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腹ペコ転生者〜前世で太っていた俺がカロリーで世界を救う〜  作者: 日向
第二章 塩の花を探して

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三十食目 塩の花を、最後のひと振り

 蟹は倒せた。けれど、洞窟からどう運び出すかで、また四人とも頭を抱えた。


「脚を外せば、四人で持てますかね」


 俺が訊くと、ユルは剣ではなく、細い帰り道を見た。


「あの曲がり角を、これが通るなら」


 結晶蟹(けっしょうがに)の鋏は、俺の胴ほどもある。


 ミナが、自分の鍋の蓋を重ねてみた。端が見えなくなった。


「これは、鍋を大きくする方が早いね」


「その前に、曲がり角を通れる大きさにしないと」


 切り分けて運べる人を、呼ぶしかなさそうだ。


 ユルとミナに町まで戻ってもらい、俺とセラは高い寝床の棚で待つことにした。蟹のそばへ居座らず、通路を見下ろせる所へ荷を上げる。セラに手首を診てもらっている間も、俺の目は、ときどき白い脚へ戻った。


「傷があるのは、その手首だよ」


「蟹は、晩飯になるかもしれないので」


「晩飯になるまでに、日が暮れると思うよ」


 実際、その通りになった。


     *


 夕方、二人が解体屋を連れて戻ってきた。男は蟹を確かめ、太い刃物を岩の上へ並べた。


「よく、殻を割らずにやったな」


 褒められたので、俺は少し胸を張った。


「割れなかったんです」


「そりゃ、いい。売れる所が多い」


 そういう褒め方だった。


 男は殻の買い取り額と、解体・運搬・冷蔵の代金を紙へ並べた。身を残しても四人へ報酬が出る見積もりだ。


 皆で倒した蟹だ。ユルの案内料とは別に、討伐の取り分も四つへ分けると決めた。


 男は白い層を剥がし、脚の付け根へ刃を入れた。俺が突いた傷とは反対側だ。殻の継ぎ目を少しずつ開くと、長い脚が一本、丸ごと離れた。


「持ってみるか」


 両腕で抱えた。


 重い。だが、運べる重さになっていた。


 《消費配分》(しょうひはいぶん)で脚と胴、腕へ合計10 kcal/分を回す。解体屋の助手と二人で木箱へ下ろし、蓋をする。もう一度潮が引いた頃、箱を低い入口から順に運び出した。


 高い細道を通るのは人と小さな荷だけ。大きい獲物には、待つ時間も必要だった。


 町へ戻って精算を済ませ、身は解体場の保管箱へ預けた。氷を足して冷やす箱は、日ごとに代金が掛かるらしい。


「食べる日が決まったら、前もって言ってくれ」


「大鍋を借りられる日にしましょう。先に相談してきます」


 俺がミナを見ると、彼女は頷いた。


「ダンに頼んでみよう。せっかくだから、一緒に食べてもらいたいね」


 別れ際にダンが見せてくれた、修理済みの大鍋を思い出す。今度は本当に、鍋いっぱいの料理を頼めそうだ。


     *


 翌日は、昼まで寝た。


 起きてパンと豆の汁を食べ、水を飲んでから、もう一度寝台へ戻る。食事が落ち着いた午後に《代謝加速》(たいしゃかそく)へ5 kcal/分を回し、張った肩を休ませた。


 その日は剣を振らず、返照石(へんしょうせき)の練習だけにした。


 石の上へ、椀を持つ手を作る。


 《魔力操作・初歩》(まりょくそうさ・しょほ)で魔素(まそ)を広げると、指が揃った。動かそうとした途端、親指がほどける。


 それでも、前に試した時より慌てなかった。


 水の糸も、最初は届かせようとするほど落ちた。小さく、近く。それが揃ったら、少しだけ先へ。


 《消費配分》から試行へ渡すのは10 kcal/分。石のすぐ上で輪郭を保ち、消えたら手を休める。夕方には、椀の底を包む形が、俺が息を吐き終えるまで残った。


 次の朝も、出来た。


 朝飯の席で、ミナが鍋を借りられたと教えてくれた。ダンも明日なら来られるという。宿の主人に庭の火を借りる話も通してくれたので、解体屋には明日、身を受け取ると伝えた。


 その後で、いつもの荷箱を借りた。セラに見てもらいながら、身体へ回す量を少しずつ増やす。


 剣の稽古、荷運び、水術。別々のことをしていたつもりでも、力を寄せては戻す動きは、どれにもあった。


 箱を台へ置き、手を離す。


 肩も、膝も、震えなかった。



最大追加消費 40 kcal/分


 休んでから、もう一度持つ。


 今度も置けた。


「大きい箱に替えます?」


「今日は、それを元の場所へ戻せたら終わり」


 セラの言う通りにした。翌日に蟹を食べる約束は、もう決まっている。匙を持てなくなるまで頑張る理由がなかった。


 《余熱庫》(よねつこ)の上限も、練習して休むたびに広がっていた。けれど、増えた空きへ力が勝手に詰まるわけではない。


 その空きは、明日の蟹で埋めるつもりだ。


     *


 蟹を倒して三日後の朝、昨日と同じ出力をもう一度確かめた。強化を止め、荷箱を戻したところへ、ダンが来た。


 肩には、あの鍋があった。


「約束の鍋だ。今朝も水を入れて確かめたぞ」


「漏れませんでした?」


「漏れたら、背負って来るか」


 底を見せてもらうと、継ぎ目がぴたりと塞がっていた。前は食事の器にするにも大きすぎた鍋が、今日は頼もしい。


 ミナが両手を合わせた。


「これなら、脚を節ごとに切れば蒸せる」


「鍋の礼は、一杯でいいぞ」


 ダンが言う。


 俺は念のため、椀の大きさを見た。


「お前が決めるな」


 まだ何も言っていなかった。


 宿の主人に借りた裏庭で、石を組んで鍋を据える。洗った小さな殻を底へ重ね、その上に木のすのこを置いた。水は、すのこに届かない高さまで。


 氷の箱から受け取った脚を載せると、ようやく今日の獲物が食べ物に見えてきた。


「これなら一度に蒸せるね。レン、薪をお願い」


 ミナに頷き、俺は薪を運ぶ方へ回った。《消費配分》は腕と脚へ合計3 kcal/分。切った薪も、食器も、置く場所を先に空ける。


 蓋の隙間から、白い湯気が出た。


 あの洞窟の白さとは違う。


 今度は、近づきたくなる匂いだった。


     *


 脚の殻を割ると、中から白い身がせり出した。


 指で引く。太い繊維がまとまったまま抜けて、皿へ載せる前に、温かい汁が手首へ伝った。


「まず、そのまま」


 ミナに言われ、一口齧る。


 歯が入ったところで、身がほぐれた。


 小蟹よりずっと厚い。なのに硬くない。噛むと甘い汁が舌の奥まで広がり、飲み込んだ後にも、磯の香りが鼻へ戻ってきた。


 俺は次の一口を持ったまま、止まった。


 隣でセラも止まっていた。


 ユルは何か言いかけ、口を閉じて噛み直した。ダンまで黙っている。


 ミナだけが、俺たちの顔を順番に見た。


「……喋らないと、不安になるんだけど」


「おいしくて、噛むのを止めたくなくて」


「返事より、蟹?」


 俺は頷き、ようやく全員が笑った。


 二口目には、酸果(さんか)を絞った。


 爽やかな酸味の後から、さっきよりはっきり甘さが来る。次に手を伸ばすのを止められず、俺は殻の片側を綺麗に空けた。


 ミナが小さな包みを開く。


 塩の花だ。


 自分たちで道を探し、採って、鑑定してもらった薄い結晶。俺は手の汁を拭き、ひとつまみだけ取った。


「かけすぎないで。もともと、少し塩気があるから」


 指を離す。


 白い身の上へ、透き通った欠片が落ちた。


 噛んだ瞬間、小さく砕ける。


 そこだけ塩気が濃くなり、その後に広がる蟹が、驚くほど甘かった。


 ああ、この味のために来たのか。


 レドで揚げた蛙へ塩を振った時には、同じ卓にこの人たちが並ぶことまで、考えていなかった。


「来てよかったです」


 俺が言うと、ユルが殻を置いた。


「僕も。今の道を、地図に描き直せたので」


「それに、蟹もうまいですしね」


 彼の皿を示す。


 ユルは笑って、残った身へ塩を一粒、足した。


     *


 殻で取った汁には、パンを浸した。


 焼けた表面が汁を吸い、匙で押すと、柔らかく沈む。口へ運べば、小麦の甘さの後から、もう一度蟹の味がした。


 俺は二杯目を先に取り分けた。


「その椀、まだ空いてないぞ」


 ダンが言う。


「冷ましておく分です」


「なるほどな」


 隣へ彼の二杯目も並んだ。


 ミナは鍋を覗き、笑いながら俺たちの分を足してくれた。


「次は、湿地の魚を潮葉(しおば)で包んでみたいな」


「案内なら、また頼んでもらえますか」


 ユルが顔を上げる。


「父の図を写すだけじゃなくて、僕の図にしたいんです。休める所も、今日みたいに火を使える所も」


「鍋を置ける場所も、お願いします」


「それ、書いてあります」


 ミナが嬉しそうに頷いた。


 俺も、次の採取の相談を始めた。今度は食べたい物の名前だけでなく、持って帰る道と、調理する場所も訊けた。


 セラは、一度レドの診療所へ戻るつもりだと話した。帰る日を相談する手紙を、明日の便へ預けるという。


「また一緒に出られるように、留守中の薬の補充を任せられるか相談しておく」


「その時は、何を食べたいですか」


「今日と同じくらい、私の分が残るもの」


 俺は伸ばしかけた匙を止めた。


 彼女は笑い、自分の椀を引き寄せる。


「大丈夫。もう取ってある」


     *


 鍋を洗い、火を始末し、余った薪を宿へ返した。


 椅子へ腰を落ち着け、のんびり喋っているうちに、庭の影が長くなる。解体屋への支払いの控えも、使った道具も片付いた頃には、食事の吸収も落ち着き、《余熱庫》へ朝より多くの力が収まっていた。


 俺は作業台の端へ、返照石を置いた。


 最後に、少しだけ。


 試行へ8 kcal/分を回し、掌の輪郭を石の上へ広げる。さっき持った椀の丸みを思い出すと、五本の指が揃った。


 俺の右手は、卓へ伏せたままだ。


 もう一つの手だけを、開いてみる。


 光の指が、ゆっくり伸びた。


「レン?」


 乾いた皿を棚へ戻そうとしたミナが止まる。


 驚いて顔を上げても、今度は消えなかった。


 まだ、皿一枚も持てない。


 けれど、二本しかなかった手の横で、三本目がちゃんと開いていた。


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