三十五食目 鰐の口に、重い盾
水路の仕事を止めて、二日。
俺たちは、魚を買う代わりに、もっと大きな獲物の討伐依頼を受けていた。
「尾の肉、叩いてから煮るといいんだって」
ミナが、借りた解体台を岸へ下ろす。
「先に叩かれるのは、俺たちかもしれませんけどね」
「だから、無事に帰って。食べる所まで、お願い」
その注文は、俺も同じだった。
*
杭を噛み折られた日は、全員を岸から退かせた。
採取人が水路を閉じ、俺たちはガドの笛を合図に、道具と人を町側へ戻した。怪我人はいない。ただ、この船着き場を使えなければ、籠を運ぶ舟は別の荷下ろし場へ回らなければならない。
ギルドへ被害を届け、昨日はベックと、鰐の出入りした場所を調べた。
大きい獲物を一人で追うつもりはない。
水から上がる岸と、人が逃げる道を先に選び、ガドへ盾を相談した。二番の剣は、ギルドで借りた。二本の鞘を並べるだけで、今までと違う戦いが出来そうだった。
「口を受け止めたいのか」
「舟へ向かう頭を、盾で横へそらしたいんです」
「なら、板を正面へ立てるな。斜めに使え」
出来たのは、横木を重ねて金具で締めた幅広の盾だった。裏には両手で握る横柄があり、下端を地面へ置いて支えられる。
昨日は二人とも出し、盾の角度と、剣役が入る順を繰り返した。戻ったら俺も同じ足でやり、食べて眠る。朝の踏み込みは、昨日より鋭くなっていた。
受け続けず、押された向きへ半歩ずれる。
盾が倒れそうなら、手を離して退く。
道具も、俺も、ここで使い切るために来たのではない。
*
朝の水面は、風がなくても揺れていた。
俺たちは岸から水路を見下ろしていた。左は浅い砂地。右には膝ほどの土手がある。その間の斜面を使い、ベックが最後の舟を引き上げている。
一分ごとに二人を呼び、厚い手の男を左の砂地へ立たせた。両手には幅広の盾。青い布を巻いた二番は、土手の下で剣を構える。
俺は右の土手へ回る。ガドが固定した板を使えば、鰐の横へ下りられる。
ミナとユルは人を岸から退かせ、セラは平地で受け止める。舟が上がるまで、頭をこちらへ向けるのが俺たちの役だ。
舟底を、黒いものが擦った。
水が割れる。
葦牙鰐の長い顎が、岸へ乗り上げた。
杭を噛み折った白い牙。泥を鎧のように載せた背中。俺の剣であの鱗を叩いても、刃の方が欠ける。
「舟を上げて! こっちは、俺たちが!」
分身を舟の前へ出す。
《収支眼》(しゅうしがん)に、後脚へ集まる流れが映った。
砂が弾けた。
分身の脚から腰、両腕へ、琥珀の光が走る。
牙と盾が、ぶつかった。
腹まで響く音がした。板の端が削れ、砕けた木が俺の頬を掠める。
それでも、厚い手は横柄を放さない。
「左へ、流せ!」
分身が半歩ずれた。
斜めの盾を鼻先が滑り、長い顎が浅瀬へ振られる。舟へ向かっていた巨体が、岸へ横腹を見せた。
止めるだけなら、押し負ける。
向きを変えれば、俺が入れる。
土手へ駆け上がった俺へ、尾が来た。
屈む。
太い尾が板の下を薙ぎ、泥水が頭の上を越えた。俺の立っていた砂が、ひと筋えぐれる。
鰐が頭を戻す。その先には、もう盾がある。
今度は端へ、牙が食い込んだ。
「柄を持ち替えろ!」
分身が左手をずらし、噛まれた端と一緒に身体を回す。板は軋んだが、引き倒されずに踏みとどまった。
ユルが土手の上から、砂地の印を指す。
「あと一歩、後ろです!」
分身の踵が印へ届いた。ガドが板の綱を張り直す。
俺は剣を構えたまま、盾と鰐の間を見た。
こちらが踏み込む力を増やせば、向こうの盾は弱くなる。だから、渡すのは一瞬。鰐が自分の重さで進んでくる時だ。
「舟は!」
「上がった! 人も離れた!」
ベックの声が返る。
分身へ、盾を岸側へ傾けさせた。
鰐が、開いた隙間へ鼻をねじ込む。
頭に引かれ、前脚が斜面へ出た。その後ろに、鱗の薄い皺がある。昨日ベックが教えてくれた場所だ。
狙いを隠す泡へ、水筒の水を垂らした。
《導水糸》(どうすいし)。
細い流れが脇を伝い、泡を横へ連れ去る。皺の切れ目が現れた。
術を切る。
分身の両腕の光が、一段細くなった。
その力を、二番の脚と腰へ。
「二番、今だ!」
若い俺が、土手の下から踏み込んだ。
《穿牙》(せんが)。
切っ先が、前脚の後ろへ突き立つ。俺が何度も練習した突きが、今は俺の目の前を走っていた。
「引け!」
刃が抜け、二番は盾の後ろへ退く。
尾が、二番のいた場所を叩く。
泥の飛沫を浴びながら、分身へ力を戻した。
盾が立つ。長い顎を、もう一度浅瀬へ押し流す。
鰐は追おうとして、傷ついた前脚を沈ませた。
胴が傾く。
俺は剣を引きつけた。あの一度目で、届く深さは分かっている。
今度は、俺が行く。
二番の腕の光が静まった。空いた力を脚へ通す。
「――《穿牙》!」
同じ傷へ、足から腰、腕までを一本にして突き抜いた。
鰐の脚が、土を掻いた。
長い顎が砂へ落ちる。地面を伝った重い振動が、俺の靴底へ来た。
剣を抜いて退く。
盾の向こうで、もう牙は動かなかった。
*
ベックが討伐を告げると、土手の上から歓声が上がった。
分身が盾を担ぎ直す。端は大きく欠けていたが、俺の戻る場所を、最後まで守っていた。
「……やった」
声にした途端、笑いが漏れた。
ガドが土手から下り、盾の削れた縁を撫でる。
「一人で受けてたら、こいつごと持っていかれたな」
「受ける手も、切り込む手もあったので」
分身の顎を、泥水が伝う。両腕を照らしていた光は、掌の奥へ静かな火種になって残っていた。
前の俺が受け、今の俺が切り込み、俺が仕留めた。
三人で、あの鰐を倒した。
伝票の束や見本の箱を抱えていた、あの腕が。
今日は俺の剣を、届かないはずの場所へ届けた。
ベックが肩を叩いた。
「助かった。明日から、また荷を通せる!」
水路の先へ、待っていた舟が顔を出す。
壊れた杭は直さなければならない。それでも、もう道具を持って、ここへ戻れる。
「次こそ、魚を焼く所までお願いします」
ミナは、その注文は覚えてる、と笑った。
*
解体はベックが最初の刃を入れ、ミナが教わりながら尾の肉を分けた。食べられる所を聞き、皮と売る分の肉を別にする。
ユルは新しい岸の図へ、壊れた船着き場の印を足す。
セラは採取人の擦り傷を診て回る。俺は分身と、肉箱の両端へ手を掛けた。
大きな肉箱を、分身と一緒に土手の上へ運んだ。
ここまで終えれば、後は料理を待つだけだ。
俺は先に腰掛けを引き寄せ、どっかり座った。盾と借りた剣を受け取り、二人を戻す。
腕と腿へ、ずしりと疲れが来た。
盾を支え、剣を突いた重さが、まとめて来た。背もたれが欲しい。今すぐ欲しい。
「椅子まで持ってきて、大正解でした」
「明日は、運ぶ方にも大正解を頼むぞ」
ガドが笑い、ミナは肉箱の蓋を開けた。
俺は椅子ごと、そちらへ少し向きを変えた。




