第89話:認識
東西南北の大通りが交わる、元皇都の中央広場。
平時には、様々な人種で溢れかえるその場所は、景気のいい商人の声が重なるようにあちらこちらから聞こえ、傭兵の一団が仕留めた獲物を巨大な台車に乗せて闊歩し、旅の一座が派手やかな音楽を打ち鳴らしながら芸を披露する、まさにアレクサンドリア南部の栄華の象徴とも言える場所であった。
しかし、そんな場所がたった今、文字通り粉々に砕け散ったのである。
「「「ウゥゥッ……!」」」
間一髪、ペルシア城の敷地内へと入ることで難を逃れたケルベロスは、その光景を見つめながら低い唸り声を発する。
ヘンリエッタが放った一撃は、城の正門から広場まで続く、約五キロのメインストリート全てを粉砕し、さらに半径二キロ半に渡って、その道の周りにある建物全てを瓦礫へと変えていた。
それは、まるで目に見えない巨大な直径五キロの球体が、空から突然落ちたてきたような、そんな衝撃と惨状であった。
「ふふっ……これが、空間の圧縮よ」
固めた空間を圧縮して押し付け、そして解き放つことにより生まれるその膨大な力。
それにより、砂岩造りの白く美しい街並みは一瞬にして崩壊し、ただの砂や石ころへと変貌する。
範囲も、威力も、人の理を優に外れたそれもまた、もはや魔法と言っても差し支えないものであった。
しかし───
「あらぁ……終わっちゃったかしらねぇ? 私まだ……魔法を使っていないのだけれど」
瓦礫の海と化した街の上空で、ヘンリエッタはそう言って、やはり微笑を浮かべる。
そう。彼女はまだ、己の魔法を使ってはいない。
というのも、彼女の使う魔法とは、何かを破壊するような力ではなく、まさに世の理を根底から覆すような、そういったものであった。
「私にあれだけの大口を叩いたくせに……まぁいいわ。所詮、その程度の───ッ!」
周囲の空間が歪むのを瞬間的に察知したヘンリエッタは、即座にその場から転移。
十数メートルほど離れた位置に移動した彼女が見たものは、先程まで自身がいたであろう場所で空を斬る、彼の放つ黒刃の一振りであった。
「ちッ……」
舌打ちをしながら刃を収めたアストは、ヘンリエッタを見つめながら再び構えをとった。
そして、彼から放たれるその強烈な圧力こそが、いわゆる殺気なのだと、彼女はそれを理解する。
「今度は声をかけなかったんだがな……さすがに、そう甘くはないか」
「魔力どころか姿も……やっぱりね。まさかとは思ったけれどあなた……相手の認識そのものを否定出来るのね?」
アストは微かに笑みを浮かべることで答え、それを受けたヘンリエッタもまたニヤリと笑う。
彼女がそれに気づけたのは、単純にアストを見つけられなかったからであった。
弱体化しているとはいえ、アストの魔力は常人を遥かに凌駕しており、ヘンリエッタは決して口にも態度にも出さないが、アストが自身に近しいレベルの存在であると、そう認識していた。
それ程の強大な力。
そんなものを完全に消せること自体が不自然であり、ましてやそれがすぐ後ろにあったというのに、いかに油断していたとはいえ、自身が全く気づけないなどということがあるのだろうかと、彼女はそう疑問を抱いたのだ。
そして、その疑問と、ある程度の解答を導き出した彼女は、上空で空間魔術を発動し、街を粉砕した際、街全体に意識を向け、空へ上がってくるものがいないかをじっと観察する。
結果、彼女は何も見つけられなかった。
だが、彼はいたのである。
またしても、自身の背後に。
初撃と今。
あり得ない事象の偶然は、決して二回も続かない。
彼女はそれを知っていた。
「あなたのそれ……隠遁魔術ね。姿や音、魔力なんかを薄くさせるっていう、暗殺者御用達の魔術……だったかしら。でも、私の知ってるそれとは、随分とレベルが違うというか……まるで別物みたいだけれど?」
彼女が言った通り、本来隠遁魔術に存在そのものを消す力などない。
あくまでも音や姿、匂いなどが気づかれにくくなるだけであり、完全に姿を捉えられれば魔術は解け、たちどころに見つかってしまう、そんな程度のものであった。
「俺は凡人なんでね……あんたにとっちゃ、実に程度の低い魔術だろうが、突き詰めると結構使えたりもするんだよ。あんたの首を……半分斬るくらいにはな」
「ふふっ……確かに……でも、程度が低いだなんて、もう口が裂けても言えないわね」
そう言いながら、彼女は自分の首筋をそっと撫でる。
空間を固定することで塞いだ傷が、ズキズキと痛みを放っていた。
「だけど、同じ手を使おうだなんて……私も舐められたものねぇ。悪いけれど、二度と通用しないわよぉ? あなたの忠告通り、もう余裕をぶっこいたりなんか絶対しない。あなたも今ので分かったでしょう? もう対策済みよ……残念だったわねぇ」
隠遁魔術は、あくまでも相手に"いない"と思わせるだけの魔術であり、存在そのものを消せる訳ではない。
それは、極限まで鍛えられたアストのものとて同じことで、つまり"認識出来ない"だけで、実際は間違いなくそこに"いる"のである。
そう推測したヘンリエッタは、その身体の周囲に、自身だけにしか認識出来ない薄い空間の幕を展開し、その空間の揺らぎによって、アストの接近を察知出来るようにしていたのだった。
「……みたいだな。なら、正面からいくだけだ」
空中で腰を落とすアストに、ヘンリエッタは両手を広げながら口角を吊り上げる。
「初めてよ……誰かと戦うことが、こんなに楽しかったのは。そのお礼と言ってはなんだけれど……見せてあげる。私の魔法をねッ……!」




