七食目 片腕の職人は、手が早い
猪を倒した翌朝、マルタの紹介で、渡し場の奥にあるガドの工房を訪ねた。肉は食堂に預けたまま、破れた袋だけを持っている。
「すみません。マルタさんから、道具の修理を頼めると聞きました」
台の向こうで、男が顔を上げた。
「俺はレンです。この袋を見てもらえますか」
「ガドだ。どこが切れた」
袋を差し出した途端、俺の腹が鳴った。
ガドが、袋と俺の腹を見比べる。
「直すのは、どっちだ」
「袋です。もう片方は、あとで何とかします」
「そっちは扱ってない。こっちへ出せ」
台には石の欠片と金具が並び、壁には長さの違う柄が掛かっていた。敷居の脇には、革を縫う針や荷紐もある。石工と聞いて来たが、河岸の道具の修理も引き受けているらしい。
ガドは、受け取った袋の底を裏返した。短い焦げ茶の髪に、鉄色の目。顎の線のくっきりした男前で、作業着の肩は広い。
右の前腕の先が、金属の鉤になっている。
鉤で布を引き、左手の小刃で切れた紐を外す。そのまま袋の端を台の留め具へ掛けると、今度は左手だけで縫い目を確かめ始めた。
俺は、差し出しかけた手を引っ込めた。
押さえる場所は、もう足りていた。
「何を入れた」
「猪の肉です。昨日の討伐の取り分を運んだら、紐が切れまして。肉は受け止めましたが」
「肉をたくさん運ぶなら、次は背負い籠も使えるぞ。底がしっかりしてる」
「なるほど。まずは、この袋を直してもらえますか」
「分かった」
ガドが袋を横へ広げた。
「紐一本じゃなく、底で受ける形にする。肩へ二本、腰へ一本。背負ったまま口を開けたいか?」
「出来るんですか」
返事の代わりに、小さな留め具が台を滑ってきた。
押す。開く。戻すと、かちりと閉じた。
俺はもう一度開いた。
「気に入ったのは分かった。欲しいのは何個だ」
慌てて手を止め、修理代を訊いた。
ガドは工房の外へ顎を向けた。
「修理代は要る。だが、隣の屋根へ瓦を上げる仕事がある。手が欲しい」
「賃から引いてもらえるなら、やります」
隣家では、大工が屋根の端を直していた。
ガドが受け台を組み、俺が瓦を渡す。足場を通す荷の重さは、先に彼へ確かめた。
「腕で持てても、板には載せられん量がある」
「それなら、束を分けて、使う順に並べておきたいです」
瓦は形ごとに分かれていた。使う順をガドに聞き、持ち直さず渡せる向きへ揃える。
腕と脚へ力を回し、胸元へ寄せて運んだ。受け台まで上がると、ガドの鉤がもう帯へ掛かる。
瓦を置く。帯が外れる。
俺が次を持って戻った時、受け台は空いていた。
「次、右の形を二つ」
「その後は、真ん中を四つですね」
ガドが、こちらを見た。
「もう並べてあるのか」
「上で待つより、下で揃えた方が楽なので」
彼が大工へ呼びかける間に、次の束が届く。金具と俺の靴音が交互に続き、上にも下にも、誰かを待って手を止める人がいなくなった。
前の職場でも、伝票を運ぶ順に並べたことがある。
荷を持つ人の足が減り、探す時間が消えた。帰り際に言われた、助かった、の一言を覚えている。
あの頃の俺にも、出来ていたことだ。
「最後の、合わせ目の分です」
瓦を置くと、屋根の大工が空を見た。
「もう上がったのか。昼前に留め終わるぞ」
「こいつが、よく気がきくもんでな」
ガドの鉤が、俺を指した。
自分も褒められたのだと気づいて、返事が少し遅れた。
「……ありがとうございます」
「礼は、代金から引いた。先に水を飲め」
杯が二つ、作業台へ置かれた。
ガドが左手で水を注ぐ間、俺は瓦の欠けを拾った。さっき受け渡した分には、一枚も割れがない。
屋根の大工が下りてきて、次も組んでくれ、と言った。
ガドが俺を見たので、今度は自分から答えた。
「飯の時間に重ならなければ、ぜひ」
「なら、次も飯前に終わるようにしよう。朝からあれだけ腹が鳴ってたんじゃ、待たせるのは悪い」
ガドが真顔で言い、大工が吹き出した。俺も笑って頷いた。
俺はそのまま座り込みたくなる前に、受け台の周りだけ片付けた。
終わった所が空くのは、結構気分がいい。
*
工房へ戻ると、今度は袋の仕事が始まった。
鉤が革を押さえ、左手の錐が穴を開ける。
俺が一針の場所を見る間に、糸はもう次へ進んでいた。
「それ、全部自分で考えたんですか」
作業台の留め具を示すと、ガドは頷いた。
「右手がやってた分を、こいつらに頼んだ」
「なるほど。手を増やすより、先に置いておく」
「手が増えたら増えたで、置き場は要るだろ」
俺は留め具の並んだ台を見た。一本の腕に出来ることを、一人分の仕事に育てた場所だった。
手が四本あったら、俺なら何を頼むだろう。まず、片方には熱い皿を持っていてほしい。
それも、置く場所を決めてからだ。
袋を渡す時、ただ押さえようと出しかけた手を引いたのを思い出した。
彼は一人で仕事が出来る。それでも俺と組めば、屋根を早く終えられる。
手伝うなら、そういう所を探したい。
待つ間、俺は水を飲んで座った。
村から続けた庫を均す練習と、昨夜の猪の力が落ち着いた《余熱庫》(よねつこ)は、3,000 kcalまで受けられるようになっていた。使える上限は同じでも、次の仕事と夕飯の間を前より気楽に繋げられる。
ガドの手が、袋の最後の縫い目を締めた。
「出来た。立ってみろ」
ガドが袋を寄越した。
両肩と腰へ帯が回り、背中にぴたりと収まる。留め具を押せば、背負ったままでも口を開けられた。
「財布を出して、焼き物を買うのが早くなりますね」
「獲物を出す方も覚えろ」
「どっちも大事です」
彼は針をしまいながら、少しだけ笑った。
*
夕方、直った袋をマルタへ見せた。
預けていた猪の肉は、細く裂かれていた。鍋の汁を煮詰めて絡め、炒めた葉と一緒に薄パンへ載せる。
包んで表を焼くと、折った角がぱりりと立った。
齧った瞬間、濃い肉汁が広がった。
昨日は匙で食べた繊維が、今日は歯でほぐれる。葉の酸味が脂の甘さへ混ざり、焼けた端まで早く食べたくなる。
「同じ肉なのに、違うものみたいだ」
「次を飽きずに食べられるなら、余した甲斐があるね」
マルタが、自分の皿へも一つ取った。
テオは包みの端を見て、俺の袋を見た。
「今度は、落ちない?」
「たぶん。工房で重りも入れた」
「肉より重かった?」
「……そこは、あとで確かめる」
俺は笑って、もう一口食べた。
食後、残りの包みを新しい袋へ収めた。
両肩と腰に重さが分かれる。地下の食料置き場まで運んでみても、袋の底はびくともしない。これなら次の狩りで、もう少し遠くの獲物も持って帰れそうだった。
働いた賃の残りと、直った道具と、うまい飯。
今日の手伝いは、ずいぶん割がよかった。
食後の片付けを終える頃、料理の力がゆっくり庫へ入ってきた。
マルタは次の粉袋を、台へ並べている。
「明日、仕込みをやってみるかい。朝は早いけど、昼前には終わるよ」
「昼前、ですか」
明るい寝台を思い浮かべた。
何も運ばず、次の注文にも呼ばれず、昼飯のあとに眠れる。
「食べる分は自分で払います。好きな粉も、買ってきていいですか」
「仕事中の鍋と混ぜなければね」
俺はすぐ頷いた。
明日は、早く終わらせるために頑張ろう。
立派な目標が、一つ出来た。




