45.ん ~おわりではじまり
その小さな森の奥には、魔女の店があるのだという。
ほんとうなのだろうか。
まだ幼さが残る顔立ちの少女は、薄暗い森の中を歩きながら、首を傾げていた。
どこにでもある平凡な森だ。
時々小さな動物が跳ねるように横切るのも、生えている木々も、少女が生まれ育った場所と変わらない。
魔女が住むくらいだから、おどろおどろしい花が咲いていたり、恐ろしい魔獣が現れたり、道には魔法がかけてあって、侵入者を脅したりするのかと思っていたのに。
森の中をまっすぐに続く道は細いけれども、手入れされていて歩きやすい。
横から変な魔獣も飛び出してこないし、咲いている花は可愛らしかった。
森の近くの村で、店の詳細を聞いたときは、皆『あの魔女は変わっているから』と、苦笑ともいえるものを浮かべていたから、きっと怖いところだと思ったのに、これでは全然違う。
本当に、住んでいるのは魔女なのだろうか。
腕の中に抱える人形をぎゅっと握りしめると、少女は不安に押しつぶされそうな気持ちを振り払った。
本物かどうかは、今考えても仕方ない。
ここを教えてくれた人を信じるしかないのだ。
それでも不安になるのは、街にいる魔女には偽物も多いせいだ。
何軒か回った中で、本物は一人しかおらず、その魔女も、彼女が手に持つそれを直すことは出来きなかった。
申し訳なさそうに謝った老魔女がが、もしかしたらと教えてくれたのは、この小さな森。
そこに住む魔女は変わり者だが、腕はいいと、そう言ったのだ。
ただ心配なのは、お金。
魔女に何かを頼む時には、それなりの報酬がいる。
決して安くはないから、普通の人は魔女に難しい依頼はしない。せいぜい、手が出る程度のお守りや薬を買うくらいだ。
これを直してもらうには、どのくらいかかるのだろう。
手持ちのお金は、少女がお小遣いを一生懸命貯めたものだが、そんなにたくさんあるわけではない。もしかすると、駄目だと断られるかもしれない。
それでも、可能性があるなら頼みたいし、駄目ならばまたお金を貯めてくればいいだけだ。
少女にとって問題なのは、これが直るかどうかだけなのだから。
「あ、あの! ここは魔女の店ですか」
ようやくたどり着いた店はこじんまりとしていて、扉を開くと、ちりんと可愛らしい鈴の音がした。
はたきを持って立っていた人がいたので、少女が呼びかけると、その人はゆっくりと振り返る。
優しそうな女性で、少しほっとした。
「ま、ま、魔女にお願いがあるんです」
少女がそう言うと、女性は優しい笑みを浮かべる。
「ようこそ、魔女の店へ。用件は何かな」
そう言って目線を合わせてくれたその人からは、魔力は感じられなかった。
どうやら、この人は魔女ではないらしい。
「魔女に用があるのね」
「は、はい」
穏やかな声につられるように、そう言った時だった。
「おやおや、自動人形じゃないか。珍しいね」
ふいに横から手が伸びてきて、少女の腕の中にあった人形を取り上げた。
少女は、びっくりしすぎて、そのまま固まってしまう。
もう一人、誰かがいたなんて、気がつかなかったのだ。しかも、その人は、背の低い少女を見下ろすようにして、にやにやと笑っている。
「雫さん、驚かしてどうするんですか」
優しそうな人が、たしなめるように言って、少女の頭を撫でてくれた。
「いや、こんな幼い魔物なんて初めてみたからね」
「だからといって、子供相手に駄目でしょう」
うまく変装していたつもりだったのに、自分のことを魔物だと言い当てた女性に、少女はこの人が魔女なのだと確信する。
それならば、話が早い。
「そのお人形、ずっと昔に、魔女が作ったものなんです。壊れて動かなくなってしまったの。直そうとしたんだけれど、余計におかしくなって・・・・」
そこまで話したとたん、ぽろぽろと少女の目から涙がこぼれだした。
魔女が作った不思議な人形は、彼女が母親から譲り受けたものだ。母親は、さらにその親から貰ったのだという。魔女と親交があった少女の祖母は、誕生日のお祝いに、自分で動き、呼びかければ答えるという不思議な人形を贈られたのだと聞いている。
数年前から、少しずつ動きがぎくしゃくしてきていたのだが、つい最近、とうとう壊れてしまった。魔物と魔女が使う魔法は、似ているとはいえやはり違うものなので、少女が直そうとすればするほど、人形は駄目になっていく。
諦めて母親に泣きついたら、魔女に頼んでみなさいということになったのだ。
「直せますか?」
おそるおそる尋ねると、『たぶんね』と気のない答えが返ってきた。
「あまり期待されても困るけど、やれるだけはやってあげるよ」
やる気なさげな様子に、心配になる。
見た目が魔女らしくないし、服はだらしなく着込んでいるし、髪もぼさぼさだ。
街で見かける魔女みたいに、黒っぽい服や怪しげな飾りをつけているのも胡散臭いが、これは別の意味で怪しい。
「大丈夫よ。こうみえて、雫さんは出来ないことを出来るとは言わない人だから」
優しげに笑う女性が、力強い口調で言う。
ごく普通の人間にしか見えないが、彼女が言うと何故か説得力があった。少なくとも、魔女よりは信用できそうに見える。
「は、はい。よろしくお願いします」
深々と女性の方に頭を下げると、横の板魔女は不機嫌そうに息を吐いた。
「えらく、態度が違う気がするよ」
そう言いながらも、その魔女は部屋の奥へと消えていく。どうやら、本気で直してくれるらしい。
人形は元通りになるだろうか?
それとも駄目だろうか?
なにもかもが自分の想像と違った魔女に、期待半分、不安が半分の気持ちのままだが、今は結果を待つしかない。
「お茶でも飲まない?」
じっと扉を見ていたら、声をかけられる。
いつのまにか、少女の目の前には、おいしそうなお菓子が並んでいて、にこにこと笑う女性が、彼女に椅子とお茶を勧めてくる。
変な店。魔物相手に、お菓子を出すなんて。
そう思いながらも、お菓子を食べ始めると、居心地のよさに待ち時間も気にならなくなる。
修理の代金も、彼女の手持ちの金額を見た女性が、大丈夫だと言ってくれたので安心した。
もしかしたら、本当はもっと高いのかもしれないけれど、お金に混じっていた石が高価なものだったから平気よと笑う。家の近くで拾った石がそんなに価値あるものなんて信じられないけれど、喜んでいるようだしいいかなと思う。後で、誰かに本当なのか聞けばいいし、違っていたなら、その分のお金を持ってくればいいだけだ。
結局、ちっとも、怖いお店じゃなかった。
噂なんて当てにならない。
おいしいお菓子もあるし、もし、人形が直ったら、皆に自慢しよう。
魔物さえも平気なお店だったよと、言ってみよう。
お母さんはびっくりするだろうし、友達は来てみたいというかもしれない。
そんなことを考えながらお菓子を食べていたら、お腹がいっぱいになって、だんだん眠くなってきた。
まだお菓子は余っているし、人形のことも気になるけれど、我慢できずに、少女は目を閉じてしまった。
目が覚めたとき、ちゃんと人形が直っていればいいな。
まどろみの中、小さな魔物はそう願った。
その国のとある場所には、魔女の住む森があるのだという。
代替わりしながら続く魔女の店で売られているのは、役に立つ薬から得体のしれない品物まで様々。時には妙な依頼を受けることもある。
やってくる客も普通ではない。
普通の人から、魔物まで、訪れるのは様々な種族たち。
最近では、人外の方が多いんじゃないかと呆れるものもいるが、元々訪ねてきた客は断らない。
だからなのか、店を知るものは皆、苦笑しながらも言うのだ。
『あの店は変わっている』
魔女たちは、それを笑いながら肯定する。
『好きにやっているだけだから』
そう楽しそうに言う。
それだけは、魔女が代わっていっても同じなのだ―――いつまでも、永遠に。