四十二食目 騎士の足は、静かだった
騎士の剣は、俺の肩の手前で止まっていた。
その人の靴は、地面を擦った音さえ立てなかった。
「今、私のどこを見た?」
「……剣です」
「私は、君の足を見ていた」
青い目が、俺の踵へ落ちる。
踏み込む前から、行き先がばれていたらしい。
*
蜥蜴の後の三日間、朝と夕方は庭に五人の俺が並んだ。
同じ百回を四人へ任せる日もあれば、重い盾、木剣、短い棒へ分かれる日もある。
大将の盾を押すと、腰の位置がよく分かった。
二番の突きを受けると、俺が剣を引く時の癖が見えた。
戻した経験で、次は自分が試す。
一昨日は肩で受けた木剣が、昨日は脇へ抜けた。今朝は、受けた後に一歩残った。
その一歩を持って、俺は北の練習場へ行った。
柵のそばに、軽い鎧を着た長身の女性が立っていた。
銀髪を低く束ね、片手に木剣を提げている。
こちらへ向いた顔は凛々しく、目だけが、少し面白そうだった。
「レン・アスタ?」
「はい。今日は、お願いします」
「イリス・ヴェント。王国の遊撃騎士だ。上級冒険者の指導もしている」
イリスさんは俺の後ろを見た。
「あれが、君の分身か」
庭での稽古を終え、朝食を済ませた四人は一度戻してある。練習場で呼び直したのは、大将と二番だけだった。
大将へ盾を渡すと、縁を支える腕に、琥珀の筋が淡く浮く。
二番は木剣の重さを手の中で落ち着かせた。
「別の体格も作れる?」
「最初の一人だけが、この姿です。後は、今の俺と同じになります」
イリスさんは大将を見た。
太った身体を見て驚くより先に、足と盾の置き方を見ていた。
「いい腰だ。押すだけの盾にしない方がいい」
俺は少し、嬉しくなった。
*
「三人で、私の足場を奪ってみてくれ」
木剣を肩から下ろし、イリスさんが言った。
「三人で、ですか」
「湿地でやったように。君が何を出来るか、そこから見たい」
俺は頷き、大将を左へ置いた。
盾で道を狭め、二番の剣で追う。
最後の道へ俺が入る。
鰐と蜥蜴に通った形だ。人間が相手ならどうなるか、見たかった。
「始め」
大将の盾が出た。
二番が右へ回る。
俺は二人の間の、その先へ足を入れた。
イリスさんの左足が、半歩だけ引かれた。
盾の縁が通り過ぎる。
木剣を合わせる音は、まだしない。
俺が突いた時、彼女はそこにいなかった。
肩へ木剣が来る。
ぴたり、と止まった。
「今、私のどこを見た?」
そこで、冒頭の問いになった。
*
もう一度。
俺は、少しだけ思考へ力を回した。
彼女の剣先と、盾の縁と、自分が入る隙間を見る。
考える余裕は増える。
けれど、足が勝手に速くなるわけではなかった。
俺が「二番、先に」と言う間に、イリスさんの重心はもう移っている。
声が届いてから動いても、その隙間は閉じていた。
なら、全部を俺の声で始めなくていい。
前に決めた順を、少し変える。
「大将が進んだら、二番はすぐ追ってくれ。俺が突いた後も、止まらないで」
二人が頷いた。
盾が出る。
俺は先ほどより半歩、外から突いた。
また、空を切る。
イリスさんの木剣が、俺の腕へ返った。
その向こうへ、二番の剣が続いた。
袖の端が、ぱ、と揺れた。
騎士が初めて、足をもう一歩動かした。
「今の続きは、いい」
彼女の木剣が下がる。
俺は息を整えながら、二番を見た。
分かった順なら、一人ずつ命じなくても動ける。
ただ、予想と違う方へ彼女が抜けると、そこからの二人は遅れた。俺も二番も、同じ隙を追ってしまう。
「君は三人で同じ一撃を狙っている」
イリスさんが、土へ木剣の先で線を引いた。
「私は、君が一番先に来ると知っていればいい」
俺の線と、二番の線。
先が、同じ所へ集まっていた。
「別々の剣にします」
「そう。君が外した後にも、次の剣はある」
*
次に教わったのは、受ける角度だった。
イリスさんが俺の木剣へ、自分の剣を斜めに重ねる。
「ここで、止めない」
押していた俺の剣が、横へ滑った。
彼女の剣先は、俺の胸の前へ残る。
大きな力で弾いたわけではない。
押していたはずの俺が、自分で道を外れたような感じだった。
「足も一緒に。剣だけ寝かせると、身体が残る」
俺は二番と向かい合った。
同じ突きで、十回。
出る方と受ける方を替え、さらに十回。
大将には少し重い打ち込みを頼んだ。
盾を持つ時と同じで、腰まで揃えば受けた重さが足へ抜ける。腕だけなら、受け流し(うけながし)た後に俺の肩が引っ張られた。
イリスさんは、一度だけ俺の後ろの足を直した。
そこから先は、通った動きを崩さず繰り返した。
休憩の前に、二人を回収する。
向こうから見た俺の剣が、頭へ重なった。
ああ。
受けた後、俺はまだ相手の刃を目で追っている。
もう外へ抜けると分かったなら、次を見る所がある。
水を飲み、少し歩く。
頭の重さが落ち着いてから、俺はイリスさんの前へ戻った。
「一本、お願いします」
木剣が来た。
斜めに合わせ、後ろの足を引く。
滑る感触があった。
俺の肩の横を、剣が抜ける。
自分の剣先は、正面へ残っていた。
「そうだ」
短い声が、胸に落ちた。
《受け流し》を習得しました。
俺は木剣を持ち直した。
もう一度やりたい。
今の一回を、次にも使えるようにしたい。
イリスさんは、その顔を見て笑った。
「昼までだ。帰って食べる時間も、稽古のうちにしておけ」
「そこは得意です」
「だろうな」
柵の外では、見に来ていたミナが包みを持ち上げていた。
*
焼いた芋と、薄く切った肉を挟んだパン。
稽古の後は、塩気が指先にまで染みる気がする。
俺が二個目へ手を伸ばすと、イリスさんも一個目を受け取った。
「明日は、もう町を発つんですか」
「西の街道を見てくる。しばらく、この辺りはギルドに任せることになる」
彼女はパンを割り、湯気を逃がした。
「私が戻るまでに、今日の角度を君の物にしておいてくれ」
「次は、もう少し袖の内側へ」
「それなら、私も半歩以上動こう」
軽い言い方なのに、本気で楽しみにしていると分かった。
俺も、楽しみだった。
*
夕方は、朝に習った角度を四人で分けて繰り返した。
食べ、戻し、今の腕でもう一度通す。
すぐ出来る回数が、朝より増えていた。
その夜、片付いた卓で、セラが掌を出した。
「前に、触れた時の。少し分かりそう?」
彼女の指へ、自分の掌を重ねる。
温かかった。
それはまず、普通に触れた人の体温だった。
しばらくして、その奥へ、別の細い温かさが来た。
俺が引くのではない。
セラが送ろうとした時だけ、入口へ触れる。
「今、来ました」
「止めるね」
温かさが、すっと離れた。
もう一度、来る。
「俺が手を離す時も、止めてください」
「うん」
今回は、受け取る所まで進めなかった。
始め方と、止め方が分かった所で終える。
セラが自分の手を開き、握った。
「私の方は、いつも通り」
「次は、少しだけお願いします。使う量も、読み上げます」
「書くのは僕がやる」
卓の向こうで、ユルが紙を寄せた。
俺は頷いた。
力を受け取れるかもしれない。
それでもセラには、明日も診療の仕事がある。
うまくいった時ほど、先を急がず、ここで茶にすることにした。
*
戸口で、ミナの名を呼ぶ人がいた。
粉袋を肩へ担いだ、年配の男だった。
「ミナ。市へ出すって聞いてな」
台所にいた彼女が、布で手を拭いた。
「まだ、献立を考えてるところ」
「そうか。粉は、要る分だけ言ってくれ。あの店の時みたいに、余らせんようにな」
ミナの手が、布の上で止まった。
それから、いつもより一拍遅れて頷く。
「……うん。今度は、ちゃんと数える」
男はそれ以上何も言わず、袋から小さな包みを分けた。
金を払ったミナは、受け取った粉を、棚の端へきちんと置いた。
俺は、もう一杯分の茶を淹れた。
彼女が座れるように、隣の椅子を引いておいた。




