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腹ペコ転生者〜前世で太っていた俺がカロリーで世界を救う〜  作者: 日向
第一章 腹ペコ冒険者、はじめました

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十九話 狼に渡すのは、脂の匂い

登場人物紹介(第19話まで)


レン・アスタ

前世の名は梶原蓮(かじわられん)。食べることが大好きな転生者。食事の力を蓄える珍しいスキルを使い、おいしい物を求めて冒険する。


セラ

薬草に詳しい治療師。薬の配達や仕入れのため、レンと旅をする。落ち着いた性格だが、おいしい料理には目がない。


ミナ

手押しの屋台で料理を売る旅の料理人。味には自信があるが、勘定は少し苦手。レンとは料理の話が尽きない。


ハルド

リゼ村の猟師で、エナの夫。異世界に来たばかりのレンに、狩りや働き方を教えた。口数は少ないが面倒見がよい。


エナ

ハルドの妻。レンに料理や文字を教え、村での暮らしを支えた。食卓での軽いやり取りが温かい人。


マルタ

レドの食堂を切り盛りする女主人。うまい料理と働く場所を通して、レンの町暮らしを支える。


ガド

右腕に鉤(かぎ)を付けた道具職人。冒険の経験を活かし、留め具や足場などの工夫でレンたちを助ける。


ダン

薪や板を運ぶ御者(ぎょしゃ)。レンに荷運びの知恵を教えてくれる、気さくな旅の先輩。


オルン

商隊を率いる商人。利益と安全を大切にする。レンに「塩の花」を教え、サルナへの旅のきっかけを作った。


テオ

舟職人夫婦の息子。マルタの食堂で注文を伝えたり、給仕を手伝ったりする元気な少年。


ハンナ

魔物に畑を荒らされ、レンたちへ討伐を頼んだ畑主。畑の様子や獣の動きをよく知っている。


ヨハン

穀倉(こくそう)を預かる倉番。食料を荒らす鼠の退治を、レンたちに依頼した。


トマ

迷宮で茸(きのこ)や草を採る採取人。レンたちに助けられた後も、道具や現場の知恵を貸してくれる。

 最初の狼は、明るくなるまで姿を見せなかった。


 停車場の火を絶やさず、護衛たちが交替で見張った夜の間、草の外では時々、小石が鳴った。


 朝になって荷車を並べ直したとき、道の上へ灰色の影が出た。


 低く、長い。


 肩より牙が先に見えた。


「馬を、間へ」


 護衛の一人が言った。


 停車場の石垣を背に、正面へ一台、左右へ一台ずつ荷車を寄せた。三方を荷台で囲み、馬と荷役を内側へ入れる。ミナの屋台は石垣際だ。正面の一台と、左右の一台ずつの間に、人一人が通れる隙間が残った。


 護衛の一人が左を受け持ち、もう一人は荷車の上から林を見張る。俺は右へ立つ。正面の狼とは別に、林の縁でも草が動いていた。


 《収支眼》(しゅうしがん)へ1 kcal/分を回し、先頭の狼を見た。筋張った脚へ、細い流れが寄っている。歩いているだけなのに、いつでも飛び出せるように腹が沈んでいた。


 正面の狼が左へ動く。


 俺は剣先を左へ振り、その一匹へ視線を寄せた。途端に、後ろの箱が鳴った。


「右だ!」


 振り向くと、車輪の影に別の一匹がいた。


 正面の一匹へ気を取られ、荷車沿いに来たもう一匹を見落としていた。


     *


 荷車の内側から、ダンが長い竿を突き出した。狼の鼻先へ下ろす。


 地面を叩く音に、獣が身を引く。


「右の隙間を守れ。そこを空けるな」


 俺は右の隙間へ体を向け直した。


 俺の背後には馬がいる。左の隙間は護衛が守っている。遠くの影を追って右を空ければ、そちらから入られる。


 剣を低く構え直す。《収支眼》の1 kcal/分を残し、《消費配分》(しょうひはいぶん)で使える残りの14 kcal/分を脚と防御へ回した。踏み込む瞬間には、腕へ切り替える。


 セラは馬の頬へ手を当てていた。荷役から手綱を受け取り、馬の首を押さえつけず、静かに声をかけている。


 オルンは布の陰へ人を集めた。


 俺が一匹を見ている間に、みんな別の所を守っていた。


「肉、そのままだと追ってくるよ」


 ミナの声がした。


 屋台の包みへ、布を重ねている。


「隠せます?」


「もう嗅いでる。だから、別の所へ嗅がせる」


 彼女は瓶の口を開けた。


 昨日、セラへ真っ先に気をつけろと言った脂だ。


 小さな木片を布で巻き、脂をたっぷり染ませた。投げられる重さにして、荷車の上の護衛へ渡す。


「林の手前の、あの草へ。屋台から離して」


 護衛が布を受け取る。ミナは瓶へ蓋をし、箱へ戻してから馬のそばへ下がった。


「使った脂の代金は、うちが出す」


 オルンの声に、彼女は短く頷いた。昨日、あんなに大事にしていた脂を、迷わず使ってくれたのだ。


     *


 脂の布が荷車を越え、林の手前へ落ちた。落ちた音に二匹の耳が向き、次いで鼻が上がる。風はそこから、獣のいる草むらへ流れていた。


 正面にいた一匹だけは、布を追わなかった。荷車の外側を回り、俺の守る右の隙間へ体を向ける。


 視線の先は、俺の背後の馬だった。


「来る」


 俺が言うより先に、前脚が土を離れた。


 灰色の体が、荷車の隙間を埋める。


 腕へ集めると、避ける脚が足りない。俺は斬ろうとした剣を引き、腰を落とした。牙が首のあった場所を噛む。


 肩へ、衝撃。


 借りた革の上着へ牙が当たり、防御へ残した力が衝撃を受け止めた。それでも左腕が痺れる。左肩で獣の胸を受け、荷台の縁を背の支えにして押し返した。馬のいる内側には入れさせない。


 狼が着地する。


 飛び直す後脚が、強く光った。


 今度は、脚へ回す。


 荷台の縁へ体を寄せ、肩の幅だけ身をずらす。


 狼の牙が俺の右を過ぎた。伸び切った首へ横から刃を合わせ、その瞬間だけ腕の強化へ切り替えた。


 刃が毛を割る。


 肩から先の重さが、剣へ乗った。


 硬い手応えの後、獣が道へ転がった。


 振り抜いた剣を、すぐ胸の前へ戻した。


 追って踏み出しかけた靴を、止めた。


 もう一匹は、まだ布の匂いへ向いていた。左の隙間では護衛が槍を構え、俺の背後ではダンが竿を鳴らす。


 群れの目が、倒れた一匹へ寄った。


 静かな間があった。


 やがて草が分かれ、背中が一つずつ斜面へ消えた。


 俺は、去っていく尻尾を追わなかった。


 林の縁へ残った一匹が、まだ振り返っていた。


 喉から低い音がする。


 腹の底へ力を溜め直し、俺は剣先だけを向けた。獣の頭より、後ろにある草の揺れを見る。隠れた仲間がいるのか、風だけなのか。《収支眼》を使っても、ここからは分からない。


 護衛が反対の隙間へ立った。


 狼が一歩寄る。


 俺は、一歩も出なかった。


 やがて喉の音が止み、灰色の背が向こうを向いた。


 草の揺れが、今度こそ遠ざかる。


 追わずに剣を戻す。守る場所が決まっていれば、次の一匹が来ても、ここで受けられる。


 すぐ後ろで、誰かが長い息を吐いた。


 振り返ると、商隊の若い荷役が箱の陰へ座り込んでいた。袖を強く握りすぎたのか、指が真っ白になっている。


「もう、出ていいですか」


 訊かれて、俺は護衛を見た。


 彼が林を見直し、頷く。


「ゆっくり。まだ馬の前は空けて」


 俺が言うと、若い男は箱の後ろから這い出してきた。


 それを見て初めて、剣を持っていない人がどんなふうに待っていたのか、少しだけ想像できた。


 俺は守っていた幅へ、もう一度目を落とした。


 倒れた包みは一つもなかった。剣を持つ前には気にもしなかったことが、今は妙に嬉しかった。


     *


「取られた荷は?」


 オルンの声に、皆が周りを見た。


 箱が一つ、傾いている。車輪の留め具へ、擦れた跡があった。馬は皆、怪我なく立っていた。


「荷は取られてないよ。囮の布に使った脂は減ったけど」


 ミナが答えた。


「使ったのは、さっき買うと約束した脂だけか。積み荷は無事だな」


 オルンの声が少し軽くなる。


 その一言で、俺も剣を下ろせた。


 セラに肩を見てもらう。歯は通っていない。革の縫い目の下が赤くなっていたが、動かせる。


「最後まで、ここを守れたね」


「一匹の先ばかり追って、横を見落としました」


「その後は、横の隙間も見てたね」


 彼女は荷車の隙間を示した。


 俺が守れたのは、人一人分ほどの幅だった。


 その後ろにいた人たちの顔を見ると、狭かったとは思わなかった。


 倒した狼は、護衛が討伐の証を取ってくれた。肉は食用に向かないと聞き、皮と牙だけを分ける。


 剣をしまうと、ようやく空腹に気づいた。さっきまでの緊張が解けた途端、昨日の汁が恋しくなる。


「昨日の汁、残ってます?」


 俺がミナへ訊くと、彼女は肩をすくめた。


「もう飲み切った。でも、玉菜(たまな)はまだあるよ」


「脂が」


「少しなら、残ってる」


 ミナは瓶の中を覗き、安心した顔になった。


 彼女にも、守りたい荷があったのだ。


     *


 昼からは、急いで街道を進んだ。


 斜面へ逃げた狼が戻ることはなかったが、道の狭い所では俺も荷車の横に付いた。傾く度に荷台の梁(はり)へ手を当てた。濡れた橋の上りでは、後ろの横木を押す。馬が引くのを助け、途中で荷車を後ろへ滑らせないためだ。


 腕へ回す強化は、戦うときよりずっと少ない。


 それでも日が傾く頃には、朝の痺れと混ざって、肩が重くなっていた。


 町へ向かう商人たちと合流し、ようやく停車場へ入った。


 火の傍で、セラが髪を押さえていた細い布を外している。短い灰金の髪が、頬の横へ戻った。馬の手綱を持っていた指へ、細い跡が付いていた。


 俺は水差しを近くへ寄せた。


「俺の肩だけじゃなくて、そっちも休ませてください」


 セラが手を見て、頷いた。


 ミナの鍋では、玉菜が静かに焼けている。


 肉が少なくても、昨日教わった甘い匂いがした。パンを半分へ割ると、待っていたダンが自分の椀を並べた。


 皆、同じくらい腹が減っていた。


 俺は温かい汁を飲んだ。荷物も馬も守れたから、今夜もこうして、みんなで飯を食べられる。


 食べ終える頃、オルンが俺たちへ声をかけた。


「あとは明日も進んで、明後日の朝にはサルナだ」


 俺は、ようやく塩の花をもう一度思い出した。


「市場なら、案内するよ」


 ミナが空いた椀を置いた。


「地元で食材を仕入れてたから、塩の花を売る店も知ってる」


「肉屋も、近いですか」


 俺が訊くと、ミナは笑った。


「隣にあるよ。でも、先に塩の値段を見ておこうね。あれ、普通の塩よりずっと高いから」


「肉よりですか?」


 俺は思わず聞き返した。


「私が仕入れをしてた頃は、同じ重さなら肉より高かったよ。形を崩さずに採って運ぶから、手間がかかるんだ」


 ミナの答えに、俺は考え込んだ。


 肉を買いすぎて、肝心の塩を買えなくなるのは困る。


 サルナへ着いたら、まず塩の値札を見よう。残りの金でどれだけ肉が買えるか考えるのは、その後だ。


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