第39段階:黒猫の公開処刑
柔らかな日差しが降り注ぐ中庭の温室。
フェイは、花壇のそばで三匹の子猫たちと無邪気に遊んでいた。
「あははっ、くすぐったい!」
その微笑ましい光景を、ルシウスは数歩離れた場所から静かに見守っている。
後ろにはカシアン、エマ、そして花の世話をしていた庭師が控えていた。
ふと、花壇の奥から一匹の黒猫が姿を現した。
フェイが命を削って救った母猫、ノアだった。
「あ、ノア!」
フェイが嬉しそうに手を振る。
しかし。
ノアはフェイの方へは向かわず、一直線にルシウスの方へと歩み寄り、その足元でピタリと止まった。
そして、ルシウスを見上げて小さく鳴いた。
「にゃ」
――すると。
その一鳴きを合図にしたかのように、温室中の至る所でくつろいでいた野良猫たちが、ぞろぞろと集まってきた。
ルシウスは眉を僅かに動かす。
「……?」
十匹近い猫たちが、ぐるりと円を描くようにルシウスを取り囲んだ。
フェイは目を輝かせて両手を叩く。
「わぁ! ルシ、人気者!」
しかし、猫たちの様子は「懐いている」というより、どこか物々しかった。
全員が、しっぽをピンと立てたまま。
じーーーーーーー。
一切の瞬きもせず、一斉にルシウスを凝視している。
ノアが、代表者のようにルシウスのブーツの先まで歩み寄った。
クンクン。
鼻を寄せ、匂いを嗅ぐ。
それに倣うように、他の猫たちもルシウスの足元へ擦り寄り始めた。
クンクン。
クンクン。
クンクン。
ルシウスは、身動き一つせず、ただ黙って見下ろしていた。
「……」
フェイが小首を傾げる。
「どうしたの?」
ノアが、再びルシウスの顔を見上げた。
知性を宿した黄金の瞳。その眼差しは、さながら厳格な「審査員」のようだった。
すると。突然。
ノアが軽やかに跳躍し、ルシウスの漆黒のマントへ飛び乗った。
「!!」
周囲の人間たちが息を呑む。
ノアはそのまま器用にマントをよじ登り、ルシウスの広い肩の上へと陣取った。そして、世界最強の魔導王の頬へ顔を近付け、さらに念入りに匂いの確認を始める。
ルシウスは、肩の上の黒猫を一瞥し、短く言った。
「……好きにしろ」
その途端、足元を取り囲んでいた猫たちが『ざわ…』と不思議な気配を揺らした。
神々すら平伏する絶対的な力を持つ魔導王。
普段であれば、強大すぎる魔力の威圧感に恐れをなし、どんな獣も決して近寄ろうとはしない。
なのに、猫だけが彼をキャットタワーか何かのように扱い、肩に乗っている。
そのあまりにもシュールな光景に、後ろで控えていた者たちは必死に表情筋と戦っていた。
カシアン。
(閣下が……猫の検査を受けておられる……)
エマ。
(ふふっ、可愛らしいですわ……)
庭師。
(だめだ、吹きそう……)
やがて、気の済むまで匂いを確認したノアは。
最後に、ルシウスの頭の上へ、ぽんっ、と柔らかい前足を乗せた。
ルシウスは目を細める。
「……?」
ノアは、ひどく満足そうに喉を鳴らした。
「にゃ」
――瞬間。
周囲を囲んでいた猫たちが、堰を切ったように一斉にルシウスの足元へすり寄り始めた。
にゃあにゃあと甘えた声を出しながら、黒いブーツやコートの裾へ、これでもかと「スリスリ」の猛攻撃を開始する。
それを見たフェイが、満面の笑みでバンザイをした。
「ルシ!合格した!」
ルシウスは、足元を猫まみれにされながら淡々と聞き返す。
「……何にだ」
「猫さん会議!」
そのフェイの元気な一言に、後ろで耐えていたカシアンたちもついに堪えきれず、温室にどっと温かな笑い声が弾けた。
カシアンが手帳で口元を隠し、肩を震わせながら言う。
「どうやら。お嬢様の『お世話係』として、猫たちに認められたようでございますね」
庭師も、涙目になりながら笑って同意する。
「閣下。猫の世界にも、厳しい採用試験があるんですな」
ルシウスは、肩の上のノアと足元の猫たちを見下ろし、深いため息を吐いた。
「意味が分からん」
フェイは小走りで駆け寄り、ルシウスの腕にぎゅっとしがみついて、ひまわりのような笑顔を向けた。
「ルシ! 猫さんたちも、ルシのことが好きだって!」
その屈託のない笑顔と、温かな体温。
ルシウスは、言葉とは裏腹に、全く猫たちを追い払おうとはしなかった。
ほんの少しだけ、その美しい口元が柔らかく緩む。
「……そうか」
平和な笑い声に包まれる温室。
しかし、その中で。
ルシウスの肩に乗ったノアだけが、嬉しそうに笑うフェイの姿をじっと見つめ。
そして、ルシウスの横顔を見た。
フェイを守る、この強大な力を持つ男の横顔を。
ノアは、誰にも気付かれないくらい小さく。
一度だけ、確かにこくりと頷いた。
(……あ。
ノア、今、何かを確認してた)
それは、言葉を持たない獣と、世界最強の男の間で交わされた、極秘の「合格通知」。
フェイの命の欠片を宿した黒猫が、ルシウスを「彼女を守るに足る存在」として正式に認めた瞬間だった。




