第74話:屍人
マントに隠れているアストの両肩が、ぶちぶちと音を立てながら引きちぎれていく。
やがて肉が黒い渦へと飲み込まれると、床に灰色の六芒星が浮かび上がった。
「な、何をする気だ……?」
二階席の手すりに身を隠したジャバーがそう呟いた直後、床に刻まれた六芒星が強い光を放つ。
「な、なんだ……あれはッ……!?」
そうして姿を現したのは、黒地に金の装飾が施された鎧に、灰色のファーが付いたマントを身に纏う、黒い髑髏の騎士であった。
その髑髏の騎士───キマリスは、辺りを見回した後、ゆっくりと顎骨を動かした。
「ほう……なるほど。これが貴公の世界か」
まるで地の底から響いているかのような、そのなんとも悍ましく、そして恐ろしい程の低い声に、客たちの鼓動が早さを増していく。
しかし、身体は動かず、悲鳴すら上げられない。
すぐ目の前にある明確な死の予感が、彼らから自由を奪っていたのである。
「久しぶりだなキマリス」
「うむ……息災そうだなアストよ。む? ほう……これはこれは……誰かと思えば、王の左腕ではないか」
「お久しぶりですわね……死霊の王様さん?」
「フッ……その呼び名はもはや意味を為さぬ。我はただの伯爵よ。死霊伯爵……うむ、語呂も良い」
「相変わらずだな……で、どうだ? この世界は」
「ふむ……他がどうかは知らぬが、凄まじいなここは。これ程の瘴気……魔界ですら、ここまで濃いものは珍しい。どうやら貴公が申していた通り、悪魔よりも人間の方が邪悪な存在なのかもしれぬな。まぁ、兎にも角にも、これならば……良き兵士が生まれるだろう」
そう言うと、キマリスは腰に下げてあった剣を引き抜き、逆手に構える。
そして、その目のない窪みでアストを見た。
「よいのだな? ……もう、喚んでしまっても」
「バティン」
「お待ちを」
バティンはこめかみに指を当て、念話魔術を使用し、別行動中の悪魔たちへと連絡を取る。
「……ん、オッケーですわ。ペルシア人は全て解放……外も予定通り進行中ですの」
「よし、やってくれキマリス。ただ、範囲はこの城の中で留めて欲しい」
「承知した。では……参ろうか」
キマリスは、逆手に持った剣の切先を、勢いよく地面へと突き刺した。
その直後、黒と紫が入り混じったような閃光が迸り、それが一気に劇場全体を包み込んでいく。
そして───
「うッ!?」
隠れていたジャバーを始め、その場にいたアストたちを除く全員の肩に、ズンと何かがのしかかるような感覚が走った。
と、その時───
「た、頼むッ……我々はアレクサンドリアに脅されて人をッ……本当はこんなことしたくないんだ!」
"何もしなくとも、このままでは殺される"。
そんな恐怖に耐え切れず、観客席にいた一人がそう叫び声を上げた。
すると、周りもそれに続くように声を上げ始める。
「そ、そうだ! 悪いのはジャバーとか……アレクサンドリア軍の連中なんだよッ! 騙されたんだ俺たちはッ!」
「私たちは悪くないッ! 呼ばれたから来ただけなのよぉッ!」
「二度とこんな場所には近づかないッ……酷いこともしないッ! だから勘弁してくれよッ! なぁッ!?」
「おいおい……マジかよ」
アストは思わず笑ってしまう。
そのあまりの馬鹿さ加減に呆れてしまったのだ。
浅はかで、下衆く、どこまでま醜いその人間性を曝け出してでも、そうまでして必死に生きたいと懇願するのならば、何故自分たちの残虐性が向かった先に、同じ思いがあるかもしれないと考えられなかったのか、彼にはそれが理解出来なかった。
少なくとも、彼は知っている。
おそらく、この世で最も残酷な目に遭った彼は、全てを理解したうえで、そしてその覚悟を持って、百三十八回同じことを行ってきた。
故に間違いなく、まともな死に方など出来はしないと、彼はそう思いながら日々を生きている。
被害者であり、加害者でもある彼は、全てに順番があるものだと、そう運命を解釈していた。
「そうか……じゃ、逃げていいぞ」
「ほ、本当か……嘘じゃないよな!?」
「だって被害者なんだろ? 本当に自分たちが潔白だと思うなら……そうすればいいさ。そもそも、俺はあんたらに興味がない。好きにしろ」
「お、おい……行くぞッ!」
「ありがとう……ありがとう!」
「早く帰りま───ひゃッ!?」
逃げようと、慌てて立ち上がった女が派手に転び、それを見た周りの客たちは顔を顰めた。
見えたのだ。
そこにある筈のない、見えてはならないものが。
「痛った……な、何か足……ひぃッ!?」
そして、女も見た。
床から這い出るように存在し、自身の足首を強く握る───その腐った青緑色の手を。
「な、何よこ───いぁぁぁぁあぁぁぁあッ!?」
バキッと、骨が砕ける乾いた音が周囲に響き、女の足首がだらりと落ちる。
「ぎぁぁぁぁぁあぃぃいぃあぁぁあぁぁぁあッ!?」
「うわッ……うわぁぁぁぁあ!?」
「な、なんだ!? なんだよこれぇぇぁぁあ!?」
女の叫び声を合図に、床から這い出して来た無数の手が、彼らを掴んで引きずり倒す。
静寂に包まれていた劇場内は一転、阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
「……始まったな」
床から、壁から、天井から、あらゆる場所から腐った手が一気に生え、それらはもがき苦しむように手をばたつかせながら、徐々に肘、上腕、肩と、どんどんと姿を現していく。
そして───
「いああぁぁぁあぁぁぁあッ!?」
客の一人の首筋に、半分ドロドロに溶けた人間の頭が噛み付いていた。
手だけだったそれらは、いつしか頭を得て、さらに腰まで這い出ると、床から強引に足を引き摺り出す。
「お、お、お、お前はッ……」
目の前に立ちはだかったそれに、客の男は見覚えがあった。
それは、かつて己が買った女。
縛り、いたぶり、そうして激しい責苦の末に───
「死んだッ……俺が殺し───」
「オォォオォオオォオッ!!」




