十三食目 大釜の底を歩く
翌朝、苔灯の穴の入口には、夜の捜索を終えた人たちがいた。
俺はもう一度、トマと話した場所を伝えた。
「水音が低くなる分かれ道から、右の上り。奥の棚で採ると言ってました」
「そこは昨夜、熱い霧で止められた。今朝は水が減ってるはずだが」
採取人が、入口の石へ道を描く。
ガドは担架と短い厚板、太縄を俺たちへ渡した。
「帰りは、こっちの広い道へ回れ。狭い梯子じゃ担架が通らん。段の引き上げは俺が受ける」
セラに脚を見てもらい、荷を分けた。
痛みはまだ少しある。だが、強化を使わず歩いても、足を引きずることはなかった。
水と朝飯は済ませた。戻る方の道も分かる。
「行きましょう」
俺から言って、灯りを取った。
*
《収支眼》(しゅうしがん)を使い、《消費配分》(しょうひはいぶん)で脚と防御、思考を支える。合わせて7 kcal/分。
増えた水を避け、昨夜の組が調べた印の先へ進んだ。
分かれ道の右へ上ると、風に温かいものが混じった。
ごぼり、と、岩の奥で水が鳴る。
「……誰か」
人の声だった。
人の背より高い大岩の脇へ寄り、その向こうを覗く。
浅い水路の中に、平たい石がある。
その左奥、一歩ほど水を隔てた棚に、トマが座っていた。
右側は深い水溜まり。そこに、大きな背中が半分沈んでいる。
「トマさん」
小さく呼ぶと、手が上がった。
「おお。昨日の、茸の」
「レンです。迎えに来ました」
顔色は悪いが、声は出る。脚を伸ばしたままなのは、足首を捻ったからだという。
俺が水路へ目を移した時、大きな背中が動いた。
蛙だった。
腕を広げた俺より、幅がある。
喉の前には、重たく垂れた袋が二つ。
「大釜蛙」
セラが名を言った。
水から出た袋の表へ、流れが太く寄り始める。
「岩の後ろへ!」
俺はセラの肩を引いた。
白い蒸気が、大岩の向こうを走る。
熱い滴が足もとの石を叩いた。
袋が膨らみ、そのあと吐く。
見えたことと、起きたことを頭の中で繋ぐ。次はあれが、合図になる。
*
大岩から顔を出し、トマへ手で問いかけた。
「こっちへ、腕で体を送れますか」
「板がありゃな。水へ下りると、足がつけん」
セラに短く話す。
平石から左の棚へ厚板を一本渡す。トマを座らせたまま、板の上へ戻す。走れない足を、水へ沈めずに済む。
蛙は右にいる。蒸気が止んだ間にだけ動く。
角灯を大岩の窪みへ置き、左の水路と平石を照らした。
縄の端を投げると、トマは自分で腰へ回した。
俺は残る端を大岩へ一度回す。引く手を止めても、重さが急に戻らないようにするためだ。
次の袋がしぼんだ所で平石へ出て、厚板の両端を石と棚へ深く載せた。
セラが足をかける。ずれない。
「次で、迎えに行く」
彼女がトマへ告げた。
俺たちは大岩へ戻り、白い蒸気を一度やり過ごした。
まだ、動かない。
袋がしぼむと同時に、蛙の後脚が光った。
そちらまで見えるのを待った。
巨体が水を叩く。
平石の脇へ、波が来た。
吐き終わっても跳べる。今、慌てて出ていたら、板ごと揺すられていた。
蛙が腹を落ち着けた所で、俺は手を下ろした。
「今です」
俺もセラと平石へ出て、棚へ渡る彼女を見送った。
そこで縄を張り、トマの肩が動くのを見る。
彼女が痛めた脚を布で支え、体を板へ向けた。
蛙の目が、左へ動いた。
俺は空の採取籠を取り、右奥の岩へ投げた。
乾いた音。
蛙がそちらを向く。
「少し引きます。腕も使って」
トマが両手で体を押した。
俺は腰を落とし、縄を短く手繰る。セラが後ろから腰を支えた。
厚板の上を、少しずつ体が移る。
棚から離れた。
半分まで来た。
あと、手が届く。
蛙の袋へ、また流れが寄った。
「あと一度。俺の手を取って」
トマが伸ばした手を掴む。
セラが板へ膝をつき、腰を押した。
俺は後ろへ歩かず、その場で上体を引いた。トマの体が、平石へ収まる。
セラも戻った。
三人で大岩の陰へ入った瞬間、渡っていた板へ蒸気が吹きつけた。
間に合った。
俺は縄を離し、トマへ顔を向けた。
彼がこちらを見て、かすかに笑った。
「茸の見分け方、教えた甲斐があったな」
「あの焼き方の茸、まだ一緒に食べてません」
「帰ってからでいいだろ」
「はい。そうしましょう」
声を出すと、手の震えが少し収まった。
トマが腰の縄を外そうとしたので、担架へ移るまで待ってもらった。
セラが足を支え、俺が肩へ手を添える。トマも片腕で自分の体を持ち上げた。
助けられるのを待つだけの人ではなかった。自分で戻るために、最後まで俺たちと動いてくれた。
「袋、腹の上に置いてくれ」
頼まれた採取袋を載せると、彼はようやく息を吐いた。
「誰に頼まれた物か、書いてあるんだ。こいつも帰さないとな」
俺は袋の口を結び直し、担架の紐へ一緒に留めた。
*
セラが担架の留め具を閉じる間、俺は角灯を大岩から取り、担架の頭側の横木の下へ掛けた。戻る足もとが明るくなる。
水場を離れてから《収支眼》を切り、腕と脚と胴へ7 kcal/分を配る。
俺が足側。セラが頭側。
歩幅を揃え、広い搬出路へ折れた。
急げば、担架が揺れる。
トマが歯を食いしばるのを見て、俺は一歩を短くした。
そのまま、曲がり角の数を声に出す。
「次を曲がったら、引き上げの段です」
返事をしたのは、先で待っていたガドだった。
「聞こえた。上は空けてあるぞ」
鉤が縄を捉え、担架が持ち上がる。
採取人たちの手が加わった。
トマが明るい方へ運ばれていくのを見届けてから、俺は壁へ背をつけた。
助けられた。
剣を振らなくても、今日は間違いなく、勝ちだった。
入口では、夜の捜索に出ていた採取人が駆け寄ってきた。トマが目を開けると、怒鳴りかけた声が途中で止まる。
「……帰ったか」
「帰った。こっちの二人が来てくれた」
トマが俺たちを指す。
その人が、何度も頷いた。
俺は返事をする代わりに、空の水筒を渡して井戸の場所を訊いた。手が止まった途端、喉が渇いているのを思い出したのだ。
水を受け取る時、改めて、助かった、と言われた。
今度は、はいと答えられた。
*
セラが足の処置を引き継ぐ間、俺はガドと採取人へ水場を説明した。
大岩、平石、トマのいた棚、右の深い池。
蛙が手前へ居つけば、薬材の多い棚へ行けなくなる。
「あの袋へ横から届く道があれば、倒せるかもしれません」
俺は平石から右へ突き出た岩を、紙に描いた。
「袋を膨らませる時と、脚を使う時で、流れが違いました。近づく場所を選べれば」
「なら、岩と岩を繋ぐ。戻る方もな」
ガドが俺の曲がった線へ、真っすぐな線を足した。
まず昼飯を食べ、休んでから、討伐の相談をすることになった。
今はもう、水場へ置いてきた人はいない。
器を受け取った所へ、セラが戻ってきた。
「トマ、町へ運べるって。『俺の茸は潰してないか』って聞かれた」
「帰る気、十分ですね」
俺たちは笑った。
温かい汁を飲むと、ようやく空腹がはっきりした。
次は、あの大きな蛙を、ここからどかす番だ。




