第93話:臭気
それに反応し、立ち上がったアストは、そのまま空を見上げる。
そして、すぐに眉を顰めた。
「……まずいな。廃墟街方面を見てやがる」
そこでは現在、アストの召喚した悪魔が率いるペルシア人たちと、南方軍所属三個連隊の約一万同士による戦闘が行われていた。
「ちッ……考えが甘かったか。まだなんも思い浮かんじゃいないんだが……ケルベロス、悪いが背中を貸してくれ。少しでも魔力消費を抑えたい」
「「「ウォン!」」」
アストが背中に飛び乗ると、ケルベロスは一気に走り出す。
もの凄い速さで流れていく街並みを見つめながら、アストはただ、ヘンリエッタと境界魔法のことだけを考え続けていた。
「何か……あるとは思うんだが……」
今の彼がそうであるように、強大な力には、必ず大きな代償が伴う。
アストが真っ先に思いついたのは、発動可能な時間の制限であった。
ヘンリエッタが魔法を発動する前、膨大な量の魔力を練り上げていたのをアストは見ている。
その発動に要した魔力に加え、魔法を維持しながら、こちらへの攻撃も行うとなれば、魔力は加速度的に消費されていく筈であり、結果的にそう長くは持たないのではないかと、彼はそう考えたのだ。
また、それだけではなく、魔力以外の要因による時間制限もあると彼は考えていた。
要するにそれは、別の空間に留まりながら、こちらの世界で魔術を行使するという、その矛盾故のリスクである。
「どうやっているか見当もつかないが、おそらく相当複雑なことを同時に、かつ超正確にやり続けてる筈なんだ……しかも、一歩間違えば、それこそこの世界に存在出来なくなるとか、それくらいのリスクを抱えながら……」
魔力と精神力。
ヘンリエッタが、その両方を大きく消費し続けているのであれば、時間さえ稼げればなんとかなるかもしれないと、アストはケルベロスの毛を掴む手に力を込める。
その両方に全く問題がなく、制限など初めからないのであれば、ここに来る前から魔法を使用している筈であり、そうしない理由がない。
また、いつでもすぐに発動出来るのなら話は別だが、危険だと感じてから使うには、あまりにも時間がかかり過ぎていた。
つまりそれこそが、境界魔法は彼女にとっての奥の手であり、普段からそう易々と使えない代物である証明に他らならないと、そう結論づけたのである。
だが、それは同時に、この元皇都を落とすことが、極めて難しくなったことと同義であった。
「あー……俺を仕留めることに固執しなかったのも、それが理由と考えれば説明がつくな……だが、そうなると、ただ逃げ回るだけじゃ他が襲われる……ここにいるアレクサンドリア軍を殲滅するには、あいつを野放しには……出来ない」
魔法に時間制限があるのならば、ヘンリエッタが見つからないアストよりも、見えている他の悪魔たちを狙うのは道理であった。
そうなれば、どちらにせよ元皇都を落とすことが不可能となり、目標は達成出来ない。
故にアストは、ヘンリエッタの前に立ち、あるかも分からない時間制限という、その希望にかけるしかなくなったのである。
「だが……どう稼ぐ……」
相手は無敵の移動砲台。
倒す術も思いつかず、魔力の残りも少ない。
それでも、アストは考え続けるしかなかった。
「見えてるし、聞こえてもいる……ということは、物理的な接触だけを存在させずに、それ以外を存在させているってことか……どうやったらそんなことが……」
原理が分からない以上、破り方もまた分からない。
ただ、唯一分かっていることは、ヘンリエッタ自身が、この世界との繋がりを完全に捨て去ってはいないということであった。
「……あいつは神の力だと、自分の魔法をそう称していたが、俺が思うに神ってのは……この世界なんかに干渉しない。まぁ、仮にいればの話だが……気まぐれで何かをすることはあっても、自身の存在を見せつけるなんてことはしないだろう。だが、あいつは見せつけてる……あんなことが出来るなら、実際は姿だって隠せたんじゃないか? 目に見えない存在となって、ただ不条理に、本当の意味で一方的に、この世界を蹂躙することも出来た筈……けど、そうしなかったのは……誰かに見て欲しかったからだ。凄い自分を……だから、姿と繋がりを残した……」
完全ではない。
自己愛を、自己顕示欲を、その承認欲求を、彼女は断ち切れなかったのだと、アストはそう思った。
そして、それがあるのならばと、彼は残り少ない魔力を身体の中で練り上げた。
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「あらあらあら……これはまた……」
廃墟街とそれ以外を隔てる内壁と、ペルシア城北門とを繋ぐ道のちょうど中間地点。
そこで、廃墟街のペルシア人と、三個連隊による激しい戦いが行われていた───つい、先程までは。
「ふふっ……ボロ負けね」
ヘンリエッタが空中から見下ろす先に、おびただしい量の死体の山が積み上がっていた。
そして、その死体のほとんどが、アレクサンドリア南方軍のものである。
「……ん? あ……くっさぁ……」
立ち込める臭気に、ヘンリエッタは思わず手で鼻を押さえながら、ペルシア人たちを先導するそれに視線を向けた。
「これ、あなたがやったのぉ? ……にゃんこちゃん」
青い馬に跨がり、銀の鎧を身に纏った彼は、空に浮かぶ彼女を見つめながら───
「うむ! 正確には皆でだが、概ね某の仕業だな!」
そう言ってサブナックは、爽やかに笑ってみせた。




