第4段階:初めての「温もり」と「せかい」
広大な魔導宮の食堂。
天井には色褪せた豪奢なシャンデリアが吊るされ、かつての栄華を偲ばせる長大なダイニングテーブルが部屋の中央に鎮座している。
その両端ではなく、向かい合うようにして座ったルシウスと少女の前に、食事が運ばれてきた。
メニューは、黒パンと温かいスープ、そしてグラスに注がれた水のみ。
世界最強の魔導王の食事としてはあまりにも質素だが、美食などとうの昔に興味を失ったルシウスにとってはこれが日常だった。
少女は、湯気を立てるスープの器を両手でそっと包み込んだ。
じんわりと伝わってくる温度に、彼女は嬉しそうに目を細めた。
「あったかい」
小さく微笑み、スプーンでスープを一口飲む。
そして黒パンをかじり、またスープを飲む。
ただそれだけの行為を、彼女はまるで宝物を味わうように大切に繰り返した。
その様子を静かに観察していたルシウスが、短い問いを投げる。
「足りるか?」
少女はコクコクと力強く頷いた。
「うん。草より、ずっと美味しい」
悲壮感など微塵もない、純粋な喜びの声。
しかし、その背後にある過酷な日常の重さに、控えていたカシアンはまたしても胸を締め付けられる思いだった。
そこへ、厨房から初老の料理長がワゴンを押して静かに現れた。
「失礼いたします。
折角、何百年ぶりかに『お客様』がお越しですので
……もう一品、作らせていただきました」
料理長が恭しく少女の前に置いたのは、真っ白な皿に乗った、美しい半月型の料理だった。
灰色の世界で生きてきた少女にとって、それはあまりにも鮮やかな色彩を放っていた。
少女はスプーンを持ったまま、じーっとその皿を見つめた。
「これ、たべもの? 黄色い」
不思議そうに首を傾げる少女に、料理長は優しく微笑みかけた。
「ご存じありませんか?」
少女はふるふると首を横に振る。
「卵という食材で作った、『オムレツ』という料理でございます。卵は、鳥が生むのですよ」
料理長の丁寧な説明を聞いた少女の大きな瞳が、これ以上ないほどに丸く見開かれた。
彼女はオムレツと料理長の顔を交互に見比べ、小さな声でこぼした。
「たまご。……鳥さん、これ、くれるの?」
そのあまりにも無垢で、世界に対する純粋な感謝に満ちた言葉に。
過酷な世界で黙々と主の食事を作り続けてきた初老の料理長の瞳から、ポロリと大粒の涙がこぼれ落ちた。
彼は慌てて目元を拭い、深く一礼して厨房へと下がっていく。
少女は、不思議そうに料理長の背中を見送った後、そっとスプーンで黄色の塊をすくい取った。
ふんわりと湯気を立てるそれを、小さな口へと運ぶ。
「…………」
咀嚼するたびに、卵の甘みとバターの芳醇な香りが口いっぱいに広がっていく。
彼女の瞳が、ふわりと和らいだ。
「……美味しい」
彼女は泣かなかった。
ただ、心底幸せそうに、春の陽だまりのように柔らかい笑顔を浮かべた。
枯れ果て、崩れゆく死の灰の世界。
誰もが絶望し、ルシウスでさえも半ば見捨てかけているこの世界を
初めて温かい料理を食べた名もなき少女は、ただ真っ直ぐに肯定した。
「せかいって、すごい」
その言葉は、広大な食堂の静寂に、優しく、しかし確かな響きを持って溶けていった。
向かいに座るルシウスは
その無邪気な笑顔と、彼女から発せられたその言葉を
ただ静かに、瞳の奥に焼き付けていた。




