第23段階:繋がれた命
フェイの小さな掌と、それを包み込むルシウスの大きな手。
その隙間から溢れ出していた、淡く透き通るような水色の光が、雪に溶けるように静かに収まっていく。
猛烈な吹雪の音だけが、すべてを白く閉ざすように森を包み込んでいた。
数秒の、祈るような静寂。
その時だった。
――ぴくり。
雪の上に横たわっていた母猫の前足が、小さく震えた。
「……!」
フェイが短く息を呑む。
続いて後ろ足もわずかに動き、固く閉じていた瞼が、重力に抗うようにゆっくりと持ち上がった。
まだ焦点は定まっていない。
それでも、母猫は確かに生きていた。
弱々しく目だけを動かし、自分を囲む三匹の子猫たちの姿を必死に探している。
「みゃあ……」
か細く、掠れた鳴き声。
たったその一声に、震えていた子猫たちは一斉に母猫へ駆け寄り、その温もりを確かめるように小さな身体をすり寄せた。
フェイの大きな瞳から、限界まで堪えていた大粒の涙がぼろぼろと溢れ落ちる。
「よかったぁ……」
しかし、母猫は自力で立ち上がることはできなかった。
ルシウスの無属性魔法とフェイの光魔法によって、腹部の致命的な傷は塞がり始めているものの、失われた血液と体力はあまりにも大きすぎた。
手足の先を僅かに動かし、子猫たちを舐めようとするのが精一杯の状態だ。
命は、ギリギリのところで繋ぎ止めた。
だが、まだ決して予断を許す状況ではない。
少し離れた場所で、その奇跡の光景を一部始終見つめていたカシアンは、完全に言葉を失っていた。
「……閣下」
震える声で、主の背中へ呟く。
「今の光は……」
世界最高の頭脳を持つ彼が見たのは、黄金でも純白でもない光。
魔導の歴史に記録されたどの高位光属性魔法とも一致しない、透き通った泉のような、神秘的な水色の輝きだった。
そして、その未知の光に包まれた母猫は、ほとんど死に等しい状態から、肉体の時間を巻き戻すかのように再び息を吹き返した。
これは、傷を癒やす高位の治癒魔法ではない。
魂を呼び戻す蘇生魔法でもない。
生命の循環そのものが、再び力強く鼓動を始めたのだ。
何百年という途方もない時を生き、世界のあらゆる魔法の深淵を覗いてきたルシウスでさえ、その理外の現象から目を離すことができなかった。
彼は、雪の上に横たわる母猫を静かに見つめながら、誰にも聞こえないほどの声で小さく呟いた。
「……生命力まで」
その不穏な一言に、カシアンがハッと振り向く。
「閣下……?」
ルシウスは答えなかった。
ただ、涙を拭うフェイの小さな背中だけを、険しい瞳で見つめていた。
フェイ自身は、全く自覚していない。
彼女は先ほど、ただ魔法を放っただけではない。己の内に蓄えられていた膨大な「生命力」そのものまでも、純粋な願いと共に、魔力に乗せて母猫へ注ぎ込んでいたのだ。
他者の命を繋ぐために、自身の命を削る。
それがどれほど危険で、残酷な代償を伴う行為であるか。
その事実を正確に理解したのは、この場でただ一人、ルシウスだけだった。
「ねぇ、ルシ」
フェイは両手でそっと母猫を抱き上げると、震える声でルシウスを振り返った。
子猫たちは、フェイの足元にすがりついて鳴いている。
「この子と子どもたち……お家で、治してもいい?」
猛威を振るう吹雪は先ほどよりもさらに激しさを増し、森も、空も、すべてを容赦なく白く閉ざし始めていた。
ルシウスは、血まみれの母猫と小さな子猫たちを静かに見つめ。
それから、寒さと恐怖と安堵でぐしゃぐしゃになったフェイの顔へ、ひどく優しく、温かな視線を向けた。
「ああ」
そして、短く頷いた。
「そうしよう」
その静かな一言を聞いたフェイは、心底安堵したように、涙をこぼしたまま小さく笑った。
滅びゆく灰色の世界で、たった一つの小さな命を救い出した彼女の腕は、まだ微かに震え続けていた。




