203Y年3月13日 北京
203Y年3月13日 午後7時
中華人民共和国 北京市 中央軍事委員会聯合参謀部指揮センター
北京の北西、西山の山肌に隠された地下数百メートル。核攻撃にも耐えうる厚い花崗岩の層に守られた指揮センターは、今や墓場のような静寂と、焦げ付くような殺気が入り混じっていた。
無数の光ファイバーが神経のように張り巡らされた巨大な壁面モニターには、日米連合軍の報復攻撃によって、十数時間経った今もなお黒煙と紅蓮の炎を噴き上げる寧波や福州の無残な衛星画像が映し出されている。
鉄壁を誇ったはずの防空網を食い破り、百発以上もの巡航ミサイルが中国本土に着弾したという冷酷な事実は、中国人民解放軍の威信を再び、完膚なきまでに打ち砕いていた。
「……これで、東海艦隊も航空部隊も、再起不能に近い打撃を受けたな」
東部戦区司令員の張遠平上将が、血走った目で呟いた。その隣では、中央軍事委員会副主席の陳世東上将が、震える手で何度も火をつけ直しながらタバコを握りしめている。
「主席は次に何をお命じになることやら。日本へ向かうタンカーへの無差別攻撃か、はたまた核攻撃か……」
空調の効いた室内は、本来なら無臭であるはずだが、今の彼らには敗北という名の饐えた臭いと、焦燥の汗の臭いしか感じられなかった。彼らにとって、外敵からの攻撃以上に恐ろしいのは、地上で「責任追及」という名の狂気を加速させている周華平主席の存在であった。
その時、張司令員の腹心である情報将校が、顔を蒼白にして駆け寄ってきた。
「司令員、副主席……。至急、これを確認してください。国家安全部の専用回線を、我々の情報局が傍受しました。……周主席と李建国国家安全部長の密談です」
差し出されたタブレット端末には、最新の量子暗号解析によって復元された音声データと、その全文記録が表示されていた。二人が画面を覗き込んだ瞬間、心臓が凍りつくような文言が並んでいた。
【傍受記録:三月十三日 一七一五時】 発信者:周華平 受信者:李建国
周:「例の件はどうなっている。証拠は固まったか」
李:「はい、主席。米NSAとの秘密通信記録、および暗号資産による多額の資金提供の証拠、すべて揃っております。連中の裏切りは明白です」
周:「やはりそうか……。与那国、釣魚島、あるいは今朝の爆撃。これほどの物量を投じながら日米に勝てないのは、わが軍が無能だからではない。軍内部に、日米に情報を流し、意図的に作戦を混乱させた裏切り者がいたからだ」
李:「ご命令通り、主要な裏切り者のリストを作成しました」
周:「読み上げろ」
李:「第一に、東部戦区司令員の張遠平。彼は開戦前から日本の駐在武官と密かに接触して情報を漏洩し、与那国島を占領したわが軍の部隊に対して、主席のお名前を無断で使用し独断で降伏を命令しました。 第二に、中央軍事委員会副主席の陳世東。彼は米軍の『鋼鉄のカーテン』展開情報を事前に得ていたにもかかわらず黙認し、艦隊を死地に追いやりました。 さらに、ロケット軍司令官の王武、後勤保障部部長の趙勇……計十二名です」
周:「許せん。中華民族の偉大な復興を汚した売国奴どもめ。もはや一刻の猶予もない。李、ただちに武装警察部隊の精鋭を動かせ。明日の日の出前までにリストにある全員を逮捕し、即刻、銃殺刑に処せ。裁判など不要だ。見せしめとして、中南海の門前に首を晒せ」
李:「承知いたしました。直ちに取り掛かります」
読み終えた張司令員の指先が、怒りと恐怖で激しく震えた。
「……やはり、そうか。あの男、我々をスケープゴートにして、皆殺しにするつもりだ」
張は、隣に立つ陳副主席と視線を交わした。副主席の目からも迷いが消え、代わりに冷酷な生存本能が宿っていた。
「ふざけやがって! 最初から、もっと早くからロケット軍を果敢に動かして日本と米国の基地を完膚なきまでに叩きのめしておけば、我々はもっと有利に戦えたんだ! それを李建国の腰抜けが、『戦わずして台湾を取る』などと戯言を吹き込み、周華平の間抜けがそれを真に受けて、限定戦争だの言いやがったくせに!」
陳副主席は、吸いかけのタバコを床に投げ捨て、軍靴の踵で冷酷に踏み潰した。
「副主席、我々が捕まるのを待つか。それとも、北京に新しい『夜明け』を連れてくるか。どちらかです」
「……周は、もはや党と国家の偉大なる指導者ではない。わが軍を、わが国を破滅に導く狂人だ。李の武装警察が動く前に、我々の手駒を動かす」
陳副主席は、作戦用モニターの端に隠されていた、軍専用の秘匿直通電話を手に取った。北京の南西、交通の要衝である保定に駐屯する、解放軍最強の精鋭部隊への回線だ。
「第八十一集団軍司令員、江につなげ……私だ。合言葉は『冬の終わり』。直ちに清君側を発動しろ。準備を開始せよ」
十数分後、北京を取り囲む各駐屯地の空気が一変した。
保定の中国人民解放軍中部戦区陸軍第八十一集団軍基地では、就寝前だった兵士たちが緊急召集のサイレンによって跳ね起きた。武器庫の重い扉が次々と開かれ、実弾が詰められたマガジンが各分隊に配備されていく。
車両待機所では、九九A式戦車や歩兵戦闘車のディーゼルエンジンが次々と火を吹き、重低音の唸りが夜の闇を震わせ始めた。整備兵たちは無言で車体に「敵味方識別」のための白い帯をペイントし、指揮官たちは地図を広げ、北京中心部――中南海、天安門、そして国営テレビ局への進路を指でなぞる。
北京近郊の空軍空降兵(空挺)部隊駐屯地でも、輸送ヘリのローターが回転を始め、完全武装の特殊部隊員たちが機体に吸い込まれていく。
ちょうど中南海の公邸にて、与那国島と台湾の間の海峡上で戦術核兵器を爆発させ日本の反戦世論を一挙に沸騰させるという自身の「勝利計画」を李建国部長相手に熱弁していた周華平主席にとっては全く思いもよらないうちに、巨大な暴力の塊が、独裁者の喉元へ向けて静かに、確実に鎌首をもたげ始めていた。




