第47段階:世界中から届いた求婚状
華やかなるアークレイア王国の祝賀会から、数日が過ぎた朝。
灰色の雪に閉ざされた魔導宮の執務室は、かつてない異様な熱気と混乱に包まれていた。
「こちらにも追加の便が届いております。
西門のポストにも大量の書状が……!」
朝から、郵便担当の魔導師たちが慌ただしい足音を立て、銀のトレイに乗せた大量の手紙を次々と運び込んでくる。
ルシウスの重厚な執務机の上には、色とりどりの封筒が山のように積まれていった。
最高級の羊皮紙。
各国王家の威厳ある紋章が押された蝋封。
金箔がちりばめられたものや、封筒そのものに本物の宝石が縫い付けられた、目も眩むほど豪華なものまである。
それらはすべて、たった一人の少女へ宛てられた「求婚状」だった。
カシアンは、手慣れた所作で封を切り、その差出人を無表情で読み上げていく。
「アークレイア王国、第二王子殿下より
西方連邦、第三王子殿下
聖王国、第一王子殿下
北方大公家、嫡男」
読み上げるたびに、机の上の山は高くなっていく。
王族、大貴族、各国の次代を担う若き権力者たち。
世界会議と祝賀会を経て、フェイという少女の美しさと、その希少な存在価値を知った世界中から、途切れることなく縁談が舞い込んでいた。
昼。
その信じられない事態は、当然フェイの耳にも入ることとなった。
「え?」
フェイの部屋。事の次第を聞かされたフェイは、目を点にして固まった後。
「えぇぇぇぇぇ!?!?」
魔導宮中に響き渡るような声を上げ、顔を真っ赤にしてパニックに陥った。
「けっ、結婚のお話!?
む、無理無理無理!」
フェイは両手で顔を覆い、部屋の中をあっちへこっちへとクッションを抱えて右往左往する。
「私、そんな立派な人じゃないよ!? ずっと森にいたし、マナーだってまだお勉強中なのに!
というか、会ったこともない人ばっかりだよ!? どうして!?」
パニックに陥り、涙目で首を横に振り続けるフェイの姿を、エマたち侍女は壁際でひどく微笑ましく見守っていた。
「お嬢様は、ご自分がどれほど美しく、魅力に溢れていらっしゃるか全く自覚がございませんからね。
…ふふっ。あのようにうろたえられる姿も可愛らしいですわ」
世界中の王侯貴族が争うように求める少女は、自分の価値をこれっぽっちも理解しないまま、人生初の大量の求婚話に完全に大混乱していた。
一方。
手紙の山に埋もれた執務室では。
ルシウスは、いつもと変わらぬ冷徹な無表情で執務机の前に座っていた。
カシアンが、中身を確認した縁談の釣書を一枚、ルシウスの目の前へ差し出す。
ルシウスは、その羊皮紙に視線を落とす。
数秒。
「断る」
ポイと、返送用のトレイへ投げ捨てる。
カシアンが二枚目を差し出す。
「こちらは、北方帝国皇太子殿下からです」
ルシウスは黙って目を通す。
そこには大きく、こう記されていた。
『婚約成立の暁には、国境地帯三州を持参金として献上する用意がある』
執務室の空気が、一瞬だけ静まり返る。
国家そのものが動くほどの破格の条件だった。
カシアンも、わずかに目を細める。
「……前例がありません。
国境三州……随分と思い切った条件ですね」
ルシウスは紙を閉じる。
「断る」
それだけ言って、返送用のトレイへ置いた。
カシアンは小さく息をついた。
(……条件ではないのですね)
三枚目。
「断る」
四枚目。
「断る」
五枚目。
「断る」
昼になっても、夕方になっても
豪奢な手紙の封が切られるたび、ルシウスの口から出る返答はすべて同じだった。
「断る」
相手の身分も、財力も、容姿も関係ない。
釣り書きの文章を最後まで読むことすら稀だった。
彼はただ無表情のまま、機械のように即断即決で返送用の山へ振り分け続けていた。
その理由については、一言も、一切の説明をしなかった。
夕方。
窓の外が茜色に染まる頃。
カシアンが、ついに最後の一通の封筒を閉じ、返送用トレイの巨大な山の上に置いた。
そして、静かに主へ尋ねた。
「閣下。
本日届いた縁談。……すべて、即日お断りになるのですね」
ルシウスは、ペンを置いて短く答える。
「ああ」
カシアンは、手帳を胸に抱いたまま言葉を続ける。
「理由を、伺っても?」
執務室に、少しの沈黙が落ちた。
ルシウス自身も、自問する。
なぜ、すべて断るのか。
今日届いた手紙の中には、フェイを一生不自由なく、安全に、幸せにできる相手がいたかもしれない。
各国の王家。身分も名誉も申し分なく、同世代の若く優秀な者たちだ。
いつもなら何事も理性的に判断する彼からすれば、フェイの将来のために、検討する価値は十分にあるはずの提案だった。
それなのに
ルシウスは長い沈黙の末。
「……嫌だからだ」
それだけだった。
部屋が、水を打ったように静まり返った。
常に冷静沈着なカシアンも、あまりにも理を欠いた、しかし純度百パーセントのその本音に、珍しく目を瞬かせた。
ルシウス自身も、その感情を論理的に説明することはできない。
ただ、フェイの隣に他の男が立つ光景を想像した瞬間、胸の奥が重く沈む。
嫌だった。
ただそれだけだった。
やがて、ルシウスが次の会議のために執務室を退室した後のこと。
残された執務室の中で、片付けに入ってきた侍女や執事たちが、こらえきれずに小さく笑い声を漏らした。
「ふふ……やっと。お気づきになられたのですね。」
エマが、返送用の山を見てひどく嬉しそうに微笑む。
カシアンだけは、綺麗にまとめられた「お断り状」の山を見つめながら、やれやれと苦笑した。
「……世界中の王族を、たった一日で、しかもすべて即日で振った方は
おそらく歴史上、閣下が初めてでしょう」
その場にいた使用人たちが、声を殺して静かに笑い合う。
魔導宮の日常は、今日も呆れるほどに温かく、平和だった。
世界中の王族は、一人の少女へ渾身の求婚状を送った。
そのすべては、一人の男の机を通り、一日で送り返されていった。
理由を知る者は、まだ誰もいない。
けれどその日を境に、世界は確かにフェイという存在を見つけた。
雪に閉ざされた魔導宮の外では、新たな波が静かに動き始めていた。




