第85話:呪い
「……間違いなさそうだな」
暗い夜空の続く先、強大な二つの力がぶつかり合っているのを確認したアストは、そう言って微かに眉をひそめた。
「ええ……例の魔法使いですの」
"流転"の魔法使いヘンリエッタ。
この世界の空間魔術使いの頂点に立ち、さらにその先へと至った傑物である。
「正直、来るかどうかは五分五分だったんだけどな」
「ふっつーに来ましたわね……で、どうするおつもりですの?」
「ま、いずれはぶつかる相手だ……ここで仕留めよう。ちょっと行ってくる」
そう言うと、アストは屋根から身を乗り出す。
「へっ!? ちょっ……まさか、その状態で行くつもりですのっ!?」
「そうだけど?」
平然とそう言ったアストに、バティンは呆れたような表情を浮かべた。
「いやいやいやアスト様……さすがにそれは舐め過ぎではなくて? 魔法使いにはわたくしたちクラスの力があると、あなた様がおっしゃっていたんですのよ?」
「もちろん分かってるさ。けど、召喚を解く訳にはいかないからな。こっちが優勢に見えるかもしれないが、誰かを外せばあっという間に向こうが息を吹き返しちまう。それに、俺は一人で戦う訳じゃない。ケルベロスもそうだし……お前もいるだろ?」
「むっ……」
「頼りにしてるぜ?」
そう言って微笑む彼に、バティンは大きなため息をついた後───
「……もうっ! 仕方のない方ですわねっ!」
そう言いながら腕を組んでそっぽを向くと、膨らませた頬を微かに赤らめた。
「フッ……ま、そう心配するなよ。あいつは多分、魔法使い以外の全てを下に見てる。だからこそ、出来る戦い方ってものもある。で、バティン……分かってるな?」
「流転のお方が来たらどうするかの話でしょう? はいはい分かってますわよ……そこは安心してくださいまし。魔界一の使い手として、完璧にこなしてみせますの」
大きな胸を張る彼女にアストは頷くと、手にしていた妖刀を左の腰に固定し、屋根の縁に足をかけた。
「じゃ、行ってくる」
そうして、アストは夜空へと飛び立った。
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「んー……やっぱりそうなのねぇ」
「「「ゴルルルルッ……!」」」
メインストリートでの戦いが始まってから数分が経ち、両者の攻防は激しさを増していた。
道の両端に建ち並ぶ建物は、そのほとんどが崩れ、美しかった景観はもうそこにはない。
「うーん……もう少し遊んでもいいかと思っていたのだけれど……なんだか面倒になってきたわねぇ」
ため息をつくヘンリエッタを警戒しつつ、ケルベロスは六つの目で周囲を見回す。
崩れた建物は、その全てがヘンリエッタの手によるものであったが、それらは通常の壊れ方ではなく、まるで何かに削られたかのように、至る箇所がその場から完全に消えていた。
また、地面にも同じような跡がいくつもあり、それらは全て、半円の形に抉られている。
一瞬で、音もなく突如削られるその攻撃に、ケルベロスはなかなか前に出られずにいた。
ただ、それには別の理由もあったのだが───
「わんこちゃん」
「「「……!」」」
彼女の声色が突然低く、強い殺気を孕んだものへと変わり、ケルベロスは四肢に力を込めた。
「あなたが強いのはよぉく分かったわ。だから……ちょっと本気を出すわね」
ズンッと、ケルベロスは空気に押し潰されるような感覚を覚え、纏っていた魔力をより一層強める。
だが、正面に浮かぶヘンリエッタが放つ魔力は、そんなケルベロスを───遥かに凌駕していた。
「「「グルルルッ……!」」」
大気が鳴動する程の強大な魔力。
この世界の頂点に君臨するその力を理解しつつも、それでも彼女は牙を剥き出しにすると、後ろ脚に魔力を集中させ───
「あ……もう無理よ?」
「「「ッ!?」」」
飛びかかろうとしたその刹那、ケルベロスはそこでようやく、自身の身体の異変に気づく。
手足どころか、その髭の一本すら動かせない現状に。
「クスッ……空間魔術って、一括りにそう呼ばれることが多いけれど、実際にはいろーんな種類があるのよ? まぁ、一番メジャーなのは空間転移ね。いわゆる瞬間移動……一般的には、百メートル移動するだけでも優秀とされているわ。中には生物の転移は出来ない人もいるし、その逆の人もいたり、自分だけしか転移出来ないって人もいたりするわね。それから次に───」
「「……ッ!」」
彼女の手が怪しく動いた直後、ケルベロスの三つの首のうち、一つが一瞬にしてこの世界から消える。
そうして音もなく消えた左の首から、少し遅れて大量の血が溢れ出した。
「空間断裂……この世界とは別の空間を開き、そして閉じることで、対象をこの世から消し去る力ね。物理的な防御は意味ないから、だいたいはこれで終わりの筈なんだけれど……わんこちゃん? あなた、中にいったい何匹いるの?」
「「……!」」
「うふふ……そりゃ気づくわよぉ? だって、削っても削ってもあなた……すぅぐ元通りになるんだもの」
ここまでの攻防で、ヘンリエッタは幾度となくケルベロスの身体を消しとばしていた。
それは前脚から始まり、後脚、尻尾、胴体の一部、そして頭部と、彼女はあらゆる部位へ攻撃を加えている。
だが、ケルベロスは瞬時にそれを復元し、まるで何事もなかったかのように戦いを続けていた。
それは、この世界の理に反する力。
故に、彼女は本気を出すことにしたのだ。
理には理を。
そうしなければ釣り合わないと、そう考えて。
「これはあくまでも私の想像だけれど、あなたのそれは再生というより……もう呪いに近い何かなんじゃないかしら。死を拒絶する呪い……そんなものがあるのかどうかは知らないけれど……ま、いいわ。なんにせよ……これで終わりでしょうから」




