十七食目 荷車は腹八分、俺は別
雨はやんだ。
道は、まだ泥だった。
昨夜泊まった停車場で、オルンの荷車が一台、車輪を半分沈めていた。前の一台も片輪を取られ、ダンの荷車だけが固い所で止まっている。
馬が踏み込むと、箱が鳴った。
「待って。引くほど車輪が掘ってます」
俺が言うと、ダンが沈んだ荷車の御者へ声を掛け、馬を止めさせた。
泥へ細い水が流れ込み、穴を埋め直している。
先に、これを逃がしたい。
「荷を下ろす。お前は水の道を見てくれ」
「低い排水溝へ繋ぎます。板も、借りられますか」
「積んでる板なら貸せる。使った後に泥を落として戻せよ」
ダンは沈んだ荷車から馬を外し、固い方の車輪へ木片を噛ませた。
俺は皆と箱を下ろし、鍬を取った。
*
《消費配分》(しょうひはいぶん)で腕と脚、胴へ合わせて5 kcal/分。
上限まで使わず、繰り返し掘れる分にする。
車輪の穴から低い溝まで、細く土を切った。
最後の土を払うと、濁った水が走った。
沈んだ車輪の縁が見えてくる。
「よし。板の出番だ」
ダンが固い道まで板を並べた。
俺は荷台の下の梁へ肩を入れる。靴の下にも広い板を一枚。足が泥へ沈まないようにした。
腰を落とし、持ち上げる。
車輪を全部浮かせる必要はない。板の端が差し込める、それだけでいい。
「入った。下ろせ」
ダンの声で重さを戻した。
車輪が板に載る。木片を外し、皆で後ろから押した。
ぎしり、と鳴る。
一つ転がる。もう一つ。
荷車が、固い道へ戻った。
誰かが大きく息を吐いた。
俺は肩を回して、もう一台を指した。
「こっちも、同じ順でいけます」
「分かった。次の板を持ってくるぞ」
最初に決めた役割が、そのまま使えた。
二台目は、待つ時間も短く済んだ。
オルンの荷役が、俺の肩へ載った泥を払った。
「お前、前にも車を上げてたのか」
「レドへ来た日に一度。ダンの荷車の車輪が溝にはまっていて」
「一度で覚えるのかよ」
いや、覚えたのは、置く所を決めずに持つと困ることだ。
それなら昔、何度もやった。
俺は濡れた箱を指し、次にどこへ移すかを彼と決めた。
荷役はすぐ、もう一人へ声をかける。
俺が抱えている間に、受け台が空いた。
その方が、肩へ足す力よりずっと長く助かった。
*
セラは途中で、畑の向こうの家へ薬を届けに行った。
診療所から聞いていた家で、ついでに軒先も借りられないか訊いてくるという。
「戻るまでに荷をまとめておきます。通り道も空けて」
「うん。薬を渡したら戻るね」
積み直す箱の中に、底が濡れた物があった。
無理に抱えず板へ載せ、先へ縄を掛ける。
ダンと二人で引くと、泥の上をそのまま滑ってきた。
「そりか」
「前に教わりました。運ぶ人が疲れる前に、道具へ任せろって」
「いい先生だな」
俺は頷いた。
太っていた頃も、仕事を覚えた日はあった。覚えたことは、今の手でも使える。
背中へ荷を増やすより、こうして並べてある箱が減る方が嬉しかった。
セラが家の主人と一緒に戻ってきた。軒先を貸してもらえるという。
薬の方も、次の巡回までに使う分を相談できたと教えてくれた。
「こっちが止まってる間に、そっちも進んだんですね」
「うん。レンたちも終わった?」
俺は固い所へ並んだ二台を示した。
二人で片付いた仕事を見比べ、少し笑った。
逃がした水は畑脇の排水溝まで繋がっている。
家の主人が排水溝を覗き、声を上げた。
「ここまで掘ってくれたのか。こっちも助かるよ」
休憩の場所と水を分けてもらい、俺たちは午前の終わりに積み直しを済ませた。
オルンが泥の箱を見て、苦笑する。
「一度に載せすぎたな」
「食べられる物なら、少し減らせます」
「頼もしいが、明日の分も載ってるんだ」
開いた箱から、今日のパンと干し肉だけを受け取った。
俺たちの分は、ちゃんと決まっていた。
硬いパンを齧り、ダンの鍋を見る。
「本当に、漏るんですか」
「漏るから運んでる」
「皿の代わりなら」
「洗面台の大きさだぞ」
諦めて、今日借りられる鍋を探すことにした。
*
道は午後も乾ききらず、出発は翌日の午後へ延びた。
午前は近くの店へ卸す荷がある、とオルンが皆に伝える。護衛たちは停車場で交替して休む。
薬を届けた家では、納屋脇の部屋を一晩貸してくれた。排水を掘った礼だという。
小鍋も借り、セラが豆を浸す間、俺は薪を選んだ。
乾いた分を先に、湿った分は離して積む。使う大きさごとに揃えると、ダンが横から覗いた。
「うちへ来たら、倉も頼むぞ」
「鍋が直ってたら、考えます」
「塩を持ってこい。沸かしとく」
いい交換条件になった。
昼の食事が落ち着いてから、水を飲み、《代謝加速》(たいしゃかそく)へ5 kcal/分を回した。
冷えた足を拭き、布を掛け、じっくり休む。
膝の裏の張りが和らいだ所で止めた。
「旅って、歩いてない時間もありますね」
「その方がいい。ずっと歩いてちゃお腹が減るよ」
セラの返事を聞き、雨戸の隙間から畑を見た。
朝は泥ばかり見ていた。今は緑が、少し眩しい。
そのまま、目を閉じた。
*
起きると、薄い豆の汁が温まっていた。
「早いね」
「鍋の音がしたので」
セラが笑い、椀を渡してくれた。
干し肉を細かく裂いて落とす。
最初は硬かった繊維が、汁を吸うとほろりと分かれた。噛んだところから煙の香りが戻り、豆の粉っぽさが肉の脂で丸くなる。
硬いパンを端だけ浸す。
汁を吸ったところは柔らかく、指で持った方は、まだぱりっと割れた。
「朝からこれがあれば、もっと掘れたのに」
「朝から食ってたら、日が暮れる」
ダンが言って、椀を差し出した。
おかわりだった。
「人のこと言えないじゃないですか」
「掘った分だ」
それは俺も同じなので、遠慮なく椀を並べた。
雨の後の空気は、澄みすぎるくらい澄んでいた。
草を渡る風がひんやりして、椀を持つ指が気持ちいい。作業を終えた商隊の人たちも軒の下へ集まり、汁の入った椀を受け取っていた。
塩の花を買えるサルナまでは、まだ遠い。
足止めを食らった一日だったけれど、この豆の汁は覚えておきたい。
食器を洗って伏せる頃、道の向こうで火が上がった。
脂を鉄へ落とした、短い明るさ。
焦がした油に、甘い匂いが混じる。
「……あの屋台、まだ何か売ってますかね」
俺が訊くと、セラは向こうの店を見た。
「あ、終わりみたい」
料理人が最後の包みを渡し、鉄板から火を落としていた。
その前に布が掛かる。
「明日の朝、寄っていいですかね」
「出発は午後だから、聞いてみよう」
俺は頷き、椀を片付けた。
明日、最初にする用事は決まった。




