22.にじ
いつものように村長の家の裏口で声をかけたら、何故か出てきたのは村長夫人だった。
多紀がここに薬を届けに来るのは初めてではないが、大抵出てくるのは、下働きの女性だ。
とはいっても、小さな村のことだ。屋敷といっても、他の家よりも少しだけ立派だというだけだし、下働きといっても、村の人間が2人ばかり通いで雇われているだけで、町にある商家や貴族のところにいるような、女中とは少し違っている。
雑用をしたり、夫人を手伝ったりする程度で、実際の家の家事などは、夫人がやっているのだ。
それでも、裏口からやってくるのは客ではないので、夫人が出てくることはないはずなのだが。
「お久しぶりです」
丁寧に頭を下げると、夫人はにこやかに笑った。
よく見れば、来ている服が普段着ではない。客でも迎えるような雰囲気で、普段よりも念入りに化粧をし、結い上げた髪にも品のいい飾りが付けられている。
だが、本当に客が来ているならば、なおさら夫人自らが裏口に現れるとは思えない。
「ああ、薬を届けにきてくれたのね」
多紀が持つ袋を見て、夫人はもうそんな時期だったかしらと呟いた。
「代金はまとめて後払いでも大丈夫? 今ちょっと取り込んでいるところなの」
「構いません」
村長は、今までお金を踏み倒したことなどないし、むしろ代金が少なすぎるのではないかといって、珍しい食べ物などをおまけにつけてくれたりするくらいなのだ。後だろうが今だろうが、確実にもらえるとわかっているのだから、断る理由がない。
「では、また後日伺いますね」
そう言って袋を渡し、多紀は立ち去ろうとしたのだが、何かを思いついたように顔を輝かせた夫人が、待ってといって彼女を呼び止めた。
「考えてみれば、ちょうどよかったわ。今、みんなで新しく買った絵の鑑賞会をしていたの」
あなたも是非見てと言われて、多紀は戸惑う。
ここへは、村長の腰痛の薬を持ってきただけで、長居をするつもりはなかった。
「忙しいの? それなら、無理にとはいわないけれど、せっかくだから、あなたの感想も聞きたいわ。あなた、街で働いていたんだもの。私よりも、絵に詳しいんじゃない?」
「詳しくないですよ」
どちらかといえば、よくわからない。
綺麗な絵は綺麗だと思うが、本物か偽物か聞かれたら答えられないし、価値もいまひとつ理解できていない。
「そうなの? まあ、私もよくわからないんだけどね。最近、王都で流行っている絵だから、買ったのだけれど」
そういえば、夫人は流行り物が大好きだったはずだ。
少し前には時計、その前には織物、さらに前には紅茶だっただろうか。
買ったものを人に見せることも大好きなので、多紀も何度か夫人から流行り物を鑑賞させてもらったことがある。食べられるものならば、味見もしただろうか。
「絵を鑑賞するっていってもね、村の女性達で、お茶会をしているだけなのよ」
そういえば、夫人は、定期的に村の女性を招いた集まりを開く。
お茶会の時もあれば、流行ものの鑑賞会など様々で、多紀も誘われたことが何度かある。
呼ばれるのはもっぱら成人済みの女性なので、早い段階で街へと働きに出た多紀が夫人の集まりに参加するようになったのは、最近のことだ。
魔女の店を頻繁にあけることは出来ないから、もちろん毎回は出席できない。
「せっかくだから、上がっていらっしゃいな。」
「え、でも」
「遠慮しないで。ほんの少しでいいから。おいしいお菓子も用意してあるのよ」
強引に手を引かれ、結局断り切れずに、少しだけというつもりで、多紀は屋敷の中へと入ったのだった。
居心地のよさそうな居間に入ると、そこには見知った顔が並んでいた。
「多紀。あんたも引っ張り込まれたんだ」
その中の一人である柚那が、多紀に向かってひらひらと手を振る。片手にお茶、反対の手に形の綺麗な高級そうな焼き菓子が握られていた。
お茶会というのは事実らしい。
よく見れば、柚那だけではなく、この村に住む幼なじみや、屋敷で働く下働きたちの姿もあった。
「絵の鑑賞会って聞いたんだけど」
ぐるりと見回せば、一カ所の壁の前に人が集まっている。どうやら、そこに問題の絵があるらしい。
だが、何故皆は立ち上がって同じ場所で絵を眺めているのだろうか。
「どうして、みんなあそこにいるの?」
「私もさっきまではあの中にいたんだけど、喉が渇いたから、休憩中」
「休憩?」
変なことを言うと思いながら、多紀は柚那の隣に腰掛ける。
「妙な絵なんだよね。上下もわからないし、何が描いてあるのかもさっぱり。だからあれこれみんなで好き勝手なこと言っているところ」
どこかで聞いたことがあるような話だと思った。少し前に、似たような感想を言った絵があったような気がする。
偶然だろうと思いつつ、妙にそわそわしてしまった。
「多紀も見ればわかるよ。王都の人って、不思議ものを絶賛するよね」
「そ、そうだね。私も見てみようかな」
「そうしなよ」
なんとなく嫌な予感をかかえたまま、多紀は立ち上がり絵に近づいた。
みんながそれに気がついて、前を譲ってくれる。おかげで真正面からその絵を見ることが出来たのだが。
ああ、やっぱり。
誰にも聞こえないように、多紀は小さなため息をつく。
そこにあったのは、あまりにも斬新すぎる絵――いつかどこかで見たことのある筆遣いと色合いの、不思議すぎる絵だった。
「前に、この村に来たことがある絵描きの絵なんだって」
後ろからついてきた柚那が、親切にも教えてくれる。
やはり、多紀が心の中で考えている相手なのかもしれない。できれば違っていて欲しいのだが。
「虹って、題名がついているんだけどね」
「にじ?」
柚那の言葉に、多紀は首を傾げた。
どこかと問いかけたくなるような色彩である。
「私の記憶違いでなければ、虹ってこんな色ではなかったような」
少なくとも、桃色だったり、灰色だったりはしなかったはずだ。赤でも、こんな派手な感じではないし、なによりも。
「これが虹ならば、随分と自己主張の強い色彩だよね」
「でもねえ、多紀。形から虹はなんとなくわかるけれど、後ろの背景は何だと思う?」
そう聞かれて、視線を背景に移してみたが、そこに描かれているのは、なんとも可愛らしい色彩をした『何か』だった。
「うーん、崖?」
なんとなく、その形から想像したものを口にしてみる。
「私は、山かと思った」
柚那が唸りながら言うと、周りにいた人たちが、口々に好きなことを言い始める。
背景の色の中に人の顔みたいなものがあるとか。
あれは崖ではなく、実は海だとか。
そもそも、かかれている『虹』の解釈が間違っているのではとか。
どれも正解のようで、全て間違いとも思えた。
「なるほど。みんなにもわからないってことなんだ」
だから、集まって悩んでいるところなのだろう。
「流行だからって、買ったのはいいけれど、何が描かれているのかわからないと、落ち着かないからね。みんなの意見を聞いているの」
村長夫人が、ため息とともにそう言った。
彼女は、うやむやなものよりも、白黒はっきりしている方が好きなのである。
「ところで、そんなにこんな絵、流行っているんですか?」
王都では、時々とんでもないものが流行ることもあるが、これもそのひとつなのかもしれない。描いた人間がなんとなく予想がつくので、複雑な気持ちになってしまう。
「そうなの。色合いは悪くないから、飾りにはちょうどいいのかもしれないけれど」
確かに、色はいい。
無秩序に見えるが、ちゃんとした配色だし、見ていて不愉快になることもない。ただ、何が描いてあるのかわからないだけで。
「値段もね、そんなに高くなかったのよ。私がこの村から来たっていうなら、安くしておくって。なんでも、雫さんのところでお世話になった時、この村に来たことがあるんですって。多紀も知ってる人?」
「ええ、まあ、なんとなく思い当たることがあります」
なんとも曖昧な発言に、夫人は首を傾げるが、そこにいた別の女性がそういえば、と口を開いた。
「村の中で、うろうろしている自称絵描きっていうのを見たけど、あの人のこと? 見た目はまるで剣士だったけれど」
「あー、たぶんそれです」
それ扱いにしてしまった多紀だが、これで、絵を描いた本人が、自分の知り合いに間違いないと確信する。
「彼と、彼の後援をしている商人の口がうまくて、ついうっかり買ってしまったけれど、どうなのかしらね」
そうはいいながらも、こうやって皆に見せるあたりが夫人らしい。
「どうなんでしょう。私にもさっぱり」
投げやりだが、そう言うしかない。
多紀にとっては、絵の値段や流行っているかどうかよりも、こうやって売られていたことが驚きだった。一応売れているという言葉は嘘ではなかったらしい。
「でも、虹、かあ」
以前もらった、自分と雫を描いたであろう絵のことを思い出し、多紀は思わず笑ってしまった。
もしかすると、彼は周りの景色や人をこんなふうに見ているのかもしれない。
ずっと気がつかなかったけれど、そうなのだとすれば、絵に描かれていた自分の印象もあんな風だったのだろうか。
まるで森の中を思わせる絵は、今では店の一角に飾られている。
不思議な絵だが、妙になじんでいて、違和感はあまりない。
そう思って改めて素直な気持ちで虹の絵を眺めていると、何故か楽しくなってきた。
明るくて、綺麗で、おもちゃ箱をひっくり返したみたいだ。
「わくわくしますね」
多紀の言葉に、何人かが頷いた。
「言われてみれば、気持ちが明るくなる絵よね」
夫人がもう一度絵を眺めて、そんなことをいう。
「きっとこれは何が描かれているかではなく、見たまま感じたままで難しいことは考えないでいい絵なのかもね」
そう締めくくった夫人の言葉に、そこにいる全員が頷いた。
確かに第一印象は変な絵だけれど、それはそれでいいのだと、わかってみると単純なことだ。
見て楽しい。
それで十分なのだ、きっと。
そういう面も、あの男らしい絵なのかもしれない。
今はどこを旅しているのかわからない男の無事を祈りながら、多紀はそう思った。




