二十三食目 料理人
「私も、塩花洞へ行きたい」
橋の仕事をした翌朝、宿の食堂で待ち合わせると、ミナは朝飯より先にそう言った。
俺の前へ出されたのは皿ではなく、折り畳んだ布だった。縫い目が丈夫で、四隅に紐が付いている。
「食材を包むのに使える。水が少し掛かっても、すぐ中までしみない」
「俺の荷物、そんなに濡れそうですか」
「濡れたら泣きそうだから、先に持ってきた」
反論できなかった。
ミナは隣へ座り、俺とセラの顔を見た。
「洞窟の中に、潮葉って草があるんだって。塩を吹く葉で、昔、お客さんが魚を包んで焼いたって話してた」
「うまそうですね」
「うまいかどうか、まだ分からない。だから、私の手で作ってみたい」
彼女は布の角を整えた。
俺の分を作るため、とは言わなかった。
自分で食べたい物が、向こうにある。その話なら、とてもよく分かる。
「一緒に行きましょう」
すぐ答えると、ミナがぱっと顔を上げた。
「先に、一つだけ」
セラが、まだ空の卓を指で叩く。
「洞窟では、鍋を置けない所もあるよ」
ミナは深刻そうに頷いた。
「そこ、いちばん心配してた」
「ほかにも、心配する所はありますけどね」
俺が言うと、二人とも俺を見た。
少なくとも今日は、俺がそれを言える日だった。
*
ミナの屋台は、洞窟へ行っている間、知り合いに預けることになった。
ミナの知り合いがやっている、小さなパン屋の裏だ。女将が戸を開けるなり、直った車輪を見て眉を上げた。
「今度は、ちゃんと戻ってくるんだろうね」
「屋台が?」
「あんたが」
ミナは笑い、まず持っていた道具箱を下ろした。潮葉で料理を試したくて塩花洞へ行くのだと話すと、女将は屋台の置き場所を空けてくれた。
預ける物と持っていく物を分ける。大きい鉄板は残し、深い鍋を一つ。包丁は布へ巻き、小さい塩の壺と油の瓶も鞄へ入れた。
最後に、道具の下へしまっていた古い札を取り出す。街道でも見た、店の名を裏返してあった札だ。
彼女は少しの間、それを手に持っていた。
「それ、持っていくんですか」
「置いてく。今は、看板より鍋」
札を道具箱の底へ寝かせる。
女将は何も訊かず、上へ乾いた布を掛けた。
ミナの手は、そこから離れると早かった。棚の隙間へ屋台を寄せ、雨の入らない向きへ車輪を回す。俺も《消費配分》(しょうひはいぶん)で腕と脚、体幹へ合計6 kcal/分を回して梁へ手を添え、壁の手前で止めた。
荷台がなくなると、彼女の荷物は思ったより小さかった。
「包丁って、そんなに何本もいるんですね」
「硬い骨へ当てた刃で、薄い葉は切りたくないから。食べる物によって、使う方を変える」
包丁も、一本あれば何でも切れるわけではないらしい。
女将が、焼きたてのパンを紙へ包んで渡した。
「帰ってきたら、その葉で作った物を味見させな」
「売っていい味だったらね」
「前より、いい返事だ」
ミナは苦笑して、預ける食材箱の鍵を渡した。
*
オルンは次の取引へ、ダンはサルナの町外れにある自分の家へ。朝、二人が河岸で荷を分けていたので、別れの挨拶に行った。
商人の荷台は、来たときとは中身が変わっていた。あの狼の毛皮も、もう別の包みへ綺麗に畳まれている。
「俺はまだ何日かサルナで商売する。塩が採れたら見せに来いよ。全部食べる前にな」
「味見用は分けてもいいですか」
「味見は普通分けるほどの量にならん」
オルンは笑い、ミナへも手を上げた。
ダンの荷台には、直った鍋が乗っていた。
底へ光をかざし、わざわざ穴がない所を見せてくれる。
「今度は、ちゃんと煮える」
「お邪魔しても?」
「塩を持ってこい。倉を片付けてる間に、沸かしとく」
行く先が別でも、約束は持っていけるらしい。
荷車が動き出す。
最初に助けた日に聞いた車輪の軋みが、今日は少し遠くから聞こえた。
俺たちは並んで見送った。
振り返ると、ミナがもうパンの包みを覗いていた。
「これ、洞窟まで取っておく分もあるんだけど」
「俺、まだ何も言ってません」
「私が今、食べたかったの」
セラが声を立てて笑った。
俺は包みの端を押さえた。ミナがパンを三つに割る。中はまだ温かく、裂けた所から麦の甘い匂いがした。
*
昼は宿の台所を借り、明日の弁当を仕込んだ。
ミナと一緒に鍋を洗い、俺が覚えたばかりの端肉の汁も作る。仕込みを助ける《消費配分》は、合計3 kcal/分。それでも玉菜を返す手が早すぎて、彼女に匙の先で止められた。
「まだ待つ」
「今度は、分かってたんですけど」
「手の方が先に忘れたね」
同じやり取りでも、街道で教わった日より少しだけ長く待てた。
焼き色が付くと、ミナは俺へ返させてくれた。鍋の底から甘い匂いが上がる。焦がす手前の色が、初めて自分の匙の向こうで揃った。
「これですか」
「それ。次は水」
注ぐと、音が一気に丸くなった。
昼飯を済ませ、荷物へ戻る前に、三人で卓を囲んだ。
ミナは、危ない所では前へ出ないと言った。知らない草や肉は勝手に切らず、採っていい物を案内に確かめる。その代わり、下ごしらえを始めたら、俺が勝手に食べない。
「最後だけ、妙に俺へ向いてません?」
「いい匂いでも、生の物はあるから」
「それは、ちゃんと待ちます」
セラも、診療所へ戻る予定を話した。
塩を採るために、いつまでも町を離れていられるわけではない。洞窟の様子を見て、無理なら一度戻る。
俺も頷いた。
塩が採れるまでと、セラを引き留める旅にはしたくなかった。
「採れなかったら、市場で少し買って帰ります」
「塩が採れなくても、潮葉は見つかるかもしれないしね」
ミナが言った。
街道で料理を教わり、旅の仲間も増えた。塩が採れなくても、この旅には来てよかったと思う。
話が済むと、弁当の包みを並べる。
三人なのに、七つあった。
セラが自分の一つへ、小さく印を付けた。ミナも自分の分を横へ寄せる。
残りの五つが、俺の前へ揃った。
「見分けやすいですね」
「一つずつ名前を書くより、早い」
自分の分の代金を渡すと、ミナは受け取り、買い足すパンの量を紙へ書いた。
仲間が増えた。
ミナが新しい料理を試すときは、仕込みを手伝いたい。危ない魔物が出たら、俺が前に立つ。食べさせてもらうだけでなく、俺にもできることがある。
そんなふうに助け合って旅ができたら、きっと楽しい。
*
夕方、直った橋を歩いて渡り、対岸の待合へ案内人の張り紙を見に行った。
橋守が教えてくれた待合には、潮の時刻と、洞窟の入口の簡単な図が貼ってあった。
隅に、新しい紙が重ねてある。
――父の測量図あり。現地の変更は、現地で測ります。
その下の文字は、小さくなっていた。
――測り直した部分は、勝手に消さないでください。
「頼めそう?」
セラに訊かれ、俺は紙の角を見た。
重ねた貼り跡がある。何度か書き直したらしい。
「分からない所を、測る人ではありそうです」
待合の係に頼み、明日の朝に会うことになった。
宿へ戻ると、ミナが鍋の蓋を開けた。
明日の弁当とは別に、今夜の汁が湯気を上げている。
俺は卓へ椅子を三つ寄せ、卓の真ん中の鍋敷きへ鍋を置いた。
塩の花は、まだない。
俺は旅の献立を書いた紙を出し、空いていた所へ、潮葉、と書き足した。
ミナがその下へ、鍋を置く場所、と加える。セラは横へ、飲み水と戻り道も確かめる、と書き足した。
紙はまた、少し読みにくくなった。
明日、実際の道を知っている人に見せよう。
俺は三人で汚したその紙を畳み、洞窟へ持っていく鞄のいちばん上へしまった。




