十四食目 その一瞬、俺には見える
トマを助けた日の昼過ぎ、町へ知らせに行っていた採取人が、ギルドの書付を持って戻った。大釜蛙の討伐が、正式な依頼になったのだ。
採取人たちも道具代を一部出してくれる。
俺はガドの図へ、さっき見た袋と脚の向きを書き足した。
「右へ渡る板を、もう一本足す」
ガドが図を指す。救助に使った平石から、蛙の横の岩へ。その二歩があれば、俺の剣が袋へ届く。
「重ねて二枚。上が割れても一枚は残る。ただし、割れたら戻れ」
「はい。帰る方も、その二歩ですね」
セラは手桶の水を冷やしていた。治療で使う小さな術だ。蛙を凍らせる量はないが、熱い蒸気の横へ出る俺には、これだけでも心強い。
昼飯を済ませてから、水場へ戻った。
*
蛙が寄るたび大岩へ隠れ、蒸気が晴れた所へ板を延ばした。俺が両端を支え、ガドが綱を張る。一時間ほどで、救助に使った道から右の岩までが繋がった。
剣を構えて渡り、同じ二歩で戻る。
足の下の木はしならなかった。次は、この道であの袋へ届く。
「合図は、手を上げたら水。下ろしたら俺が出ます」
「引く時は、私も一緒に大岩へ」
セラと確かめた。
彼女は平石、ガドは入口の大岩。俺は右へ渡る。
短い呼びかけだけで、動けるようにした。
*
《収支眼》(しゅうしがん)を使い、全体で10 kcal/分へ。
袋へ力が寄る。俺はすぐ追わず、まず蒸気を一度吐かせた。
大岩の向こうが、白く消える。
熱い滴が袖を打った。
蒸気が薄くなってから、岩の脇を覗いた。息を吐き切った袋は、小さくしぼんでいる。
だが、後脚の光は太い。
「まだ、待って」
剣を出しかけた手を戻した。
蛙が跳んだ。平石の横を、水が叩く。
袋が空なら、足を使える。救助の時も、そうだった。
俺は着地した体を見た。
蛙が水を吸うように袋を動かす。見える皮の上へ流れが集まり、前脚の爪が一度だけ石を掻いた。
その動きが弱くなった時、袋の方の光は太い。
俺は指先で、岩のざらつきを確かめた。出るなら、ここへ片足。剣を戻したら、同じ場所へ引く。
相手が速くても、動き始める前に立てる所がある。昨日までの稽古が、ようやく本物の相手に繋がり始めていた。
次の袋が膨らみ始めると、今度は脚の流れが細くなる。
全部を、同時には使っていない。
俺が腕へ回すと脚を減らすのに、少し似ている。
似ているだけかもしれない。
もう一度、岩陰で確かめた。
「次、溜める途中に出ます」
セラが頷き、冷水の桶を構えた。
俺は平石へ戻り、手を上げる。
彼女が、橋から遠い方の前脚へ水を掛けた。
蛙がその脚を引き、こちらへ体重を寄せる。
袋も、横の岩へ近づいた。
脚へ寄る流れが細くなる。
手を下ろした。
橋を二歩で渡り、岩へ足を置く。
膨れた袋の下端へ、横から刃を入れた。
重い皮が切れ、白い息が一筋漏れる。
届いた。
蛙が体を捻った。
前脚が、俺の後ろにある橋板を叩く。
乾いた音がした。
上の板が割れた。
足裏が沈む。下の一枚が、まだ受けている。
俺は剣を引き、岩から橋へ戻った。
二歩で平石へ。セラも退き始めている。
ガドが綱を張る間に、大岩の陰へ滑り込んだ。
白い蒸気が背中を追い、岩の反対側を叩いた。
俺は膝をついた。
逃げた道を、ちゃんと覚えていた。剣も、まだ手の中にある。
*
「袖、少しめくるね」
セラが手首を見た。
蒸気を掠めた所に、浅い赤い線が出来ていた。
冷水を当てると、熱い線が少しずつ鎮まった。俺は桶を受け、まだ白い息を吐いている水場へ顔を向けた。
セラの手が、俺の手首へ触れた。
ひやりとした後で、違うものが動いた。
食べた力が自分の中へ入るときとは、向きが違う。
指先から、彼女の呼吸に沿う細い流れが触れている。
俺は思わず顔を上げた。
「どうしたの」
「今、流れが」
「痛む?」
「いえ。痛いのとは、別で」
彼女が手を離すと、その感覚も消えた。
《余熱庫》(よねつこ)の貯蓄が増えたわけではなかった。
最大追加消費も、10 kcal/分のまま。
ただ、自分の外の力にも、向いている先があるのだと思った。
ガドが、右の橋の手前へ立入禁止の布を結んだ。
俺たちは、そのまま一度町へ戻った。
「蛙の喉の袋には、切り傷が残っていました」
帰り道、俺は見えた順をセラへ話した。
膨れる途中は脚が薄く、吐いた後はすぐ跳べる。狙うなら前者だ。
ただ、今の速さでは、切った後に前脚が間に合う。
「一瞬、足を踏み直させたいです」
「体重をどちらへ寄せるかは、さっきの水で変えられたね」
俺は頷いた。
勝つための話が、前より具体的になっていた。
*
トマは診療所で足を高くしていた。
報告を聞くと、壁へ立てた長い採取棒を指す。
「それも使え。近づかずに触れる物が、一つ増える」
「借りていいんですか」
「俺を運んだんだ。棒まで遠慮するな」
俺は礼を言い、受け取った。
押さえ込むのには細いが、脚を跨ぎ直させるくらいなら使えるかもしれない。
「倒したら、肉も持って帰ります」
「食うのか。硬いぞ、あれ」
「マルタに相談します」
「だったら、俺の席も頼む。匙なら持てる」
セラが声を立てて笑った。
明日の食卓に、もう一人分の約束が出来た。
診療所を出る時、セラはもう一度、トマの部屋へ戻った。枕の位置を変えた方が脚が楽だと、さっき本人が言っていたからだ。
俺は廊下の端で採取棒を受け替え、少し待った。
布の向こうから、トマの礼と、セラの短い返事が聞こえる。
剣が届いた所ばかり考えていたが、彼女はここへ戻ってからも働いていた。
食堂へ寄るという診療所の手伝いに、夕飯の伝言を頼んだ。俺とセラには店で二人分、トマには包みにして届けてほしい、と。
戻った彼女へ伝えると、意外そうな顔をした。
「私の分も?」
「はい。パンの焦げた端は、取り分けてもらいます」
彼女の顔が緩んだ。
相手の好きな物を覚えるのも、役に立つ仕事だった。
夜はよく食べ、水を飲み、肩と脚を休めた。
上限が十になってからの稽古と迷宮歩きで、力を通して止める動きは、ずいぶん馴染んできた。
今日はそこへ、敵も使い分けているという発見が加わった。
俺が片手を上げると、セラは水を掛ける真似をした。
昼に決めた合図をもう一度合わせ、二人で少し笑った。
明日は、その一瞬を取りに行く。




