第97話:迷う心
故に、実戦経験はあっても、彼女は真の意味での命のやり取りをしたことがなかった。
否、させてもらえなかったのである。
彼女は、あまりにも強過ぎたのだ。
ただでさえ強力な空間魔術に加え、唯一の弱点と言ってもいい肉体の脆弱性を、境界魔法という無敵の力で覆い隠した彼女に、勝てる者どころか、善戦するものすらいる筈がなかったのである。
そうして、彼女は殺し続けた。
何百、何千、何万と、その力をこの世全ての人間に見せつけるかのように。
自分は特別な存在なのだと。
お前たちのような、一登場人物とは文字通り住む世界が違うのだと。
私はあっち側に立つ者なのだと、それを証明する為に。
やがて、彼女は確信へと至り、自己の考えは正しかったのだと、そう結論付ける。
それは奇しくも、一万年の時の中で、歪に成長してしまったアストと同じような結末であった。
実戦経験のないまま、本物の命のやり取りを知らなかったアストと、実戦経験は豊富だが、真の意味での命のやり取りを知らなかったヘンリエッタ。
どちらも、結局は戦っていないことと同義であった。
だが、二人には明確な違いがある。
アストは、彼女にはないものを持っていた。
それは、考える術。
彼の戦う相手はいつであれ、自分より強い悪魔たちばかりであった。
そんな強者をどう崩すか、彼はいつも考え続けてきたのである。
自身の持つもの全てを使い、組み立て、そして実行する。
その戦闘における思考回路。考える力。
それこそが、アストと彼女の大きな違いであった。
ヘンリエッタにはそれがない。
強過ぎたが故に、真の強者と戦ったことのない彼女には、それを培う場がなかったのである。
だからこそ、今彼女は迷いを抱いていた。
「……いいえ、違うでしょ。私は魔法使い……あれが誰だろうとなんだろうと……関係ない」
相手の強さを認めつつ、それでも自分の方が遥かに上なのだと、彼女はまるで自分に言い聞かせるように一人呟き続ける。
彼女は分からないのだ。
こういう時に、どうすればいいのかが。
故に、今まで信じてきたものに縋るしかなかった。
「私は無敵……そうよっ! 私には誰も……触れることすら出来ないのだがら……!」
だが、彼女は気づいていない。
「……でも───」
そうやって言葉にしなければ、自身の思い描いた立ち位置すらが、曖昧になっているということに。
この時、ヘンリエッタの中に初めて、"畏怖"という感情が、知らぬ間に芽生え始めていたのである。
「フー……なんとかなったが……」
一方、見事攻撃を防いだアストではあったが、状況は芳しくなく、その表情にも余裕はない。
それも当然で、使える魔力はさらに減り、もしまた同じことを繰り返されれば、その分だけ戦える時間は減っていく。
「ハッ……皮肉にも程があるな……」
そう呟いた彼は、一人自傷気味な笑みを浮かべる。
「時間制限があったのは、むしろこっちの───」
『アストさんっ!』
「んおっ!?」
突如、頭の中に大音量で鳴り響いたそれに、アストは思わず声を上げた。
「ル、ルシファーか……なんでどいつもこいつも……こう声がでけぇんだ……!」
『あれっ!? おかしいなぁ……聞こえてないのかなぁ? あのぉ!? もしもーし! アストさ───』
『うるせぇッ!!!』
『ひょおわぁッ!?!?』
『なぁにが"ひょおわぁ"だバカ……でかい声出さなくても聞こえてんだよ。もっと静かに話せ』
『す、すみません……慣れていないもので……』
『ったく……で、何か用か?』
『いやほら、今戦ってるんですよね? 強い魔力を感じまして……あれでしょ? 例の……アストさんが言ってた魔法使いの人ですよね?』
『ああ』
『どうなったかなーって思って』
『……あぁ?』
『あっ……いやっ……大丈夫かなって思って……結構すごい魔力だったんで! 私だって心配で連絡したんですよぉ!?』
『切るぞ』
『ちょまっ……!』
『こっちは忙し───』
"何故追撃が来ない"。
アストはふとそう思い、ヘンリエッタをじっと観察する。
彼女は何故かその場から動かず、その表情はどこか───迷っているようであった。
『な、なんですか歯切れの悪い……』
『いや……ようやく、考えてくれるようになったみたいだな』
『はい?』
警戒してくれている。
完全に見下していた自分を、本当の意味で"対等な者"として見始めたのだと、そう確信を得たアストは笑みを浮かべた。
「何を……笑っているのッ……!」
それを遠目から見ていたヘンリエッタは、忌々しげに拳を握りしめるものの、何故か前に出ようとはしなかった。
否、前に出られなかったのである。
先程の攻撃は、ヘンリエッタにとって決めにいったものであった。
何度か行った攻撃で、アストの持つ刀の力にあたりをつけた彼女は、防ぎきれないものでさっさと殺してしまおうと、数ある技の中でも最上位のものを選択する。
それはかつて、ペルシア軍一個師団を一撃のもとに屠り去った代物。
これならば、間違いなく終わるだろうと、そう確信して。
だが、彼は死ななかった。
それどころか無傷で、笑みすら浮かべている。
その事実が、彼女の攻勢を封じ込めていた。
『あのー? 考えるようになったって……なんですかぁ?』
『……こっちの話だ。なぁルシファー……お前、異空間の中から、こっちの世界に攻撃出来るか?』
『……はい?』




