24.ねごと
今日の月も綺麗だった。
窓の外の丸い月を見上げながら、多紀は前回の満月の夜のことを思い出す。
あの時には、雫の飲み友達の魔物が泣きながらやってきて、大変だったのだ。魔物の愚痴を聞きながらの酒盛りは、変な形で持ち上がったが、結局、当の魔物が最後は酔いつぶれてしまい、なし崩しに終わってしまったはずである。
さすがに、あれからそれほど時間もたっていないから、今日は酒盛りに来るのだろうか。それとも、引きこもったまま出てこないだろうか。
そんなことを考えていた多紀だったのだが。
「聞いてくれ! 雫!」
荒々しい音とともに店内に飛び込んできた男に、静寂は破られる。
「なんだい、うるさいね」
あきれたように雫が言い放ったとたん、ううう、と泣き出したのは、見慣れた美しい男だった。
「で、今日はなんだっていうんだい」
雫の言葉に、男は腫れぼったくなった目を伏せた。
おそらく今日も酒を飲む気なのだろうと、多紀はつまみになるようなものを、雫は奥の部屋から酒を用意して、すでに並べてある。
「実は、あれから新しい恋人が出来たんだ」
その言葉に、多紀の方が驚いた。
確かに、彼は見た目もいいし、魔力も強い。よってくる魔物も多いだろう。
押し切られると彼は断れないし、意外にほれっぽい。相手に好意を示されると、すぐその気になってしまうらしいのだ。
雫は、種族的に男が惚れっぽいのは仕方ないのだというが、それにしても、早すぎないだろうか。前の恋の傷が癒えて本人にとってはよかったのかもしれない、と言いたいところだが、今日の様子を見る限り、また何か問題が起こったのは間違いなかった。
それを聞くべきか、黙って彼が話すのを待つべきなのかと、多紀は悩んでいたのだが、雫は遠慮しない。
「その割には、さえない顔をしているね。また振られたのかい?」
何一つ飾らず、はっきりとそれを口にする。
「ま、まだ、振られてなどいない。……はずだ」
男の言葉は、語尾だけが、妙に自信なさそうだった。もごもごと何か口の中で呟いて、そのままうなだれた。
「だったら、喧嘩でもしたんですか?」
弱気な言葉に、思いつくのはそんなところだ。男の性格から、自分から喧嘩をふっかけるということはないだろうが、好きになる魔物は大抵気が強い。
「喧嘩ではない。彼女が寝言を言うんだ」
唐突な言葉に、多紀も雫も首を傾げる。
寝言と、振られるかどうかに何か関係があるのだろうか。よくある話だが、もしかして、前の男の名前でも言ったのだろうか。もちろん、それをはっきり言うのも申し訳なくて、男の次の言葉を待とうと多紀は思ったのだが。
「寝言で、知らない男の名前でも囁かれたのかい?」
雫の方はまったく遠慮がない。思ったことをそのまま口にしたのだろうが、それを聞いた男の目から、涙がこぼれそうになった。
「何故、わかったのだ!」
雫は苦笑している。一番可能性がありそうなことを言っただけなのだが、当たっていたらしい。
「適当に言ったんだけど、ねえ」
誰にともなくそう言って、雫は酒を呷った。からかうつもりだったからこそ、ありがちな喧嘩の原因をあげてみただけなのだ。それが当たっていたことに対して、少しだけ悪い気がしたのは、男が、振られて落ち込むことはあっても、ここまで打ちのめされるのは珍しいからかもしれない。
「あんたの名前を言い間違えてってわけじゃないのかい? あるいは、身内の名前を言ったとか」
それなりに長いつきあいだから、雫とて彼が悲しむのを喜んでいるわけではない。一応、可能性をあげてみる。
「彼女の身内にはそんな名前はいないし、私と似た名前でもなかった。スヴァトスラフなど、うっかり言い間違えるような名前じゃないだろう」
「まるほど。この国の名前じゃないね」
言いにくそうにその名前を雫は繰り返すが、発音がどこかおかしい。
この国の言葉を扱う人間にとっては、難しい響きなのだ。雫はもちろん、多紀もうまく言えないだろう。だが、何故かその名前を聞いた多紀は、首を傾げて、何度も名前を口にしている。
その様子に、男も雫も変な顔をして彼女を見つめた。
「ああ、思い出しました!」
多紀が大きな声をあげたので、それに驚いた魔物が、持っていた器を落としそうになる。
「な、なんだ、多紀。驚かせるな」
「思い出したんですよ。その名前、最近どこかで聞いたなって考えていたんですけれど」
「有名な名前なのか?」
男は興味を示したようだ。
「有名、と言っていいのかどうかわかりませんが、今、女性の間で流行っている物語の主人公の恋人が、そんな名前だったんですよ」
「物語?」
いぶかしげな男に、多紀は立ち上がり、店内に作り付けられた棚に近づくと、奥から一冊の本を取り出した。
「柚那から借りたんですけれど、王都で大人気の恋愛小説です。主人公は、辺境の村に住む娘で、偶然助けた人が異国の騎士で、二人は恋に落ちるんですが、実は彼には魔王を倒さなければならないという使命があって……」
ところが、魔王は先代から地位を引き継いだものの、人間を殺すことが嫌で、よく城を抜け出して、人間の村に遊びに来ていた。そこで少女と騎士に出会い、親しくなるが、やがてお互いの正体を知ってしまう。
主人公が、魔王と騎士の間で揺れ動いたり、魔王と騎士が敵と知りつつ友情を感じていたりと、様々な出来事が起こり、裏切られたり裏切ったり、それはもう波瀾万丈な展開なのだ。
「なんだ、そのべたべたな展開は」
「馬鹿だねえ、そういう王道な物語がいいんだよ。泥沼三角関係もありだけど、どれだけ不幸が襲ってきても、最後には必ず幸せになれるってわかってると、安心するだろう?」
実際、読んでいる人たちも、騎士や勇者などに憧れはしても、現実に彼らと結婚したいとか恋人になりたいと思っているわけではない。身近にいない存在に憧れて、わいわい言っているだけなのだ。
「現実にはありえないことですからね。小さな頃に読んだおとぎ話みたいなものです。素敵な王子様が迎えに来てくれる、みたいな」
雫たちの元へ戻ってきた多紀は、その本を男に手渡す。
庶民の間で流行っているというくらいだから、それほどしっかりした作りではないし、紙の材質も粗悪なものだ。だが、何人もの手を経てきたのはずのその本は、丁寧に扱われていたのか、状態はいい。
「そんなに流行っているのか?」
半信半疑な男は、ぱらぱらと本をめくり、読みやすく大きな字で印刷された文章を目で追う。
「村の若い女性は、大抵読んで、続刊が届くのを待っている状態です。ただ、あくまで主人公は人間ですから、それを魔物の方が読むかどうかは、わかりませんよ」
魔物には、人間世界のものを極端に嫌うものもいる。
考え方や文化が違うのだから仕方ないし、そのせいで、あまり人がいるところにはやってこないものも多いのだから、不思議はない。
「確かに、彼女は、人間世界の本を読むが、本当におもしろいのか? そもそも、魔王自体の概念がおかしいぞ」
何度も首をひねりながら、男は言う。
「元々魔物は魔王にはならない。世襲制でもないし、世の中に出回っている、力が一番強い魔物が王になるというのも嘘だ」
きっぱり言い切られ、多紀は目を丸くする。隣にいる雫が驚いていないところをみると、魔物や魔女の間では当たり前のことなのかもしれない。
「だいだい魔物を束ねるなど、そんな苦労ばかりで面倒なことをやりたがるやつなどいないぞ? そこから、人間の認識は間違っている」
胸を張って言われても、そこまで魔物のことを知るほど、人は彼らと接していない。大抵の魔物は滅多に人前に現れないのだ。出てくるとすれば、変わり者か、人を襲うことを目的にした魔物だけである。
「でも、何百年かに一回、魔王って呼ばれる存在が出てきますよね」
「ああ、あれは、特別――というより異端な存在だ」
どうやって生まれてくるのか、よくわからないという。
どの種族にも属さないし、親がいるのかさえもわからない。
「一説によると、闇に落ちた人間がなるのだとも言うが……なにしろ、あまりにも異質で得体が知れないうえに、魔物の常識も通用しない存在なのだ」
そういう彼も、長く生きているが、魔王には会ったことがないらしい。
前回、魔王が現れたのは、ここから遠く離れた場所でのことだったし、彼自身は今とかわらず引きこもっており、親しい魔物以外にはほとんど会わない生活をしていたから、どんな相手なのかもわからないとのことだった。
「でも、昔魔王が現れたときは、確か複数の魔物や魔獣が従ったって聞きましたよ」
「あくまで、下についただけだ。彼らだって、魔王に心酔していたわけではなく、弱みを握られていたり、単に魔王より力が弱くて屈服しただけだ。中には心底魔王に忠誠を誓っていたものもいたかもしれないが、少なかったと思う。魔獣に関しては、あれは、本能で強いものには従う生き物だからとしかいえない」
魔物の彼が言うのだから、その通りなのだと思っても、いまひとつしっくりこない。それでも短くはない魔物との付き合いで、彼らが同族同士であっても、あまり群れないということはわかっている。そんな魔物たちが、強いとはいえ、魔王を名乗るものに簡単に膝を折るだろうか。どちらかというと、自分に火の粉がかからないように、知らぬふりをしているような気がする。
「私もそうだが、魔王は半端なく力が強い存在だ。まともな魔物ならば、魔王が現れると、速攻で身を隠して関わらないようにする」
清々しい顔で言い切ったこの魔物のように考えるものは多そうだ。
だからといって魔物が薄情だというわけではない。気に入った相手や懐にいれた存在には甘い。そのあたりは、人と同じだ。
「つまり、魔王っていうのは、人間だけじゃなく、魔物でさえも関わりたくない物騒な相手ってことですよね」
「だいたい、合っている」
そんな存在ならば、多紀だって会いたくない。
幸い、今のこの世に魔王なるものは現れていないが、絶対大丈夫という保証はないのだ。できれば、平穏無事な世の中でありますようにと、心の中で祈っておいた。
「しかし、騎士で勇者で、剣の腕も一級、頭もよくて顔もいい。彼女はそんな奴がいいのか。それに、この本では、魔物があまりにもかっこ悪くて弱そうじゃないか」
たかが物語に対して、彼がぐちぐちと文句を言う。ちょうど開いた場所には挿絵があって、いかにも悪そうな魔物が、勇者にやられるところが描かれていた。
「どうせなら、彼女も人間の勇者ではなく、魔物の名前を呼べばいいのに。なぜよりにもよって勇者なのだ」
魔物はすでに彼女の寝言は本の中の勇者だと思っているが、本当にそうなのだろうか。たまたた、という可能性はある。そんなことをちらりと考えたとき、多紀の考えを先回りしたかのように、雫が口を開いた。
「実は同じ名前の別人かもしれないぞ」
「雫さん、余計なことを……!」
慌てて、多紀が雫の口を押さえようとしたが遅かった。目の前で、真っ白になった男がふらふらしている。
「そ、そうか。そういえば、彼女は隣国出身だった」
震える手が持つ酒の器が、いまにも落ちてしまいそうだ。中身が空でなければ、男の服を濡らしていただろう。
「あれほど、寝言で繰り返す名前なのだ。ひょっとすると、ひょっとするのか」
どんどん落ち込んでいく魔物に、そんなことないと多紀は言い続けるが、聞いていないようだ。
「どうするんですか。雫さん」
「さあねえ。どうするんだろうねえ」
完全におもしろがっている雫は、当てにならない。
結局、彼をなだめるのは多紀なのだろう。諦めたように息を吐いて、多紀は男の方を向いた。
「確かめてみたらいいじゃないですか。その魔物の方が、物語を呼んで憧れているだけならば、問題ないでしょう?」
苦し紛れに言ったが、心の中では、反対のことを考えている。
魔物を倒す騎士に憧れるなんて、普通恋人や同族には知られたくないのではなかろうか。
本も隠しているか、すでに手元にないという可能性もあるし、本人が本当のことを言わないかもしれない。
それを全て口にすれば、話がややこしくなるので、言わないが。
「確かめて、違っていたらどうするんだ!」
だが、彼は悪い方にばかり考えているようだ。
「そんなことになったら、今度こそ私は立ち直れない!」
わめく魔物と、にやにや笑う雫を交互に眺め、この収集はどうやってつけるの、と叫びたいのは多紀の方だった。
夜は始まったばかりだ。
そして、彼女たちの酒盛りは、まだまだ終わりそうにない。




