それは彼の所属するこのクラフティアンという機関の意志とはまた別に、彼の心に秘めていた意図であった。私はこの知人にたった今、私が彼に抱いていた感情以上に肥大した感情を抱かれていたのだとカミングアウトされたのだ。
それに対する感想は嬉しい、などというものよりもむしろ気持ち悪い、に近い。だが不思議と不快ではないのも事実であった。
ここ数日の間に百神や兄さん、それにセキエンちゃんとの交流を通じて、何度も感じてきたこの気持ち悪さは、いわば自然なものだということまでは私は思い出していた。妖怪は至って判りやすいが、人間は渾然さを煮詰めてカタチを整えたような存在なのだ。百神も妖怪のように掴みどころのないが、本質は人間であったという、ただそれだけのことに過ぎない。
「結果はこうだ。マイカは怪異に片足を突っ込んでいたんだ。死なないというよりはむしろ、死んではならないと言った方が近い。もし死んでしまったら人魚伝説が不成立になってしまうから。人魚の肉を食べたうえで死んでしまう存在は、御伽噺が存続している限りは出現しない。人魚伝説が認知されているうちは、君は人魚伝説に守られている。半ばご都合主義な展開になってまで、君は死を回避できたのはそれが原因だ」
だが事情は変わったんだよ、と百神はそこで表情を暗くした。
「僕たちの調査によると、この街に純粋な人間はもう誰も残っていない。僕たちはもちろんマイカを知っているし、人魚伝説も認知している。だがこの街の怪異の多くは、よろず屋としてのマイカを認知していても人魚伝説そのものは認知していないんだよ。君がよろず屋としてこの街の一部になるにしたがって、君は次第にただの人間として扱われていった。世間は君を比丘尼として見ていない」
「あんたらが認知しているんだったらそれでいいんじゃないのか?」
「いや、そうではないよ美龍。大事なのは世間での共有率だ。たとえば……そうだな、ネスキーレを知っているかい?」
「いや、初耳だ。マイカは?」
「知らないわよ。お酒か何かかしら」
「違うね。セキエンちゃんは知らないだろうし……八雲はどうだ、君は知っているか?」
百神は問いにいやに含みを持たせつつ、兄さんに投げかけた。兄さんも百神の顔を意味ありげに見るが、澄ました顔でこう告げた。
「いいや……俺は知らないよ」
その答えに百神は満足したようだ。彼は嬉々として自論を展開していく。
「そうか、ではこの場にいる五人のうち、ネスキーレの存在を知っているのは僕だけという事になる。ならばどれだけその存在を主張したとしても、この五人のコミュニティの中でそれが受け入れられることはないだろう。ここでは単純に存在しているか否かの問題だけではなく、多数決の概念が密接に絡んでいることが理解できるだろうか」
百神はそう言い放つと、その顔に垂らした白地の布を取り外した。金属製の顔が顕わになる。
「機械化人間は信じるか?」
私が微かに頷いたのを見て、彼は満足げにまた布を取り付ける。
「では人魚の存在を信じるか?」
私はまた頷く。今度は美龍もハッキリと頷いた。
「では機械化された人魚は?」
私達は一瞬言葉に詰まったが、やや躊躇いがちに頷くことにした。
「何故だい。見たことがあるのかい?」
「いや、無いわ。でも理論的には可能でしょう」
「ではネスキーレはどうして存在していると断定できないんだ」
「それは……聞いたこと無いから、理論の組み立て用がないもの。私も美龍も……」
そこまで自分で言いながら、私はハッとして百神の顔を見た。彼はすぐに頷いた。
「そういうことだ。実際に存在しているかどうかはこの際どうでもいいんだよ。たとえ存在しないモノでも、認知さえされればそういうものが存在すると見なすコミュニティが成立する。だがその存在を知らない者が多数を占めるコミュニティの中では、存在はそれそのものとして生きていくことは許されない。その存在が現状認知されている姿へと変貌するんだ」
「つまり人魚を喰った舞夏からよろず屋の人間マイカへと、舞夏に対するこの街の認識が変わったということだ」
一瞬百神の説明に置いていかれそうになった私を見かねて、兄さんが百神の説明を端的にまとめてくれた。
「よろず屋は妖怪でなくとも務まる。だが、多くの妖怪たちを生かすという形でこの街の歯車の一つを担っている舞夏が、だからといってそう簡単に死んでしまってはこの街にとって大きな不利益が生じる。ひょっとすると、社会そのものが瓦解しかねないほどだ。だから街そのものの生存本能、一種の集合的無意識がマイカの不死性を延命させる存在を用意するに至った。それが……」
百神は私から視線を外し、美龍の方を見た。だが美龍は下を見ていた。
その先には、セキエンちゃんの姿があった。
「今回の《来訪者》発生のメカニズムだ。君のことを比丘尼だと信じて疑わない人間が増えれば増えるほど、不死の伝承は生き永らえるのだから。結果街は石燕の嬢を選び、彼女は時を越えてこの街に迷い込むに至った。石燕はエージェントの一人であり、この少女は彼の姪にあたるそうだ。僕たちはその事実を知った。そして君を延命処置とエージェントの姪の保護を同時に満たすべく、マイカに下層に来てもらうことにした」
「それが鳥山石燕か……」
「ああ。彼はこことは違う時代で任務に就いているエージェントだそうだ。僕たちが直接出会ったことは無いが、エージェントの名簿には記載があった」
「そこに関しては詳しく聞くまい。だが下層に来てもらうとは大層な言い回しじゃねえか。突き飛ばすことは送迎と言わんぞ。なぜここのエレベータを使わせてくれなかった兄貴殿」
美龍が私の代わりに反論する。兄さんはここまできても、まだ一向に悪びれる様子を見せない。
「エレベータはエージェント専用の移動経路だ。舞夏を上層から乗せるには、まず彼女をエージェントにする必要がある。だがそれでは順序が逆だ。目的と手段は取り違えられてはならない。舞夏は石燕の嬢による延命措置を受け、その後ここに辿りつく必要がある」
「何故」
「俺にも判らん。だが《来訪者》は意味を持って出現する世界そのものの意志だ。ないがしろにすることは許されない。舞夏がエージェントになった瞬間、石燕の嬢は舞夏の延命装置としてではなく、単なる迷い子としてこのトーキョーに存在することになる。街の意志に守られているならいざ知らず、ただの人間は喰い殺されるのがこの街でのオチだ」
「あ、あの、兄さんに兄さんなりの事情があったのだとしても、どうして私を突き飛ばしたの? 事情さえ説明してくれたら、ロープなりなんなりで安全に降りる方法だって……」
「説明を聞いただけですんなりと降りてくれるとは思えない。そんな回りくどいことをする手間を取らなくても、突き飛ばせば問答無用で下に落ちるんだからこの方が手っ取り早いだろう。君が消えてしまうリスクを残すよりかは、怪我をさせてでも下層に突き飛ばした方が任務を確実にこなせるからな。良いじゃないか、落下しても君は死なないんだから」
ここに至ってはじめて、私は兄の異常性を言葉から感知するに至った。確かに彼はある意味で私を大事におもってくれている。愛していると言い換えていいほどだろう。だがその目的を果たすためには、彼には手段を選ぶという選択肢がない。
「------だが所詮はそれも焼け石に水にすぎない。だが生き永らえる方法ならある。少々無茶な方法だし、君には多くのものを捨ててもらわなければならない。だが、俺もエージェント百神もそれを望んでいる」
そして兄さんは私の理解を待つことなく、至って真剣な口調で、ある提案を告げた。それは今までの会話から、私にはなんとなく想像がついているものだった。目的と、それと手段の関係。
「舞夏…………クラフティアンに入らないか」




