二十食目 食費を稼ぐための試食
そこからさらに道を進んだ、二日後の朝。
サルナの門をくぐり、商隊と荷を清算した。ミナに教わった市場近くの宿へ部屋を取り、泊まる荷物を置いてから、朝の市場へ向かう。
最初の店で、俺は足を止めた。
「これなら、肉を買った方がいいのでは」
「塩を買いに来たんじゃなかったか?」
オルンの指摘が、朝の市場でよく響いた。
塩の花は、指で摘めるほどの包みに入っていた。
肉は大きな塊だ。
同じ値段で並べられると、どうしても塊の方へ目が行く。
「塩を採るなら、道具もいる。それに、いい花ばかり採れるとは限らない」
オルンが言った。
宿代を払い、帰り道の保存食にも硬貨を分けておいた。狼の素材と旅の報酬を合わせても、塩へ使える分は思ったより少ない。
安い岩塩なら買える。
でも、あの軽く割れる一粒を、もう一度食べたかった。
「じゃあ、食費を少し稼ごうか」
横で、ミナが屋台の布を外した。
「ここ、知り合いから借りられるの。夕方までなら」
通り脇の空いた区画へ屋台を入れ、車輪を木片で止めた。焼き台の中へ薪を足し、上の鉄板を温める。
俺は鞄を下ろした。
「何をすればいいですか」
「まず、食べて。通りから、焼けた所が見えるようにね」
俺が味見をして、足を止めた人へミナが売る。仕込みと店番も手伝う代わりに、賃をもらう話になった。
最初の仕事は、一番得意な注文だった。
*
鉄板へ、薄い端肉が落ちる。
じゅっ、と短く鳴った。
ミナが返し、酸果を一滴。端が縮んだところを木の串へ刺し、俺へ渡す。
熱い。
ふうと吹いて、噛んだ。
小さい肉なのに、焼き目が舌へはっきり残った。噛むほど味が出て、最後に酸味が口を軽くする。
「うまい」
「うん。それは、もう知ってる」
ミナは店の前を示した。
通りを歩く人たちは、俺ではなく、空になった串を見ていた。
「早かった?」
「見てた人も、一緒に食べ終わった気分だよ」
それは困る。
次を貰い、今度は少し高く持った。
「ここ、端が焼けてるんです」
焦げた縁を指す。
「薄いから、中まで硬いかと思ったら」
一口、齧る。
切れたところから、細い湯気が上がった。
言葉が止まる。
「どうなの?」
通りの女が、俺の代わりに続きを聞いた。
「柔らかいです。脂が、ちゃんと残ってて」
俺が切り口を見せると、その人は店の中へ首を伸ばした。
「二つ、焼いてもらえる?」
最初の客だった。
待つ間、その人は串の先へ目を寄せた。
「あら、そこを包んでくれるの」
麦餅へ肉を置き、端を折るミナの手を見る。
「汁が落ちるので。歩くなら、底を二重にします」
「家まで持って帰るの。息子が起きてたら、半分取られるわね」
「じゃあ、切って包みます?」
「だめ。私の分を、小さく見せたくないから」
ミナが笑い、女も笑った。
受け取った包みへ鼻を寄せ、その人は一口だけ食べてから通りへ戻った。足がさっきよりゆっくりになっている。
俺は空の串を見た。
「俺も、あのくらいで歩くべきでしたか」
「レンは座って食べた方がいい。通りのご飯が全てがなくなる」
次の客が聞いて笑った。
その人は隣の魚屋の主人だった。店番の妻へ持っていく分を頼まれ、焼き上がりを並べる浅い皿を貸してくれた。
皿が増えると、並べ方を変えられた。
通りの人が足を止める所へ焼けた物を置き、まだ生の物は奥へ寄せる。俺が食べる位置も、最初のど真ん中から端へ移った。
仕事というより、店が少しずつ形を変えていくみたいだった。
遠くで市場の鐘が鳴った。ミナが顔を上げ、俺へ新しい肉を渡す。
「今度は、三口で」
「難しい注文ですね」
「おいしいところは、長くてもいいの」
俺は言われた通り、まず焦げた縁だけを齧った。
客の視線が、ちゃんとそこへ集まった。
*
昼前には、串より皿がよく出た。
端肉を麦餅で包み、切った玉菜を添える。肉の脂で甘くなった鉄板へ麦餅を一瞬当てると、白い表面へ茶色の筋が付いた。
ミナは焼く。
俺は包みを渡し、空いた器を下げる。
急ぐほど手を増やしたくなる仕事だった。包むのも、釣り銭を渡すのも、同じ二本の手しかない。
《消費配分》(しょうひはいぶん)で腕と脚、思考へ合計5 kcal/分を回した。動きは早まったが、今度はミナの肘へぶつかりかけた。
「ここ、私が返す場所」
彼女が鉄板の横を叩く。
俺は皿を反対へ寄せた。
マルタの台所と同じだった。人が速くなっても、皿の場所は広がらない。
注文を聞いてから包まず、先に紙を折る。焼けた皿は同じ所へ置いてもらう。少しずつ、互いの手を探さずに動けるようになった。
「もう食べないの?」
小さな客に訊かれた。
「食べる分を、今稼いでる」
「さっき、いっぱい食べてた」
「その次の分」
子供が、隣の親を見上げた。
「僕も次の分」
「あなたは今のを食べてから」
俺まで背筋が伸びた。
少し向こうで、セラが薬種店から出てくるのが見えた。小さい袋を持ち、店の列へ並ぶ。
「一皿。焦げた方、残ってる?」
「残します」
「普通の一皿でね」
俺はミナに確認してから、ちゃんと普通の皿へ乗せた。
渡すとき、セラが鉄板の向こうを見て笑った。
「二人とも、いい顔してる」
顔は見えないが、頬が熱いのは分かった。
*
売り切れの札を出すと、ミナは椅子へ座った。
俺も座ろうとして、まず鉄板の火を落とした。
「よかった。危うく燃やしたまま喜ぶところだった」
ミナが笑う。
残った肉を包み、借りた場所を掃く。片付けを終えてから紙を広げると、ミナの指が、売り上げとは別の欄を追った。
仕入れ。場所代。薪。
俺が食べた分も、隅へ書いてあった。
「食べながら働く人って、帳面が難しい」
「俺の欄、別にした方が」
「もうした」
素早かった。
約束した手伝いの賃を受け取り、ミナの分にも利益が残った。
塩の包みを山ほど買えるほどではない。でも、明日の宿と食事の心配が軽くなる。それだけで、市場の景色まで広く見えた。
オルンが戻ってきて、塩を採る洞窟と、そこの素材を見る店を教えてくれた。
「買う前に、自分で採ってみるのも手だ」
ミナは取り分をしまう前に、薄い紙をもう一枚出した。
「明日、同じことをやるなら、玉菜はこっちで買う。酸果は朝の店」
店の名前を書き足していく。
俺も、水を貰った場所と、洗い桶を借りた相手を添えた。塩へ辿り着く前に、サルナで挨拶する場所が増えていた。
俺は空いた肉の箱を見る。
うまい物のために働いて、働いたところでまたうまい物を知る。
この回り方は、かなり好きだった。
夕飯は、残しておいた端肉の汁だった。
客に出した肉より小さい欠片が、椀の中でほろほろほどける。立ったまま匂いだけ嗅いでいた昼より、座って食べる一口の方が、ずっと熱く感じた。
ミナも同じ汁を飲み、今度は勘定を気にせず息をついた。
「明日は、何を食べる?」
「まず、塩を採る方法を」
「その前の朝ご飯は?」
大事な順番を忘れていた。
夕飯の皿を片付け、ミナと宿へ戻った。明日の朝飯を相談しながら、市場裏の解体場の横を通る。
戸が開き、男たちが荷台を押してくる。
毛布の下で、何かが動いた。
細い脚。大きすぎる腹。
まだ息をしている獣の背に、黒い棘が一本、突き出ていた。
「待ってください。レドでも、あれに似た棘を見たんです」
俺が声をかけると、荷台を押していた男が振り向いた。名と泊まっている宿を告げ、明朝、絵を持って来ると約束した。




