#11
八雲兄さんの後をついて、私たちはスカイツリーの内部に入った。私が前に来た時と比べるとずいぶんと内部構造が違っていて、一見すると研究所かなにかのようにも見える。大理石の床、全面ガラス張りの部屋、煌々と光る蛍光灯。そして時折すれ違っては会釈してくる、白衣を着た人々。
「彼女らは……?」
私はすれ違った白衣の女性に軽く頭を下げながら、私は声を落として兄に声をかける。彼はスカイツリーに入ってからというもの、特になにかの説明もすることもなく、ただどこかへ向かって歩き続けるだけ。そして私たちは、彼の背を見失わないように後をついていくだけだった。
「ん……あ、ああ。ここの研究員だね。下層域に発生する怪異、妖怪たちの個体数の変遷を観測している」
「ヒト?」
「いや、彼らは全員オートマタだ。研究主任は〈保有者〉だがな」
「気取った言い方をしなくても、素直にからくり式人形と言えばいいだろう」
「だろーう!」
美龍がお得意の、すこし尖ったモノの言い方をする。彼はやはり兄さんを信用しきれていない様子で、そんな美龍の語尾を、セキエンちゃんが意味も判らず復唱した。いつのまにか彼女も目を覚ましていたようだ。
「いいや美龍君、彼らは明確にからくり式人形と区別されるべき物だよ。たとえば……ちょっとキミ、いいかい?」
兄さんはちょうどすれ違った青年の肩をぽんと叩く。彼は紙束やらバインダーやらを両腕に抱えたまま、きょとんと首を傾げた。
「私でしょうか、エージェント」
「ああそうだ。君の稼働開始年度と、製造地を教えてくれるかな」
「ええ。稼働開始は西暦9411年です。製造地は漫識特です」
「ご苦労様。もう結構だ、業務に戻り給え」
青年は私達にも軽く会釈をし、セキエンちゃんにも丁寧にほほ笑むと、足早に廊下を歩き去っていった。
「ねえ兄さん、今年は9413年よね。ということは先ほどの研究員は……」
「そう。英国仕込み、稼働三年目の機体だ。どうだ、日本製ならからくり式でも、海外製ならオートマタだろう。わかってもらえたかね美龍君」
「海外か……それは考えもしなかった」
トーキョーは基本的には閉鎖コミュニティですから、と兄さんは機嫌を良くして言葉を続ける。美龍が不服そうながらも大人しくなったからだろうか。
「ちょうど三年ほど前に倫敦との共同開発プロジェクトがあって、その時に派遣された研究員1グロスをそのまま譲り受けたんだ。データの同期を済ませたら輸送にかかるコストは無駄だとはいえ、気前がいい連中だ。ありがたく使わせてもらっている」
彼は廊下の途中で立ち止まると、通路右手のキーカードリーダーに黒いエージェントカードを滑らせる。赤いランプは緑色に切り替わり、自動ドアが音もなく開いた。
「第一のセキュリティチェックだ。ここはゲスト用のカードでも開くけどね」
扉の奥には、また細長い廊下が続いていた。だがその内装は、さきほどまでの無機質さとは打って変わって、左右の壁に色とりどりの絵画が目を引いた。
「ここは来客対応を兼ねている。我々クラフティアンはどういった存在なのか、丁度いいのでここを歩きがてら説明していこう」
私達は促されるままに兄さんの先を歩く。注意深く左右の絵画に目を向けていくと、どうやらそれらはギリシア神話をモチーフにした西洋絵画のようであった。自らの子を齧るクロノス神や、沐浴をするアルテミス神、冥土の渡し守カロンらの姿もある。どれも有名な絵画の写しのようだが、枠はなく、全ての絵画が同じキャンパスの中に乱雑に配置されていた。
「こっちに山海経も、他の大全収録の絵もあるぞ。どういうことだ」
「ねえマイカ、これなに?」
振り返ると、すぐ後ろで立ち止まっていた美龍たちは天井を見上げていた。セキエンちゃんが指さす先には、ヒトの頭をもった蛇の怪異の姿が描かれている。それは。
「お嬢、それはアツユですよ。貴女がさきほど創り出したアツユの、もう一つの姿です」
私が答えるよりも素早く、兄さんがセキエンちゃんに優しく微笑んだ。そしてすぐに神妙な面持ちになり、彼はその奥の廊下に焦点を合わせる。
「ヒトは古来より、モノに命を吹き込む術を持っていた。自然現象、勘違い、流言飛語にカタチを見出し、名前を与えることでヒトはヒトなりに世界を解釈していった。時代は流れたが、その方法が伝承から科学技術へと姿を変えただけに過ぎない。世界は細分化された」
促され、また私たちは歩き出す。絵画の登場人物は次々と変わってく。がしゃどくろ、姑獲鳥、ガネーシャ、ハヌマーン、シヴァ、ワイバーン、ハイドラ、メリュジーヌ、ケルヌンノス。地域も時代も描画方法も、奥に進むにつれて統一性が無くなっていく。
「怪異や神々とは一体何か、という問いに答えを出すのは容易ではないが、ただひとつだけはっきりしていることがある。それは、ヒトの存在なくしては宗教も神話も伝承も、みな存在することはできないということだ」
「それはどういうロジックだ。兄貴殿は唯物論者ということかな」
「そういうわけではない。僕だって、そうだな。something greatは存在すると思っているとも」
ただ観念的な話に過ぎない、と彼は廊下の壁をとんと叩いた。そこに描かれていたのは、西洋の画家が描いたのであろう美しい人魚の姿だ。
「宗教とは教えではない。人と人を。人と集団を。そして人と神を結び付けなおす行為というものが語源から見た宗教の捉え方だ。これはつまり、神が存在するかしないかは、宗教が成立するか否かに関わらないことを意味する。重要なのは神ではなく、それと結びつこうとする人々の存在の方だからだ。もし創造主がヒトを創らなかったら。もし火の神が粘土でヒトを生まなかったら、宗教は存在し得ない。誰も神を神と認識しないのだから。伝承も神話も同様だ」
語り継ぐ存在がいないのだ。そこにヒトがいなければ、怪異ですら怪しくもないし異なってもいない。彼らはヒトにとって怪しく、ヒトと異なっているにすぎないのだから。
「……だが今を見てみろ。ヒトの数は怪異や神々の存在を認知し続けられるほど多くない。さんざん世界のほぼすべてを怪異と見做しておきながら、ヒトはそれらを維持し続ける能力を急速に失ったんだ」
彼の言葉と時を同じくして、左右の壁に描かれた絵画もどんどんと数を失い、色を失っていく。
「怪異は今や、社会の中で大きな役割を果たしている。彼らをあらゆる手段を用いて存続させ、世界を維持する自浄作用を促進する必要がある」
「それが……、おっと、ここが第二のセキュリティチェックだ。来客用カードで自由に行き来できるのはここまでとなる」
通路の突き当りまで来た。既に双方の壁や床、天井は色をすっかり失い、タイルだけが並ぶもとの無機質な空間に戻っていた。壁のカードリーダーに読み込ませようと兄さんがカードを手に取った瞬間、真っ白なドアが勝手に左右に開く。そしてその先には立ち塞がるように、白衣を着た一人の人物が立っていた。
「う」
「何やってるんだいエージェント・ヤクモ。こっちには人手も時間もないんだぞ」
扉を向こう側から開けたのが彼だろう。彼はじぃと兄さんを睨むと、その視線を私たちの方へ向ける。
「それがクラフティアンだよ、マイカ」
彼は、百神だった。
**
私たちは百神のオフィスに通された。オフィスと言ってもたいそうなものは無いため、ひとまず来客用のソファに腰掛けることになった。座席には美龍の代わりにセキエンちゃんが腰かけ、彼はといえばふわふわとセキエンちゃんの頭上に浮かんでいる。
「改めて自己紹介をしよう。僕はクラフティアン研究班主任、エージェント・モモガミだ。マイカたちといままで交流してきた上層用身体とも、さきほど会った下層用身体ともまた別の機体だが、もちろん中身は君たちのよく知る僕で間違いはない。ここでの業務は主に、上下層の怪異やヒトの観測だ」
私たちはまたも、百神と再会を果たすことになった。そして最初に私たちが口にしたのは、自己紹介ではなく不信感となった。
「お前、グルだったのか」
美龍が心底残念そうに、悲しそうに眉をくもらせる。
「お前はいけ好かないところもあるが、根は良い奴だと思ってたんだが」
「心外だね。僕は君たちのことを大事なお得意様だと思っているとも。騙したつもりも、不利益を押し付けたつもりもない」
「だがこのヤクモって男の仲間なんだろう。業務内容の監視って奴が、俺たちに仲良くしていた目的だったのか」
「誤解だ。目的と手段は往々にして取り違えられる。僕は本心から、君たちよろず屋とは良い関係を築きたいと思っていたとも。それに……」
百神はちらりと兄さんに視線を向ける。
「エージェント八雲は単なる同僚だ。働き口が同じなだけで、思想まで同じと思われては困る」
そこで一旦白衣姿の百神は言葉を区切り、黙って話を聞いている兄さんに会話を向けた。
「八雲、君は一体何をしたんだい。美龍がたいそうご立腹じゃないか」
「別に。僕は仕事をこなしただけだ。大義は時にあらぬ誤解を生む」
「ああそうかい、君は仕事第一だからね」
「ねえ百神。あなたはさっき、ここに私が来れば、私が死ぬっていう老靴の予言の意味がわかるって言っていたわよね」
会話の切れ目を狙って、私は百神に話しかけた。
「あれはクラフティアンのエージェントとしてのあなたがそう言ったのかしら」
「そうだとも」
「でも上層でこのスーツケースをくれたときは、そんな素振りなんて少しも見せていなかった。一貫性が無いのはどういうこと?」
彼は死の予言の直後、心配してわざわざ家を訪ねてきてくれた。それに土産まで渡してくれたのだ。だが今の彼はおおよその事情を把握しているような素振りさえ見せている。最初のは、すべて演技か何かだとでもいうのだろうか。
だが彼は、その点に関しては明確に否定してみせた。
「あの時の僕はまったく事情を把握していなかった。だがあの直後に研究員から〈来訪者〉の予兆が観測されたと報告を受けた僕は、とある仮説に思い至ったんだ。それは今に至るまであらゆる事象によって反証されておらず、むしろ支持されている以上、ほぼ事実だと見なしても良いと思う」
百神は少し汗ばんだ額を、取り出した無地のハンカチで軽く拭った。彼とはほんとうに、ほんとうに長い付き合いだ。彼が私たちの敵であるとはどうしても思えないし、彼が嘘をついているようには見えない。もしそうなら、もっと前になにかしらの行動を起こしているはずでもある。
「では……その事情を教えてもらえるかしら」
私が迷う素振りもなしに、間髪入れずに百神に畳みかけると、彼は困ったように、またちらりと兄さんの方を見た。兄さんが無言で頷くのを確認すると、はぁ、と深いため息をついた百神は、やがてその口を開いた。
「マイカ、君の……」
天使が通り過ぎたかのような沈黙が、一瞬だけ私の心臓を高鳴らせる。
「君にとっての死は生物学的な死ではない。人魚の肉を食べた時点で、伝承に基づき君の肉体は滅びない。だが伝承そのものが消滅するなら話は別なのではないか、というのが僕の仮説だ。忘れ去られゆく伝承の一つとして、君は存在ごと消滅してしまうんじゃないか?」
どく、どく、どく。いや、一瞬だけでは、なかったようだ。




