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腹ペコ転生者〜前世で太っていた俺がカロリーで世界を救う〜  作者: 日向
第一章 腹ペコ冒険者、はじめました

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二十一食目 食べたはずの獣

 その獣は、餌を食べていた。


 約束した翌朝、解体場の裏へ行くと、檻の中で小さな口が動いていた。枝葉を噛み、嚥下する。肋骨の浮いた体に、腹だけが重たそうに垂れている。


「昨日も、その前も食ってる。飼い主が言うには、急に痩せたそうだ」


 解体場の男は、檻へ手を近づけなかった。

 途中まで一緒に来たセラは、馬の世話係に呼ばれ、隣の繋ぎ場へ回っていた。


 シマ角獣(しまつのじゅう)という、普段は荷を引かせる魔物らしい。家畜にできるほど穏やかなのだが、今は耳を伏せ、近づく者へ角を向けていた。


「ここは生きた家畜の検分もする。肉にしていい状態かも分からんから、先に獣医を呼んだんだ。昨夜言ってた鼠の絵、持ってきたか」


 俺は頷き、鞄から紙を出した。


 ヨハンの穀倉で見た黒い棘を、その夜、自分の手帳へ描いたものだ。原因が分かったわけではないので、見えた位置と流れだけを書き添えてある。


 紙に描いた鼠の棘と、目の前の獣の棘は、形がよく似ていた。


 檻の外から、《収支眼》(しゅうしがん)へ1 kcal/分を回した。


 獣の首や脚には、細い流れが見えた。餌を噛むたび、顎の辺りが少し強くなる。だが、背の棘へ寄る流れだけは、噛んでも、やめても、同じように続いていた。


 明るくなり、細くなって、根元へ消える。


 俺は檻の横へ回った。見える範囲が変わると、棘の影も変わる。体の中まで見通せるわけではなかった。


「分かるか?」


「ここへ、力が寄ってるようには見えます。でも、抜けば治るかは分かりません」


 男の手が、腰の鉗子へ伸びかけて止まった。


「分かった。獣医が来てからにする」


 俺も《収支眼》を止め、檻から一歩離れた。


 枝葉を噛む音だけが残った。


 檻の脇には、飼い主も来ていた。解体場の男が道具を取りに離れても、この人は獣から目を離さなかった。


 飼い主が握る縄には、同じ所を何度も擦った跡があった。荷を引くとき、この獣と毎日使っているのだろう。


「あんたの目で、治るかどうかも見えないか」


 飼い主に、小さな声で訊かれた。


 俺は首を振った。


「今、どこへ力を使ってるか。それも、外から見える分だけです」


 飼い主は縄を握り直した。


 ここへ来るまで、俺も餌を食べているなら大丈夫だと思いたかった。毎朝この獣を連れ出していた人なら、なおさらだろう。


 檻の前へ、水の桶を置く。


 桶には引き戻すための縄を結び、板で押して檻の中へ滑らせた。手は柵の外に置いたまま、縄の端を足もとへ残す。しばらくすると、黒ずんだ鼻先が桶へ触れた。


「名前は?」


「シオ。荷台の塩を舐めたから」


 俺は、水を飲む獣を見た。


 シオ、と心の中で呼んでみる。名前を聞く前より、この獣のことが気にかかった。


     *


 セラは、隣の繋ぎ場にいた。


 商隊の馬が一頭、朝の飼葉を残したという。昨日の獣を見て、すぐ同じ病気ではないかと騒ぎになったらしい。


 彼女は桶の水を替え、馬の鼻先へ掌を差し出した。


「昨夜、いつもの場所で寝た?」


 世話係に訊く。


「昨日は、初めてここへ。隣の獣が暴れて、それで」


「脚に熱はない。まず静かな所へ移して、食べ方を見よう」


 馬は水を飲み、桶の縁を鼻で押した。


 それだけの動きで、世話係の肩が落ちた。


 俺は黒い棘の話をした。セラは、紙と檻の方を交互に見たが、馬へ同じ処置をしようとはしなかった。


「似てるから、同じ、とは決められないね」


「あっちも、食べてはいるんです」


「それなら余計、食べ方以外も見たい」


 セラは獣医への伝言を世話係に頼み、馬を静かな繋ぎ場へ移すのを手伝った。様子が落ち着いたのを確かめると、薬の仕入れへ向かった。


 俺は検分場に残り、獣医を待つ間、解体場の人たちと水桶や餌台を入れ替えた。布や道具を揃えるうちに、日が高くなってきた。獣のいた場所から、普段使う餌の桶や道具を分ける。《消費配分》(しょうひはいぶん)で腕と脚、体幹へ合計4 kcal/分を回し、重い台を移して檻の周りを空けた。診る人が来たとき、すぐ背へ回れるようにするためだ。


 獣へ近づくと、角がこちらを向く。


 柵の隙間から角の先が出た。俺は檻の外で餌台の板を立て、飼い主との間へ挟む。《収支眼》と、腕と脚、防御への配分を合わせて12 kcal/分。角の向きを見ながら、板を持ったまま飼い主と一緒に下がった。届かない所まで離れると、獣はようやく頭を戻した。


 何かしてやりたくても、棘を抜いていいのかさえ分からない。板を下ろし、獣医を待った。


 獣医が来たのは、昼前だった。


 紙を渡し、棘へ寄る流れの見え方だけを説明する。餌を食べた時刻と量は、飼い主が伝えた。俺の見た物より、そちらを先に詳しく訊かれた。


 餌をどれだけ食べたかも、診るために必要な記録らしい。俺は説明を止め、飼い主の話を一緒に聞いた。


 獣医は紙の絵を写し取り、棘の見える側へ灯りを置いた。


 すぐに抜くとは言わなかった。棘の周りの皮膚を診て、飼い主へ、これが生える前の体毛の色まで訊いている。


 俺の出番はそこで終わった。


 戸口で振り向くと、飼い主はもう椅子を借りていた。縄を膝に置き、シオの耳の動きを見ている。


 帰り際、解体場の男が手を上げた。


「紙の写し、レドの方にも回す。自分で戻らなくていいぞ」


 俺は、その一言にも礼を言った。


 写しは町の連絡便で届けてくれるという。塩探しを中断して、俺がレドへ戻らなくてもよかった。


     *


「今日は肉、食べない?」


 屋台へ戻ると、ミナに訊かれた。


 俺は鍋を見た。


「その肉は、どこから?」


「昨日と同じ市場の肉屋だよ。あの獣を料理したんじゃないからね」


「じゃあ、食べます」


「よかった。レンが肉を断つ日になったら、私、仕込みを考え直さないと」


 ミナが椀を置いた。


 白い豆と、細く裂いた肉。上へ刻んだ青い葉が散っている。黒い棘のことを考えていた鼻へ、先に爽やかな香りが入った。


 一口飲む。


 豆は端が少し崩れ、汁にとろみを付けていた。肉の細い繊維が舌へ残り、噛むと塩気が戻ってくる。


 昨日の汁とは、また違う。


「葉、最後に入れたんですね」


「うん。煮すぎると、香りが飛ぶから」


 セラが隣へ座り、自分の分を受け取った。


「薬の仕入れは、どうでした?」


「注文は済んだよ。午後に集配所で受け取る分を待つだけ。レンの方は?」


「棘の絵と、見えたことのメモを獣医に渡しました」


「じゃあ、こっちを食べよう」


 俺は匙を動かした。


 さっきの獣が、明日には少しでも落ち着くといいと思った。だが、俺が夕飯までずっと餌の音を思い出していても、治療ができるわけではない。


 ミナの鍋は、今、うまい。


 温かいうちに食べると、彼女も嬉しそうだった。


 椀を空け、塩花洞(えんかどう)へ行く道を訊いた。


 ミナ自身は洞窟へ入ったことがない。ただ、屋台へ来た採塩人から、海岸まで長く歩くことや、手の傷へ塩がしみることは聞いていた。


「じゃあ、厚い手袋がいりますね」


「あと、足。けっこう歩く」


「それは持って来ました」


「増やせない方だね」


 彼女が言い、俺は自分の二本の脚を見た。


 手も、脚も、今はこれだけだ。


 それでも、一緒に歩ける人は増えていた。


     *


 食事のあと、セラは薬を受け取るため先に集配所へ向かった。俺とミナは屋台を片付けてから追いついた。そこでオルンの知り合いが、息を切らして入ってきた。


「あの橋、渡れなくなったぞ」


 塩花洞へ続く、川の橋だった。


 上流で流れた木が掛かり、古い橋桁が落ちたらしい。塩を運ぶ荷車も、対岸へ止まったままだという。


「舟は?」


「人だけなら渡せる。荷車まではな」


 セラが、今受け取ったばかりの薬包へ目を落とした。


 対岸へ回す予定の分が、そこにあった。


「薬は舟で届けられるね」


 セラが舟の出る時刻を訊く。俺も、それで向こう岸へ渡れると思った。


「橋守が、明日の材運びを探してる。日当も出るぞ」


 男の言葉に、俺は腰の財布へ触れた。洞窟へ持っていく道具代も要る。荷を運ぶ仕事なら、街道で何度も手伝った。


「俺でも手伝えますか」


「朝、渡し場へ来てくれ。何を頼むかは、橋守と決めな」


 隣で話を聞いていたミナが、俺へ顔を向けた。


「弁当、何を入れる?」


「肉入りの麦餅を、できれば多めに」


 答えてから、明日の仕事の話より弁当の相談が先になったことに気づいた。ミナは笑って頷いた。


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