第50段階:閉ざされた円卓
大陸の中央に位置する中立都市。
その地下深くに設えられた、窓のない極秘会議室。
円卓を囲むのは、各国の王、宰相、帝国元帥、そして魔導を司る最高権威たち。
護衛すら入れることを許されないその密室に、世界を動かす最高権力者たちが極秘裏に集結していた。
重苦しい沈黙の中、深く皺を刻んだ老王が口を開いた。
「議題は一つ」
「……魔導宮の少女についてだ」
その言葉を合図に、王立研究院の代表が円卓の中央へ分厚い資料を広げた。
「皆様、こちらのデータをご覧ください」
示されたのは、魔導宮周辺の特殊な植物分布図、そして生命の樹の魔力変動を記録した観測資料だった。
「一年前。極寒だった魔導宮周辺だけで、植物が育つ環境へと変化し始めました。
のみならず、完全に枯死したと思われていた生命の樹の一部が回復の兆しを見せ、氷の台地には花が咲き乱れているとの報告すらあります」
研究院代表は、円卓の面々を見回して静かに告げる。
「これらの『奇跡』は、すべて……あの白銀の髪の少女が現れた時期と、完全に一致しております」
息を呑む音が響く。
しかし、研究院代表は首を横に振った。
「もちろん、断定はできません。あの少女が直接的な原因であるという確証は、我々にはないのです」
「……しかし。これが単なる偶然とは、到底考えにくい」
その報告を受け、これまで沈黙を保っていた各国の首脳たちが、一斉に本音をこぼし始めた。
「もし、その推測が事実であり、少女が原因なのだとしたら……是が非でも我が国へ迎え入れたい」
「その力を解明するため、徹底的に調査するべきだ」
「いや、世界全体の危機なのだ。特定の国ではなく、世界連合の手で手厚く保護するべきだろう」
彼女の持つ能力の正体など、今は誰も知らない。
ただ、「偶然とは思えない」という推測だけが、権力者たちの欲を際限なく掻き立てていた。
議論が白熱し始めたその時。
腕を組んでいた帝国の元帥が、低く凄みのある声で言い放った。
「……では、奪うか。武力を行使してでも」
その暴力的な提案に、別の国の王が鼻で笑って苦笑した。
「武力で?」
「……。」
「 ……あの、魔導王からか?」
元帥は黙り込んだ。
会議室に、笑いは一切起きなかった。全員の顔から表情が抜け落ち、ひどく真顔になっていた。
老王が、深くため息をついて首を振る。
「……無理だ」
「かつて神々すら屠った『神殺し』を相手に、戦争など出来るはずがない」
隣に座る宰相も、苦々しい顔で同調する。
「この数日、各国が放った侵入者たちの末路をご存知でしょう。
魔導宮へ送った暗殺者も、腕利きの密偵も、誰一人として帰還しなかった」
「たとえ世界中の軍隊が束になっても……あの魔導王ルシウスには、絶対に勝てない」
ここで、円卓の全員が改めて一つの絶対的な事実を理解させられた。
どれほど知恵を絞っても、どれほど兵力を集めても。
ルシウス・アステリアという男だけは、決して倒すことができない。
長い、長い沈黙が地下会議室を支配した。
やがて、腕を組んでいた一人の王が、ふと顔を上げて言った。
「……何も、魔導王を倒す必要はないだろう」
全員の視線が、彼へ向かう。
「少女さえ魔導宮から切り離せれば、それでいい。」
なるほど、と納得しかけた空気を。
別の王の現実的な一言が、無慈悲に打ち砕いた。
「それが出来ないから、我々は頭を抱えているのだ」
「世界最強の魔導師たちが集う魔導宮は、もはや要塞を通り越した世界最強の『城』だ。
あそこから無傷で少女を連れ出す方法など、この世に存在しない」
再び、重く冷たい沈黙が落ちた。
少女は欲しい。
しかし、手を出せば国が滅ぶ。
その矛盾だけが、円卓に座る全員を沈黙させていた。
画期的な突破口など、誰一人として思いつくはずがなかった。
結局、世界最高の頭脳と権力が集結したこの極秘会議は、何一つの結論も出せないまま、無力感とともに閉会することとなった。
出席者たちが次々と席を立ち、重い足取りで会議室を後にしていく。
そんな中。
各国首脳の随員としてこの場に同席していた「青年魔導師」――かつて禁書庫で謎の声を聞き、封印の地へと向かったあの青年は、何事もなかったかのように、その場へ座っていた。
ただ。
彼は時折、隣には誰もいないはずの虚空へと視線を向けていた。
まるで、見えない「誰か」と肩を並べているかのように。
周囲の人間は、その僅かな異変に全く気付かずに通り過ぎていく。
やがて、最後に残った老王が退出し、重厚な扉が完全に閉ざされた。
誰もいなくなった地下会議室。
青年は一人だけ残り、地下室を飾るステンドグラスを見つめた。
不意に、青年の頭の中へ、聞き慣れたあの甘く優しい声が響く。
『……順調だね。』
青年は、ステンドグラスを見つめたまま、微かに唇を動かした。
「……はい」
声は、楽しそうにくすくすと笑った。
『彼らの言う通りだよ。魔導王は倒せない。』
少しだけ、間を置く。
そして、甘い毒を垂らすように囁いた。
『でも。』
『あの少女だけなら……連れて来られる。』
その決定的な言葉に。
青年魔導師は、暗い部屋の中で一人、静かに、そしてひどく不気味に微笑んだ。
世界は、まだ知らない。
あの少女が何者なのかも。
なぜ、死に絶えた世界が再び回復し始めたのかも。
だからこそ、人々は勝手な推測を重ね、欲し、奪おうとする。
そして、誰にも知られぬ深い闇の場所では、その「不可能」を可能にするための歯車が、静かに回り始めていた。




