第67話:空間体験
ピクリと、アストの眉が動いたのを、ジェスターは見逃さなかった。
それと同時に、右にいたルシファーの微細な表情の変化も。
「……何故、そう思った?」
「いや……消去法と、単純な推理だよ。一年間、お前は動かなかった……いや、動けなかったんだ。話を聞いてそう感じた。最初は身体を癒す為かとも考えたが、さっきお前は一瞬で左腕を元に戻していたからな……だから違う」
アストは静かに頷く。
それを受けて、ジェスターは続けた。
「他にあり得るとすれば、悪魔の力とやらに慣れる時間が必要だったとか、昏睡状態になっていて、目覚めたのが一年後だった……なんてことも考えられるが、前者だった場合、お前は悪魔の静止も聞かず、そのまま飛び出していっただろう。自分の命など顧みる訳がないからな……その儀式を受け、耐え抜いたお前が。動けるなら、すぐにでも連れ去られた恋人を助けに向かった筈だ。それだけは……信用出来る」
今度は、微かに笑いながらアストが頷き、また彼を促すように手を差し出した。
「……で、後者もあり得ない。仮にそうだったとして、目覚めて一ヶ月でその魔力と雰囲気は……絶対に纏えねぇ。相当な鍛錬が必要だ……それも、想像を絶するような。そこで、お前の発言が意味を持つ。"肉体だけは十九歳"……つまり、精神というか経験値、成長、鍛錬の結果……まぁなんでもいい……そんな方法が本当にあるのかどうかは知らないが、肉体の時間経過は一年のみで、何十年、何百年と修行が出来るような───」
パチパチパチと、拍手の音が暗闇に反響し、ジェスターはその口を閉ざした。
「……いいね。あんたやっぱり、リリアナさんの後輩なだけはあるよ」
そう言って拍手を止めたアストは、満足そうな笑みを浮かべる。
それに対し、今度はジェスターが、静かに首を横へと振った。
「いや……お前がヒントをいくつもくれたからだ。つか、それもわざとだろ?」
「ん、考えられる人間が欲しくてね。さっきの段階で十分に合格点だったんだが、今は百点満点で合格だよ」
「……そりゃどうも」
「答えよう……一万年だ」
「………………は?」
「いや、だから……一万年だ。俺はこの一年で、一万年を生きたんだよ。だから、実質的に俺は、一万十九歳ってことになるな」
ジェスターは理解出来なかった。
あまりに突拍子もないその数字に、理解がまるで追いつかない。
それは、後ろで聞いていた彼女らも同様であった。
「い、一万……年って……ほ、本気で言ってるんですか?」
「ああ、もちろん本気だよローザ。ん、そうだな……せっかくだし、実際に体験してもらおうか。俺がどんな場所で一万年を過ごしたのか……知りたいだろ?」
「えっ?」
「ルシファー」
彼女はこくりと頷くと、右手をスッと上げ、その白く、細く、美しい指先を、ジェスターへと向けた。
「何を───」
「一秒送れ」
「……はぁい」
──────────────────
「───はっ!?」
「やぁ、おかえり」
「えっ……な……」
な、何が起こった?
いきなり変な空間に飛ばされて……今また……戻されたのか?
「どうだった?」
「え、いや、どうっ……て……」
な、なんだったんだ……あの……空間は……?
本当にただ黒いだけの……何もない……。
ど、どれくらい……多分二時間くらいか?
分からない……分からないが……もしあのまま───
「ジェ、ジェスターさん?」
「えっ? あ、ああ……」
振り返ると、二人が俺を心配そうに見つめていた。
二時間以上、ずっと待っていたのか?
カサンドラもまだ顔を埋めて───
「あの……今、ジェスターさんが一瞬だけ消えて、それでまたすぐに出てきたように見えたんですけど……何があったんですか……?」
「……え?」
一瞬?
いや、そんな筈は───
「一秒の一万倍は、約二時間と四十六分だ」
「……は?」
「ジェスター……お前は今、この世界から一秒だけ消えていたんだ。だが、お前のいた空間では、二時間と四十六分が経過した……それが、一万年の答えだ」
「…………そんなバカな」
そ、それはつまり……あの空間にずっと……?
あの……何もない空間に?
「現実世界で一年が経過する時、あの空間では一万年が経っている……時間の流れが一万倍早いんだ。まぁ、ちょっとした手違いでそうなっちまった。いわゆる不測の事態ってやつだったんだが……今では感謝しているよ。おかげで……こうなれたからな」
いや……それは……確かに時間をかければ強く……だが───
「正気を……保てる筈がないッ……」
己の身体以外、何も見えない空間。
色も、音も、匂いも、あそこには何もない。
あんな場所に……一万年?
想像するだけで……いや、想像なんか出来ないし……したくもない。
「そう……正気なんか保てないよ。ま、とりあえずやることもないし、強くなると決めたからな……基本的にはずっと身体を鍛えたり、魔術の訓練をしたり、知識を蓄えたり……で、たまに気が狂いそうになって……いや、多分もう狂ってるんだろうが、まぁ廃人にはならないで済んだよ。ほら、俺にはこいつらがいたからな。話し相手がいるだけ多少はマシだった」
「……もういい。分かった……全て、納得したよ」
完全に理解した。
こいつには……勝てない。
いや、初めから分かってはいたが、今のでそれがはっきりと、確信に変わった。
これは……強さの次元が違うとか、もはやそういう話じゃない。
こいつが持っている圧倒的な強さというものは、こいつを計る上ではただの一項目に過ぎないんだ。
もっと根本的に……人としての在り方からして……いや、こいつはもう……人間じゃない。
俺では無理だ。
凡人の……俺では。
「そうか。なら、話を進めよう。あ、その前に……バティン」
「はいですの」
「あっ!?」
「えっ?」
ローザちゃんの声に反応して振り向くと、その腕に抱かれていた筈のカサンドラが……消えていた。




