第21段階:世界最強の限界と、託される光
ルシウスからの軽い説教を受け、しょんぼりと肩を落としていたフェイだったが。
ハッと我に返り、足元の雪溜まりへ振り返った。
狼の脅威は去った。破滅の魔法も止められた。
しかし、母猫の命の灯火は、今まさに消えようとしていたのだ。
「ルシ!!」
フェイはルシウスへ駆け寄り、泣きながら彼の黒いローブを両手で強く握りしめた。
「助けて!! この子たちのママが死んじゃう!!
どうすればいいの!! 私、分からない!!」
必死にすがりつく小さな手。
ルシウスは何も言わず、雪の上に膝をつき、血溜まりの中に横たわる母猫の傷を静かに見下ろした。
深い。
獣の鋭い爪は容赦なく肉を裂き、内臓にまで達している。出血もあまりに多すぎた。
彼は手袋を外した大きな手を、静かにその凄惨な傷口へ添える。
発動するのは、己の持つ究極の力。
――無属性魔法。
ルシウスの掌から放たれた目に見えない魔力が、細胞の結合を強制し、破れた血管を物理的に塞いでいく。
たちまちのうちに、傷口からの出血だけはピタリと止まった。
だが
それ以上は、何も起きなかった。
どれだけ待っても、母猫の呼吸が力強くなることはない。
閉じた瞼が開くこともない。
肉体を繋ぎ合わせても、失われた命の熱が戻ることはなかった。
フェイが、すがるような瞳で顔を上げる。
「ルシ……?」
ルシウスは、母猫へ手を添えたまま。
静かに、首を横へ振った。
「……私にも、治せない」
フェイの身体が、ピタリと固まる。
「え……?」
「無属性魔法は、魔力を制御し、現象を書き換えることができる。
……傷口を塞ぐことまではできても、命そのものは創れない」
猛吹雪の音だけが響く中、ルシウスの静かな声が雪に吸い込まれていく。
「失われた生命は、戻せない」
フェイの大きな瞳に、再び大粒の涙が溜まり始めた。
「そんな……」
神を殺し、世界を支配する絶対的な力。
その力を持ってしても、足元の小さな命一つすら救えない。
ルシウスは、冷たくなっていく母猫を見つめたまま、重い事実を口にした。
「だから私は、何百年もの間。……生命を創る魔法だけは、完成させられなかった」
その時だった。
森の奥へ去ろうとしていた巨大な影が立ち止まり、黄金の瞳だけをこちらへ向けた。
『魔導王。貴様ですら救えぬか』
狼の王の、冷徹で、しかしどこか諦観の混じった声が脳内に響く。
ルシウスは振り返ることなく、淡々と答えた。
「ああ。救えない。……だから、人は死ぬ」
それが、この死にゆく世界の絶対の理だ。
命は有限であり、失われれば二度と戻らない。だからこそ、今ある命を必死に延命させることしか、ルシウスにはできなかった。
しかし。
「やだ」
フェイは、両手で顔を覆って泣き崩れることはしなかった。
涙をぽろぽろと零しながらも、その瞳には決して諦めない、強烈な意志の炎が宿っていた。
「死んじゃやだ。助けたい。……絶対」
ルシウスは、母猫から手を離し、フェイの顔を見た。
死という絶対的な世界の理を前にしても、決して屈しようとしない、純粋で真っ直ぐな瞳。
その目を見て、世界最強の魔導王は、初めて確信した。
(この子は。光を覚える。いや……覚えなければならない)
破壊ではなく、制御でもなく。
生命を照らし、育み、理を超えるための奇跡。
それが彼女の本当の力なのだと。
ルシウスはゆっくりと立ち上がり、フェイの小さな両肩に手を置いた。
そして、その瞳を真っ直ぐに見据えて、静かに言う。
「フェイ。これは、君にしかできない」
フェイの肩が、微かに震える。
「……私?」
「ああ」
ルシウスは、彼女の背負う重さを分かち合うように、力強く頷いた。
「私は生命を救えない。だが……
君なら、届くかもしれない」




