第19段階:命を守る覚悟
猛烈な吹雪の中、フェイは血を流す母猫と震える子猫たちを背に庇うように立っていた。
十数頭の狼が彼女たちを半円に囲み、その中央には森の王たる巨大な狼が
底知れぬ黄金の瞳を光らせて静かに佇んでいる。
『最後に問う。小娘。我らの元へ来い。その命を無駄にするな』
フェイは、小さく首を横へ振った。
「やだ」
『愚かな』
フェイは足元の母猫を見下ろす。
浅く、ひどく苦しそうな呼吸。すがりつくように震える小さな子猫たち。
「……戦うしかない」
彼女は、静かに両手を広げた。
ボォォォッ!!
猛吹雪を切り裂くように、フェイの足元から炎が一直線に吹き上がった。
狼たちと母猫の間に、巨大な火柱の壁が築かれる。
激しい雪の中でも決して消えることのない、強烈な魔力の炎。
熱気に気圧され、狼たちは一斉に一歩後退した。
『ほう』
狼の王は、感心したように目を細めた。
『炎で距離を取り、背後の生命の暖も確保するか』
火柱の向こう側では、凍えきっていた母猫と子猫たちが、炎の温もりに少しだけ安堵したように身を寄せ合っている。
しかし、術者であるフェイの額には、極度の集中からじっとりと汗が滲んでいた。
(熱すぎたら、この子たちが危ない。弱すぎたら、狼が来ちゃう。火加減……!)
頭に浮かぶのは、厨房で料理長から教わった言葉。
そして、ルシウスとの地獄の特訓。
フェイは震える指先で、炎の壁が獣を威嚇しつつも背後の命を焦がさないよう、絶妙な大きさと温度へと少しずつ調整し続けていた。
狼の王は、静かに喉の奥で笑う。
『頭は回るようだな、小娘。だが』
黄金の瞳が、炎越しにフェイを鋭く射抜く。
『私からすれば、造作もない』
その瞬間。
王の意志に呼応し、狼たちが一斉に左右へ散開した。炎の壁を迂回し、側面から死角を突く動き。
「っ!」
フェイは反射的に手をかざし、雷の魔力を放った。
バチィッ!!
青白い雷が、回り込もうとした数頭の狼の鼻先へ鋭く落ちる。
雪が弾け飛び、狼たちは素早く飛び退いた。
しかし、複数の獣を牽制しながらも、フェイの視線は何度も背後の母猫へと向いていた。
「大丈夫……。もう少しだから……。頑張って……」
彼女は魔法を放ちながらも、無意識のうちに母猫へ向けて、祈るように優しく声を掛け続けていた。
その声に応えるように。
深く裂けた腹部から流れ出ていた血が、ほんの僅かだけ、塞がるように止まり始める。
誰も気付かない。
フェイ自身も、無我夢中で気付いていない。
しかし、生命の理を熟知する狼の王だけが、その異常な現象に静かに目を細めた。
『……治癒か。無意識で、生命そのものへ干渉している』
その時だった。
森の遥か彼方。
魔導宮の空へ向かって。
ズンッ。
極太の雷の柱が、灰色の分厚い雲を突き抜けて閃いた。
……
猛吹雪の中、魔導宮の敷地内を血眼で捜索していたルシウスが、ピタリと足を止めた。
紫水晶の瞳が、遠くの空に残った雷の残滓を正確に捉える。
「……雷」
いや。違う。
自然現象ではない。
この乱暴で、しかしどこまでも純粋な魔力の波長は。
「カシアン」
「はい」
「場所が分かった」
次の瞬間、二人の姿は精緻な紫の転移陣の光と共に、吹雪の中からかき消えた。
森。
狼たちはフェイの魔力の隙を突き、再びじりじりと距離を詰め始めていた。
フェイの集中力も限界に近づき、防壁である火柱も少しずつ弱まり始めている。
(このままじゃ……)
フェイは必死に考えた。
どうすれば、この群れを退けられるのか。どうすれば、この命を守り抜けるのか。
その時。頭の中へ、一つの記憶が鮮明に浮かび上がった。
『雷は、一瞬だけ光を生む。だから光魔法と組み合わせれば、このようなこともできる』
ルシウスの展望台での授業。夜空を彩った、あの綺麗な虹色の景色。
魔法は、重ねることもできる。
(私は、光魔法はまだ使えない。でも……!)
フェイは、目の前で揺れる火柱を見る。
そして、自分の指先に走る雷を見る。
「火と……雷なら」
彼女は両手を前へ真っ直ぐに突き出した。
火属性。雷属性。
二つの相反する極大の魔力を、両手の間に同時に発生させ、力任せに圧縮する。
バチッ。
ボォッ。
バチバチバチッ!!
二つの属性は激しく反発し合い、空気を切り裂くような凄まじい異音を立て始めた。
暴走しようとする魔力を、フェイは必死に押さえ込む。
(もっと。もっと強く。みんなを守れるくらい!)
周囲の空気が、異常な熱を帯びてビリビリと震え始めた。
降り注ぐ猛吹雪が、地面に触れる前に一瞬で蒸発し、白い蒸気となって消えていく。
青白い光が小さな球体となり、フェイの両手の間へと集まり始めた。
その内部では、雷によって超高温となった粒子が、火属性魔法の熱によってさらに極限まで圧縮されていた。
気体でも、液体でも、固体でもない。
後の時代において”プラズマ”と呼ばれる、第四の物質状態。
しかし、魔法文明が衰退したこの世界で、その存在や危険性を正確に知る者はいない。
もちろん、フェイ自身も知る由もなかった。
ただ
「守りたい」
その純粋で強烈な想いだけで、彼女は禁忌とも言える次元の魔法を重ね合わせていた。
その異常なエネルギーの凝縮を前にして
泰然自若としていた狼の王の表情が、初めて、明確に変わった。
知性を宿した黄金の瞳が、驚愕に大きく見開かれる。
『……止めろ』
魔力の轟音で、フェイには届かない。
『小娘。それは違う。それは生命を救う力ではない……!』
フェイの両手の間で、太陽の欠片のような、圧倒的な白い球体が膨れ上がっていく。
周囲の空間が陽炎のようにぐにゃりと歪む。
雪が消える。
大地が焼け焦げる。
森の木々が、その桁違いの熱量に耐えきれず、悲鳴を上げるようにひび割れ始めた。
これは、牽制などではない。
解き放てば、自分たちを含め、この森一帯を跡形もなく消し飛ばす破滅の光だ。
狼の王は弾かれたように振り返り、腹の底から、全獣たちへ向けて必死の咆哮を上げた。
『総員退避!! 森が消えるぞ!!!』




