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23.ぬいもの

 その日の店内は、いつもよりも静かだった。

 春近いせいで、窓から差し込む光は暖かいが、客は訪れない、という理由だけではない。掃除も片付けも済ませ、暇になった多紀が、さきほどから無言で縫い物に専念しているせいだ。

 彼女の膝の上には、布が広げられている。

 足下に置かれた籠には、色とりどりの端切れや糸、裁縫に使う道具が詰め込まれており、手を止めた多紀が、時々そこから鮮やかな糸を取り出していく。

 少し離れた場所でぼんやりとそれを見ていた雫はというと、邪魔にならないようにと静かにしていたが、やがて「飽きないねえ」と呟いた。

「飽きませんよ」

 すぐに返事が返ってきたものだから、雫が肩をすくめた。集中しているようで、ちゃんと周りのことは見ていたらしい。

「飽きるとか以前に、早く仕上げないと、姪の誕生日に間に合わないです」

 話をしながらも、多紀の手は止まらない。慣れているといってしまえばそれまでだが、雫のように面倒な作業が好きではない人間からすれば、何時間も同じことを繰り返す多紀には感心するばかりだ。

 今、多紀の膝の上にあるのは、子供服である。襟や袖、広がった裾の部分に様々な糸で綺麗な刺繍が施されており、あきらかに普段着ではない。手の込んだ刺繍を晴れ着に施すのは、この地方ではごく普通のことで、子供の祝い事では、必ず親戚や親しい友人が贈るのだ。

 手間も時間もかかるものなので、最近の祝い物は小物ですますということも多いが、多紀は、姪にせがまれたということもあり、今回は晴れ着を作ることに決めたのだという。

「確か、3日後だったかい? あのちっちゃな子が、もう6つなんだねえ」

 しみじみと雫が言うのは、彼女が多紀の姪のことを生まれたときから知っているからだ。他の子供たちよりも体が弱く、何かあればすぐに寝込んでいたせいで、何度も雫の薬の世話になっている。具合を見るために、姪の家にも訪れたことがあるから、互いに面識もあった。

「おかげさまで、今ではよほどの無茶をしなければ、外で普通に遊べるようになりました」

 他と違って、魔女が近くにいるこの村では、小さな子供が亡くなる率が低い。もちろん、重い病気や怪我など、どうしようもない場合もあるが、それでも魔女が見てくれるぶん、軽い病気は余所よりも直ることが多いのだ。

 魔女の薬は高いが、普段から世話になっているからと、村の人間に限って割引価格になっていることも大きいのかもしれない。

 もっとも、苦くてまずい魔女の薬は、子供達の間での評判は悪い。多紀も、小さい頃は飲むのが嫌で泣いたことを覚えている。いくら後から甘い果物やお菓子をもらっても、口の中がいつまでもおかしな感じだったのだ。

 一度、もう少し味がなんとかならないのかと尋ねたが、そんな加工をするのは面倒だと言われてしまった。もちろん味を変えるために違う成分を入れることで、薬の効能が変わるかもしれないということもあるのだろうが、雫の場合、『面倒』という理由が一番なのは間違いない。

「もう少し元気になったら、きっとこの森にも遊びにきますよ」

 今はまだ、遠くへ出ることは出来ない。

 だが、それほど遠くないうちに、一人でここに来ることも可能になるはずだ。

「それは楽しみだね」

 なにしろあの子の子供だからねえ、と多紀は苦笑する。力だけは強く、生意気だった兄は、魔女によく突っかかっていた。多紀や柚那とは違う意味で、魔女を困らせていたのである。

 その兄も、今ではすっかり落ち着いて、真面目で働き物の父親だ。

「ところで、多紀。兄さんの子供の贈り物はわかるんだけどね。こっちのこれは、なんなんだ?」

「え、あ!」

 雫が足下の籠の中あら、ひょいとつまみ上げた小さな守り袋を見て、多紀が慌てたように手を伸ばした。

 反動で、膝の上の布が落ちる。その焦った様子に、雫は人の悪い笑みを浮かべた。

「子供にやるにしては、なんだかちょっと模様が地味だねえ。女の子向きじゃないし」

「そ、それは、別に姪にやるわけじゃなくて……。ちょっと布が余ってもったいなかったから作ったというか、なんというか……」

 語尾が、だんだんと小さくなっていく。心持ち赤い顔に、雫はさらに意地悪な笑みを浮かべた。

「ふうん? 姪じゃないなら、誰に? まさか自分で使うとか?」

「そうじゃないです。とにかく、返してください。まだまだ未完成だし」

 そう叫んだ多紀から、雫は距離をとる。

 普段はどちらかといえばゆっくりとした動作なのに、こういう時だけ、雫の動きは素早い。

「まあ、守り袋だからねえ。こういうのは、思い人とか、子供とかに渡すものだけど……へえ、時計が刺繍してあるんだね」

 本来、守り袋というのは中に瘴気避けの護符を入れ持ち歩くために作られたものだ。組紐がつけられていて、腰にぶら下げられるようになっている形が多い。今では中に大事なものをいれたり、薬を入れたりと違う用途に使われることもあるが、女性が作る場合、大抵渡すのは恋人だ。

 魔女の店にも、村の年頃の娘が、守り袋に入れたいからと、瘴気避けの護符を買いに、時々やってくる。

「時計ってくらいだから、あの男にでもあげるのかい?」

 あの男、という部分を妙に強調して雫は言う。

 多紀の返事はなかったが、微妙に泳いでいる目が、そうだと示していた。

「なるほどねえ。で、どうするんだい?」

「なにが、ですか」

「あの男のことだよ」

 雫は、多紀が彼から贈り物をもらったことを知っているし、男のところに薬を届けて帰ってくるたびに、ため息をついているのも見ている。あの男が、なんらかの言葉を多紀に言ったのは間違いないと思っているが、それがどんなことかまでは知らない。あからさまに告白をした、というわけではないだろうが、それに近いことは言われたはずだと、多紀の様子から推測しているのだ。

「好意を持たれているってのは、理解しているんだろう?」

 重ねて言うと、多紀は観念したように、動きを止めた。

「なんとなくは。でも、手のかかる魔女の世話で手一杯なんです。……それに、軍人さんだし」

「職業を理由にするなんて、らしくないねえ」

「わかっています、そんなこと」

 でも、恐いのだ。

 怪我をした姿を見なければ、知らないふりも出来た気がする。けれども、目の前で死にかけて苦しんでいるところを見れば、彼の職業を嫌でも感じてしまう。

 いつ死んでしまってもおかしくないのだ。

 近くならば、まだいい。どこか遠くの知らない地で亡くなれば、亡骸さえも帰ってこないかもしれない。大きな戦はなくても、小競り合いや魔獣討伐はよくあることなのだ。

「どちらにしても、後悔すると思うんです」

 側にいることを選んでも、選ばなくとも、いろいろ悩んでしまうだろう。これが正解だという答えがないことだし、軍人とつきあう覚悟さえできていないのだ。

「断っても、きっと今の気持ちを曖昧にしたって思うだろうし、受けたとしても、心配ばかりしそうだから」

 正直な気持ちを打ち明けると、雫はそんなもんだと笑った。

「簡単に選べるならば、誰だって後悔なんてしないよ。だから、思うようにすればいい。結局は、自分の気持ちだからね。ああ、気持ちに嘘だけはついたら駄目だよ」

「そうですね。昔、それで失敗しましたから」

 きちんと言葉にしていれば、側にいたかもしれない人のことを思う。

 今では、ほんの少し心が痛むだけで、恋する気持ちはないけれど、それでも、もしあの時こうしていればという悔いは残っているのだ。

 思えば、いつだってそんなことの繰り返しだ。

 結局は、自分が傷付くのも嫌なのかもしれない。若い頃ならば、想いだけで突っ走っていけたけれど、年をとったぶん、失うことが恐くなった。

 とても臆病で、恐がりな自分に笑ってしまう。

「好き、なんだろう?」

「まだ、わかりませんよ。……嫌いじゃないってだけです」

 いつまでも素直な返事を返さない多紀に、雫は手を伸ばして、指先でおでこをはじいた。

「あいた! 何するんですか」

「だらだらと考えすぎて、焦ることはないよ。まだ親しくなってそれほどたってないんだ」

 確かに、元々彼は店の常連客で、それだけの関係だった。距離が縮まったのは、本当に最近のことなのだ。

「どうせ、あとしばらくはあの男だって、職場復帰はできない。それまでいろいろ話して、考えて、どうするか決めればいいのさ」

 雫の薬があるとはいえ、瀕死の状態だった彼は、まだ体調が万全ではない。かなり動けるようにはなっているが、剣を持って戦うなど、今の状態では難しいだろう。

「だから、それを早く完成しちまって、会いに行ってきな。少なくとも、そういうものを渡したいって気持ちがあるんだろう」

「そうですね。そうなのかもしれません」

 時計をもらったお礼といういいわけをしながら、それでもお金や花というありきたりものもではなく、守り袋を選んだということ自体が、多紀の心が男に傾いていっている証拠なのかもしれない。

 いい加減、現実から逃げるのはやめて、ちゃんと向き合うべきなのだろう。

 その結果、どちらの答えを選んでもきっと後悔はする。だが、決めるのは、他の誰かではなく多紀なのだ。

「でもやっぱり、姪の誕生日が先ですよね。……約束破ったら、だめだろうし」

 楽しみにしていると嬉しそうに言っていた姪の姿を思い浮かべながら、それでも次に男の家に行く日を待っている自分がいることに、多紀はいまさらながら気づいてしまって、ため息をついた。

 恋はやっぱり難しい。いろんな感情が絡まって、思うようにいかない。好きになりたくない人を好きになったり、平穏な日々が送れそうな人を選べなかったり。

 そんなことを考えながら、まずは姪への贈り物を完成させなければと、針と糸を手にした多紀は、まだ守り袋を眺めている雫に小声で呼びかける。

「雫さん」

 雫の方は見ず、ただ膝の上の服を見つめていた雫の声は、普段に比べ低い。

「もしよければ、瘴気避けのお守り、作ってもらえませんか。料金はいくらかかっても構わないですから」

 守り袋に入れるのは、神殿が出す護符がほとんどだが、それよりも雫がつくった瘴気避けの方がよく効く。だから、村の娘たちもわざわざ雫のところへやってくるのだ。値段はそれなりにするが、多紀自身も、今回の怪我の原因を考えると、神殿の護符よりも雫のお守りがいいと思っている。

「安心しな。とびきりのお守りをつくってやるよ。ああ、料金は負けておくからね」

 その言葉に、多紀は照れくさそうに笑い、縫い物の集中するために膝の上の服を取り上げた。

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