二十七食目 塩の値段と、指先の魔法
「食べなかったのは、よかったですね」
サイと名乗った鑑定人は、袋の中を見て最初にそう言った。
机の向こうにいるのは、藍黒の髪を襟足で束ねた、俺より少し年上に見える男だった。切れ長の灰紫の目と、端正な顔立ち。袖口に小さい焼け跡があり、右手の指だけ、薄い手袋をしている。
洞窟から戻って二日後の朝だ。昨日は休養と道具の手入れに使い、今日は予約していた鑑定へ四人で来た。
サイは白い皿を三つ並べた。
薄い結晶、砕けた塊、透明な粒。
「一緒に採れた物でも、品によって値段は別です。どこで採りました?」
ユルが地図を広げる。
サイは山積みの紙から、別の採塩図を引き出した。俺たちの線と重ねるのではなく、壁の向きと棚の高さを、一つずつ見比べている。
「ここは、今も乾いていましたか」
「水の跡は下でした。風は、海側の割れ目から」
ユルの返事が少し早くなる。
俺はその横で、薄い結晶を見ていた。
サイが一片を持ち上げ、光へかざす。
「塩の花は、結晶の形が残るほどいい。洗って固め直した物とは、噛んだ時に違いが出ます」
「それ、分かります」
思わず頷くと、彼が初めて俺を見た。
「売るなら、粉にせず持ち帰るのが正解です。今回は、花の形がよく残っています」
袋を持つ手から、少し力が抜けた。
今回は、褒められる方だった。
*
塩の花と、普通の岩塩は別々に値が付いた。
元の袋へ戻す時、俺はやけに慎重になっていた。さっきまで指へ付いた粉を払っていたのに、今は一粒まで目で追っている。
「皿の上で摘めば、落としても戻せるよ」
ミナが言った。
「顔に出てました?」
「一粒も落とさないように、指先だけでつまんでた」
少し恥ずかしくなった。
サイは見積もりを終え、試料の一部を小瓶へ分けた。依頼した鑑定の代金を払い、採取場所と品の名を書いた証明を受け取る。
その間に、彼は細い針へ魔素を通し、透明な粒へ先を当てた。何を残す石か調べる、小さな実験だという。
粒の中に、針と似た光が一瞬残った。
「こっちは返照石。食用ではなく、魔法の道具に使う石です。塩とは別に査定します。触れた魔素の形を少し保つので、扱うなら入門書から」
俺は石を見る。
針を離した後にも、形があった。
「この形を大きくしたら、鍋を持つ手にもなります?」
「今のを見て、その相談になりますか」
サイが少し笑った。
「形が残っても、それだけで物を持てるわけではありません。まずは、魔素を動かす練習からです」
「でも、鍋を持つ手が増えたら、便利だよね」
ミナもそう言って頷いた。
「石の練習は後で。本来の塩も確かめましょう」
サイは透明な粒を別皿へ移し、残った塩の塊へ水を落とした。
角が、ゆっくり丸くなる。
「花の方は、こうして洗うと形がなくなります。売る分は乾いたまま」
隣の皿には、もう塩の溶けた水が入っていた。同じ大きさの別の欠片を落としても、こちらはしばらく、角が残っている。
ミナが身を乗り出した。
「洗い方でも、味が変わるんだ」
「形が変われば、舌へ触れる所も変わりますから」
彼は一枚の札へ、食べる塩と、売る塩と、食べない石の印を分けた。
俺も覚えようと、紙へ鍋の絵を描いた。
サイが筆先を止める。
「この四角い獣は?」
「鍋です」
ミナは黙って、その絵の上に小さく蓋を足した。
少しだけ、鍋へ近づいた。
ユルがその横へ塩の粒を描き、食用の袋と同じ印にしてくれた。俺の絵が読めなくても、取り違えずに済みそうだった。
「魔素を動かす練習も、載っている本はありますか」
俺が訊くと、サイは棚から本を一冊出した。
表紙の下へ、ロザ、という名がある。
「私の師匠の入門書です。石を扱う前に、最初の練習から。貸しますから、食卓の汁には気をつけて」
俺は、両手で受け取った。
*
鑑定のあと、道具屋へ回った。鑑定代を払い、この先の食費も残したい。昨日のうちに、午前の荷出しを手伝う約束をしてあった。
塩を運ぶ小さな箱と、空の籠を裏の倉から店へ出す。ユルが買い足す道具を選ぶ間、俺も運ぶ方を手伝った。
荷出しでは、《消費配分》(しょうひはいぶん)で腕と脚、体幹へ合計10 kcal/分。重い箱を抱えたまま、腰だけを捻らない。
曲がるときは足を小さく踏み替え、箱ごと向きを変える。箱を壁へぶつけないよう、曲がり角ではいったん止まった。
荷を下ろすと、店の人が奥の二箱へ目をやった。これまでなら二人で持っていた重さだ。
今朝から、いつもの強化の先にも力が通る。よく眠った手足には、余裕があった。
店の人に裏庭を借り、先に一箱だけ、低い台へ移してみることにした。
セラが傍へ来る。
「運ぶ方は、終わった?」
「はい。今度は、一つだけ確かめます」
画面を開く。
最大追加消費 30 kcal/分
増えていた。
足と胴へ、次に腕へ。増えた力を通すと、箱が胸の高さまで上がった。
台へ下ろし、強化を切る。
「どう?」
「次の箱も、いけます」
もう一度試す代わりに、空いた荷台を奥の二箱へ寄せた。
店の人が、運び残した箱を指した。
「あと二つ、頼めるかい」
「はい。昼飯の前に、終わらせましょう」
今度は一人で抱え、曲がり角でも壁へ当てずに運べた。裏で待っていた店の人が、空になった荷台を見て笑う。
増えた力は、もう明日の話ではなかった。
「これなら、少し多めに持って帰れそうです」
「持ち帰るのは、食べられる分ね」
「売る分も」
ミナが、すかさず加えた。
増えた力には、もう三つくらい使い道があった。
*
昼飯は、パン屋の裏で食べた。
屋台を預かってくれた女将が、火の落ちた窯の端を貸してくれる。ミナは、約束していた潮葉で小さな肉包みを作った。
蒸し焼きになった葉を剥くと、脂へ青い香りが移っていた。
俺の前には、塩の花も少し置かれた。
今度は自分たちで採った物だ。
一粒を摘む。
本当に、皿の上で摘んだ。
肉の端へ乗せ、噛んだ。
薄い結晶が、舌の上で小さく割れた。
塩気の後へ肉の甘さが来る。しっかり塩をして焼いた肉と違い、同じ一枚でも、塩気の濃い所と肉そのものの味がする所がある。噛む場所で味が変わるのが楽しかった。
女将が自分の包みを開け、頷く。
「この葉、パンの上でも使えそうだね」
ミナが、次の作り方を話し始めた。
俺はその横で、もう一粒を摘んだ。
高い塩だ。
けれど、肉がおいしくなる一粒まで惜しむ気にはならなかった。
*
夕方、ユルが仕上げた地図の写しを持ち、俺たちは橋を渡って対岸の待合へ行った。
崩れた旧道には横線が引かれ、低い入口と高い細道が別の線で繋がっている。潮の高さと、荷が通る幅も書いてあった。
待合の係へ見せると、案内に使うため、一枚預かりたいと言われた。
「ここを測った人の名も、入れといて」
ユルの手が止まった。
父の名の下に、小さい隙間がある。
彼はそこへ、自分の名を書いた。
俺は、乾くまで紙の角を押さえた。
宿へ帰ると、借りた本を卓へ出す。もちろん、汁の椀は反対側へ置いた。
最初の練習は、水滴へ魔素を触れさせるだけだった。俺は《消費配分》で、魔素を動かす練習へ1 kcal/分を回した。
セラが読み方を確かめ、俺は浅い皿へ指を寄せる。引こうとすると水は潰れ、押そうとすると指だけ濡れた。
「治療でも、力を入れる場所を狭くする練習はしたよ。水の術は教えられないけど」
「まず、どこへ触ってるか分かるように、ですか」
彼女が頷いた。
俺は腕の余計な力を抜き、練習へ回したカロリーを使って、指先から細く魔素を流した。一滴の縁が、こちらへ伸びる。
そこで切れた。
皿の外へ零れた水を拭き、本へ目を戻す。挿絵では、離した指と水の間に細い線が繋がっていた。
次は、指を離した後の形も見てみよう。
包みから透明な石を転がす。
同じ1 kcal/分の配分を石の試行へ切り替える。指先を寄せて魔素を流すと、石の中で光が折れた。
離した指と、石へ残った指の形。
二つがしばらく、同じ向きに並んでいた。




