三十八食目 大将のいる、小さな食堂
窓の外から、注文が来た。
「卵の入った肉包み、二つ。そっちの大将が渡してくれるのかい」
俺は、大将を見た。
次に、ミナを見た。
「食べる人が注文を受けて、食べる人が渡す店になりましたね」
「作る人も、食べるよ」
ミナは鉄板の肉を返した。
それなら、なかなか信用できる店かもしれない。
*
大将と呼び始めてから二日後。
サルナのパン屋で、俺たちは昼売りの仕込みをしていた。前庭の卓を借りる約束は、一昨日、女将と済ませてある。
その前に、大将と二番へ、一つずつ任せたい。
右の籠から皿を取る。布で拭く。左の棚へ置く。
俺が見本を見せると、彼も同じ順で動いた。
次の一枚を取るところで、俺は口を閉じた。
大将の手だけが動く。
白い縁が布の中を回り、乾いた皿が棚へ収まった。
俺は膝へ両手を置いていた。
「七枚目、です」
砂時計を見ていたユルが、声を弾ませた。
俺は、つい拍手した。
「俺、一枚も持ってません」
「じゃあ、その手で調理台を拭いて」
ミナから布が来た。
空いた手にも仕事は来る。ただ、皿の分が同時に片付いているのは、やっぱりすごい。
最後の一枚を置いた大将へ、受け渡し口の卓を示した。
「次は、あっちを頼む」
彼が卓へ向かう。俺は布を畳み、窓の外を見た。
焼けた肉の匂いにつられ、通りの人が足を緩めていた。
*
料理まで任せれば、もっと楽になる。
そう考えて、火を使わない台へ空鍋を置いた。大将に杓子を渡し、三回ずつ混ぜる見本を見せる。
ミナが鍋を片付けた後も、彼は空中で正確に三回ずつ回した。
「待った。そこまで」
俺は顔を覆った。
「止める所を、渡してませんでした」
「鍋がなくても、回数は合ってたね」
ミナが笑う。俺も笑い、今日は分かる仕事へ戻した。
冷えた鉄板へ、切った肉を重ならないように並べる。皿が空になったら止めて呼ぶ。火へ掛けるのはミナだ。
俺は少し離れた椅子で、借りている本を開いた。
五行読んだところで、声がした。
「終わった」
鉄板には、厚さの揃った肉が並んでいた。
「これ、毎朝お願い」
ミナが鉄板を受け取る。
俺は読んだ頁へ指を挟んだまま、頷いた。
仕込みの間に本が読めた。そのうち、昼寝だって出来るかもしれない。
二番には次の肉を並べるよう頼み、大将には皿を渡す。俺は本にあった水術を短く確かめた。《導水糸》(どうすいし)で、実物の水を木片の溝へ沿わせる。
近い所だけを曲げて、止める。
顔を上げると、もう乾いた皿が増えていた。
*
昼売りには、前庭の卓を一つ使った。
客に向かって左が、料理の受け渡し口。右は俺が注文と代金を受ける場所だ。鉄板は窓の内側に置き、火のそばにはミナだけが立つ。
注文と代金は俺、焼くのはミナ。二番が肉と皿を用意し、出来上がりを大将の右へ置けば、左の受け渡し口から客へ届く。
その間に、俺は次の薄パンへ具を挟める。
「最初の二つ、どうぞ」
冒頭の客へ答え、俺は皿を置いた。
大将が両手で持ち、縁を客の方へ向ける。
「ああ、熱い所を触らずに取れるんだね」
女の人が包みを取った。大将の指の奥で、淡い光が動く。
「手まで、竈みたいに光るんだねえ」
「焼く火は、こっちです!」
ミナが窓から返す間に、もう次の焼きたてが大将の右へ来た。
ミナが肉を焼き、俺が具を挟んでいた昨日までなら、この間、次の包みは止まっていた。
今日はもう、俺の手元へ次の薄パンが来ている。
「その黄色いの、甘いの?」
後ろの子供が、卵の端へ鼻を近づけた。
「甘い卵です。肉の塩気と一緒に、どうぞ」
子供が齧る。
ぱり、と薄パンの端が鳴った。
「甘い。……あ、肉も入ってた」
「肉包みだからね」
母親が笑い、自分の一つも開いた。
焼けた脂へ、卵の柔らかさが重なる。俺はまだ食べていないのに、その順で味がする気がした。
子供は大将へ包みを少し持ち上げた。
「これ、おいしいね」
彼はいつもの顔で頷いた。
「俺も、好きだ」
俺が言いそうな返事だった。
母親が声を立てて笑い、もう一つは持ち帰りにしてくれと言った。
*
焼き上がりを待つ短い列が出来た。
俺が注文を書き留める間にも、大将から焼きたてが渡る。
待っていた客の顔がほころび、その後ろの人も包みを受け取るために手を空けた。
ある客が、俺と大将を順に見た。
「二人とも、レンって呼ばれてなかったか」
「こっちは、大将でお願いします」
俺が紹介すると、客は次の皿を待ちながら手を上げた。
「大将、うちのは焦げた端が入ると嬉しい」
「よく焼けた方は、私へ!」
窓からミナが返した。
俺が注文を書き足す横で、パン屋の女将が笑っていた。
全部を一人へ頼まなくていい。
ミナは焼き加減を決め、俺は客の言葉を聞き、大将は熱いうちに渡す。女将のパンも一緒に売れた。
出来上がった皿が、さっきより早く空く。
客は急かされた顔ではなく、口の中が忙しそうな顔をしていた。
それが、一番嬉しかった。
決めた数が売れたところで、札を返した。
追加を頼む客へは、ミナが明日の仕込みを伝える。売る物と自分たちの賄いは、初めから分けてある。
「また、この大将もいる?」
最後の客に訊かれ、俺は隣を見た。
「手伝ってもらうつもりです」
次も呼ばれたのは、俺一人ではなかった。
*
昼飯は、さっきと同じ肉包みだった。
焼き場では、肉の縁の色が変わったら大将が呼び、ミナが確かめて火を弱めた。火そのものは、まだ任せきりにしない。
三枚の皿が卓へ来る。
俺は大将と二番の間へ座り、ようやく一口食べた。
薄パンの端が割れ、その中から肉汁が来た。
甘い卵は柔らかく、肉の焼き目は少し苦い。両方を一緒に噛むと、酸果の香りが鼻へ抜けた。
さっきの子供が、二口目もすぐ食べていた理由が分かった。
「お客さんが食べてる間、つらそうだったね」
ミナが自分の皿を持って座る。
「味を説明するたび、食べたくなりました」
「説明する前も、同じ顔だったよ」
それは、否定しにくかった。
二番の皿も空き、三枚へ取り置きの包みを足す。俺たちの前には、先に冷ましておいた二杯目の汁が一つずつある。
仕事が終わり、三人で同じ物を食べる。
分身のいる食堂は、思っていたより楽しい。
*
午後、大将が皿を拭く間、俺は本を読めた。
戻ってきたセラは、昼の売り切れ札を見て残念がった。彼女の分はミナが別に残してある。
「焦げた端も、入れた?」
「もちろん。そこへ注文した人が、ほかにもいました」
俺が窓の前を示すと、セラは笑いながら腰を下ろした。
ユルは次の採取の図を広げる。俺も本を閉じ、厨房の大将を見通せる窓際へ移った。
「決まった道の荷運びも、同じように任せられますか」
「最初は、ここだけ。待つ場所から、端まで見える道です」
ユルが短い線を指した。セラの薬草を運び、帰ったら、採れた葉でミナが料理を作る。
そう聞くと、次の仕事も楽しみになった。
焼ける肉の色と、返す直前の匂い。ミナに言われるより先に同じ所へ手を出せた時、《火加減》(ひかげん)の名が残った。
食事と休憩で二時間以上が過ぎ、吸収を待って二人を戻す。俺は図の横へ、弁当を三つ、と書いた。
それでも、まだ本を読む時間が残っていた。




