十一食目 初めての迷宮、ご飯は地産地消
右手に茶色の茸。左手にも、茶色の茸。
「食えるのは、どっちだ」
迷宮の入口でいきなり訊かれ、俺は二つの根元を見た。
「こっち。輪がない方ですか」
「正解。夕飯にしたいなら、そこをよく見ろよ」
男は笑った。セラが、採取人のトマだと紹介してくれる。
苔灯の穴へ入る、初めての朝だった。
ギルドで借りた角灯と短い採取棒。自分の剣。それから薬材と茸を分ける袋。
帰る時刻を入口の小屋で伝えると、トマが奥の道を指した。
「水音が低く響く所まで行くと、分かれ道がある。右へ上れば、奥の採取棚だ。お前たちは今日は、その手前で足りる」
彼は奥で採るという。
俺は礼を言い、セラと暗い口へ足を踏み入れた。
トマは先に行く前、片方の茸を割って中を見せた。
「肉を焼いた後の脂があったら、これを入れな。洗って水を吸わせると、跳ねるぞ。土だけ落とせ」
「焼くと、どんな味ですか」
「帰ってからのお楽しみだ。こっちの悪い方は、楽しみにするなよ」
彼は二種類を別の布へ包み、採取用の長い棒を肩へ掛けた。
その背を見て、俺は夕飯へ肉の脂を少し残してもらおうと決めた。
*
十歩で、空気が変わった。
冷えた石と湿った土。天井から落ちた水滴が、緑の点を一つ弾いた。
苔が光っている。
壁の割れ目に灯りが続き、水の上にも、薄い緑が揺れていた。
「綺麗だな」
「滑るから、足はこっち」
セラも同じ光を見ていた。俺は乾いた石へ靴を置いた。
《収支眼》(しゅうしがん)と、《消費配分》(しょうひはいぶん)で脚と防御を支える分を合わせて5 kcal/分。長く歩くので、全部は使わない。
白い岩の角で、一度振り返る。
行きには白い面が見えたが、帰る向きでは黒い石だ。
その脇へ、外へ向けた小さな目印を残した。
狭い梯子では、先に荷を受け渡す。
ガドの留め具は、ここで便利だった。肩帯を全部外さなくても、必要な袋だけ取れる。
「帰りも、ここで分けましょう」
「助かる。私の薬材は、先に上げていい?」
「その次に、夕飯を」
灯りの向こうで、彼女が笑った。
手前の棚へ着くと、まず薬用の湿り葉を採った。
葉に水の玉が付き、触れるとひやりとする。
セラは布をきつく閉めず、風の通る包み方をした。採る量も、干せる場所と使う人数で決めるという。
俺も、出入りの狭さに合わせて茸の袋を選んだ。
帰ってから料理できる分を、潰さず持ち帰りたい。
セラが灯りを寄せると、岩の奥に水の筋が光った。天井から落ちる雫が、小さな皿ほどの窪みに溜まっている。
その縁に、まだ開ききっていない茸が並んでいた。
「ここは、残そう」
俺が言うと、彼女が顔を上げる。
「次も、同じ所で採れますよね。道、覚えたので」
「うん。何度も来られる場所があると、診療所も助かる」
セラは葉の状態を手帳へ短く書いた。俺も、曲がった石と茸の印を添える。
帰りに見た時、自分の描いた鍋だけは消しておいた。茸を採る場所に猪がいると思われたら、ややこしい。
彼女はそれを見て、しばらく笑っていた。
*
水の流れる筋に、丸い背中があった。
頬の横だけが青い。
脚の流れが太くなった。
「セラ。こっちへ来る」
俺は半歩横へ寄った。
低く跳んだ蛙が、さっきの足の位置へ着く。
続いて、頬が膨らんだ。
「玉頬蛙だよ。水を吐く」
俺は壁へ背を寄せ、飛んだ水をやり過ごした。
薄い光の中で、目の前の石が濡れる。
剣を振る幅はない。セラも近い。
採取棒を抜き、蛙と壁の間へ斜めに置いた。
「網を、俺の左へ。そっちへ出します」
蛙がまた頬を膨らませる。
棒の先で水の脇を叩くと、頭がその方へ向いた。
俺は体を寄せず、棒を低く押し出す。
逃げた脚が、自分で濡らした石を滑った。
セラの網が閉じる。
「捕れた」
俺は棒を引き、通路が空いたのを確かめた。
葉舌蛙の時より、手を出す順が早かった。
「近づかないで捕まえるの、上手になったね」
「食べる時は近づきますけど」
「その前に解体屋。こっちも、ちゃんと処理してもらおう」
俺は頷き、網を籠へ固定した。
今日の晩飯が、一つ増えた。
*
帰りの梯子では、俺が上へ回った。
下のセラから薬材、蛙、茸の順に受け取る。幅のある籠は一度横へ向けると、岩に当てずに上げられた。
「上の俺が、下の俺から受け取れれば、いつでも楽なんですけどね」
「今日は、私で足りる?」
「かなり助かってます」
差し出された手を取り、彼女が上がる時だけ支えた。
その後は配分を変え、腕と胴の支えへ多く残す。視認と合わせた5 kcal/分は、行きと同じだ。
目印は、帰る向きからよく見えた。
白い岩を曲がった先で、入口の光が差してくる。
俺は、つい歩幅を広げた。
「戻った」
崖の下へ座ると、空気が妙に乾いて感じられた。
手も足も重い。往復それぞれ一時間ほど、初めての岩場を歩いたせいだ。
それでも袋を開くと、茸はほとんど潰れていない。
「晩飯まで、無傷です」
「こっちの葉も、いい状態。今日は当たりだね」
セラが籠を置き、俺の横へ座った。
迷宮へ入って、獲って、ちゃんと出てきた。
入口の小屋で帰還を告げると、係の人が名を消した。トマはまだ奥へいるが、俺たちは予定どおりだ。
薬材を傷めず持ち帰れたことを伝えると、セラは葉の包みを少し開いて見せた。
「こっちの子、段取りがいいよ。帰りの荷を、先に分けてくれた」
俺は少し照れ、茸の口を結び直した。
欲張るなら、また来ればいい。自分で帰って来られた道が、今日一つ増えたのだから。
俺は袋を抱え直した。
*
町では薬材を納め、蛙を解体屋へ預けた。茸は、そのままマルタの所へ持ち込んだ。
マルタは茸を広げ、土の付いた根元を切った。
油へ入れると、強い音がする。
水分が抜け、傘の端が少し縮んだところで塩。
肉を焼いた汁を少し加えて、パンの横へ盛る。
茸は、噛むとふっくらしていた。
端だけに焼き目が付き、中から温かい汁が出る。森の土に似た匂いはあるのに、口へ入れると木の実みたいに甘い。
俺はゆっくり噛んだ。
持ち帰るのには、かなり苦労した。
だが、それを引いても余るくらい、うまかった。
「また、採りに行きたいです」
「次も、あの焼き方で食べようね」
セラも自分の皿へ手を伸ばした。
俺は頷き、次はどの茸がこの焼き方に合うか、トマにも聞いてみたくなった。
食後、片付けを手伝っている間に、夕飯の余りが《余熱庫》(よねつこ)へ落ち着いて入ってきた。
俺は二階へ戻り、寝台へ横になった。
腿の奥が、少し引きつった。
明日は、あの茸を汁にするのもいい。
そう考えながら脚を伸ばした。
翌朝、その脚が伸ばしたままでは済まないと知ることになる。




