第6話:一万年の始まり
「なッ……なんだてめぇはコラァッ!」
身長は約百八十センチ。
黒い服とズボンを着たその身体はがっちりとしていて、顔は影になっていたために彼からは見えなかったが、声と体格からして男であることが分かった。
「さっさとこれを外しやがれッ!! ぶち殺すぞコラァッ!!」
「あ、駄目だわ。ルシファー、まだ食ってていいぞ」
「お、おいッ! ちょっと待ておいッ!!」
男はそう言い残し、彼がいるリビングがら姿を消した。
唯一自由に動く首で彼の動きを追うと、キッチンの方から微かに灯りが漏れていることに気づく。
最初に感じた匂いからして、もう一人いる誰かが食事をしているのだと彼は察した。
「ふ、ふざけんなてめぇ人んちでコラァッ!! 意味分かんねぇって! おいッ! おぉいッ!!」
しかし、彼がどれだけ叫んでも、男は姿を現さなかった。
さらに、深夜にこれだけ騒いでいるにもかかわらず、周りの住人がなんの反応も示さないことに、彼は苛立ちと恐怖で気が狂いそうになり始める。
それを振り払うように、渾身の力を込めて暴れ回り、拘束を解こうと何度も試みるが、結局状況は何も変わらなかった。
「……ちきしょう…………俺が何したって……」
どれくらい放置されただろうか。
やがて彼は疲れ果て、力無く椅子に座ったまま、ぼそぼそと呟きながら呆然と暗闇を見つめていた。
「やっと落ち着いたか」
「ッ!」
その男が再び現れた瞬間、彼は何故か安堵感を覚えてしまう。
「な、なぁッ! なぁッ!? あ、あんた強盗なんだろ!? か、か、金ならやるから───」
「いや? 金はいらない」
「……は? じゃ、じゃあなんでこんなこと……!」
「なんでって……ははっ……そりゃ、俺のセリフだよ」
「…………え?」
意味が分からず困惑する彼を尻目に、男はキッチンから持ってきた椅子を彼の目の前に置くと、それにゆっくりと腰掛けた。
そうして対面するような形になっても、男の顔は暗闇に紛れてよく見えない。
「俺の時も急だったからな……お互い様だろ?」
男の言っていることが理解出来ず、彼は必死に思考を巡らせる。
金目当てじゃなければ、いったい何故こんなことをするのかと。
そして、その答えはすぐに出た。
「お、俺があんたに……何かしたか……?」
「お、なんだ……意外と冷静じゃないか。その通りだよ……スタイン」
「ッ!」
見知らぬ侵入者に名を呼ばれた途端、彼の心臓が大きく跳ね上がる。
確定したのだ。
目の前に座る男の目的が、自分自身であることが。
「うッ……うぅッ……!」
途端に、彼はガタガタと震え出す。
ただの強盗ならよかった。金を払えば命は残る。
しかし、そうではないことが判明した今この瞬間、もはや命の保証は完全になくなったのだ。
「はぁッ……はぁッ……」
「ははは……怖いか? 俺も怖かったよ。本当に急だった……こんなふうに」
「……えっ…………」
何かを感じ、彼はそちらへ目を向ける。
右足に刺さったナイフが、そこにはあった。
「ひゃッ……ひあぁぁぁぁあッ!! いッて……あああああッ!! 嫌だァッ! だ、誰かあッ!! 助けてくれぇッ!! 助けてぇぇぇえッ!!!」
「あー……うるせぇなぁ……同じとこを刺されたが、俺はそんなに叫ばなかったぞ」
「誰かぁぁぁぁぁぁあッ! 殺されるぅぅうッ!! 誰かぁぁぁぁあッ!!」
「ルシファー……十秒送れ」
「はぁい」
「………………え?」
女の声が聞こえた瞬間、目の前から男が消えた。
それどころか、周りにあるものが全て消え、彼は一人、暗闇の世界の中にいた。
「な……なんだ……ここ…………あ、だ、誰か……誰かぁぁぁぁぁぁあッ!! おぉぉぉおいッ!!」
彼は力の限り叫び続けた。
しかし、当然誰からの返事もない。
身体は椅子に固定されて動かせず、足にはナイフが刺さったまま、彼は気が狂いそうになりながら泣き喚き続ける。
だが、暗闇の空間は何も語らず、ただ彼の絶叫を飲み込み続けた。
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「おかえり」
「ひぁッ!? あ……ああ…………?」
その声に反応して彼が顔を上げると、目の前に男が座っており、さらに周りを見てようやく、自身が部屋へと戻ってきたことに気づく。
さらに、男の背後に黒いドレスを着た銀髪の女が立っているのが見え、何故かその手には皿とフォークが握られていた。
「随分と辛そうだな……まだ十秒しか経ってないぞ?」
「え……じゅ、十秒……? う、嘘だ……俺は……俺はあの暗闇の中でずっと……!」
彼はあの空間で十秒の一万倍、約二十七時間を過ごしていた。
誰もいない暗闇の空間で、身体を椅子に固定され動けず、足にはナイフが突き刺ささったまま、眠ることすら出来ないという、まさに真の意味での虚無。
その苦痛は、彼の抵抗心や自尊心を粉々に打ち砕いていた。
「じゃ、次は二十秒にしとくか」
「や、やめてっ……やめてくださいッ! も、もう許し……お願いしますッ! なんでもぁぁぁあッ!?」
その時、アストは無言で足に刺さったナイフをグリグリと動かし始めた。
「あッ! アッ! ぎぃぁぁぁあぁあッ!!」
「俺が苦しんでる時、お前らはゲラゲラ笑ってたよなぁ……ほんと……ふざけやがって」
「あぁぁぁぁぁぁあッ!! すみませんッ! すみませんでしたぁぁぁあッ!! 許してッ……許してくださぁぁあいッ!」
さらに強くナイフを押し込まれ、彼は号泣し、失禁しながら許しを請う。
男は彼の髪を掴み、グッと持ち上げると、顔を近づけて無理やり目を合わせた。
「あ……あ……」
「はは……許すわけねぇだろ? あの時いた奴らは全員殺す。苦しめて苦しめて……死にたくなるまで苦しめてから殺すんだよ。お前が一人目だスタイン……誰からでもよかったんだが、まさかお前が最初に見つかるなんてなぁ……本当に偶然だったんだ。この大陸に着いて、最初に入ったこの港町でお前を見つけた時は、初めて俺は神とやらに感謝したよ。あんなに憎んでたのになぁ……ははッ! やっと始まるんだ……最初に剣を刺したお前からッ……俺のッ……俺の復讐がッ……!」
「さ、最初に……剣をッ……うぅ……はぁ……はぁ……お、俺が?」
「そうだ。覚えてたじゃないか……お前は」
「え……え……?」
「驚いたよ……まさか覚えてるとは思わないし、このタイミングだったからな。ほら、さっき呼んでくれたじゃないか……俺の名前を」
そう言いながら、男はフードを外す。
月明かりに照らされたその顔を見た瞬間、スタインの顔が驚愕で歪んだ。
「あ……え? ああああっ!? な、なんで……なんでぇっ!?」
「お前らがあんなことをしてくれたおかげでな……契約出来たんだよ……悪魔と」
アストはそう言って、背後に立つルシファーを指差す。
スタインは驚愕のあまり、口を大きく開けたまま彼女を見る。
美しい女性だった。まさに、絶世の美女と言うに相応しい程に。
すると、そんなルシファーは彼に対してにっこりと微笑んだ。
そして───
「ありがとうございますスタインさん。あの、今から死ぬほど苦しんだ後に、ほんとに死んじゃうと思うんですけど……無駄にはしません。ちゃんと美味しく……いただきますから」
そう言って、ニヤリと笑った。
「や、やだ……やめてぇ……助け───」
「長かったよ…………本当に長かった。俺はなスタイン……一万年あの空間にいたんだ」
「い、いちまんねん……?」
「そうだよスタイン……一万年だ。意味分かるか? 俺は分からねぇ。けどな、俺は耐えたんだ……そして今、やっとお前らに復讐が出来る……俺が今どういう気持ちか分かるか? なぁッ!?」
「ひぃぃぃいッ……うっうっ……あぁっ……」
「ああ……俺は今…………最高の気分だよッ……」
ここに辿り着くまで、彼は苦しみに苦しみ抜いた。
世界の時は、たった一年しか進んでいない。
しかし、彼は一万年という途方もない時を過ごしたのである。
その結果、彼は力を得た。
通常、人間が到達出来る場所を超えた力を。
だが、それと引き換えに、彼の心は壊れてしまった。
時は一年前、彼にとっての一万年前に遡る。
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「───なるほど。つまり、何千年か前にも俺みたいな奴がいて、そいつは悪魔の力で国を滅ぼしたんだな?」
一万年間この空間で過ごさねばならないことを聞いた後、俺はルシファーから悪魔や契約の話を全て聞き出し、最後にあのクソ野郎が言っていた昔話を本人から聞いていた。
「はい……そうです。まぁ、その人は私と契約してから、一日で力を使い過ぎて死にましたけど……」
ちなみに、ルシファーはすっかり口調が変わっているが、どうやらこれが本来の彼女ということらしい。
さっきとだいぶ態度が違うなと聞いたら、"威厳を出す為にやってましたすみません"とか言って謝ってきた。
なんなんだこいつは。
「"代償"の説明はしなかったのか?」
「いや、しましたよ? ただ、その人はもうあなたみたいにちゃんと話せる状態じゃなくて……全ての力を一気に使ったんです。だから死んじゃいました。代償を払い切れなくなって」
「……多分、それだけの恨みがあったんだろうな」
昨日までの俺なら、決して理解出来なかっただろう。
だが、今は違う。
それだけのことがあったんだ……間違いなく。
俺も気をつけないとな。
まだ、死ぬ訳にはいかないから。
「で、どうします? 試しに何か使ってみますか?」
「ああ……そうだな。今のうちに体験しておきたい。なんせ、時間は腐るほどあるからな……どっかの誰かさんのおかげで」
「あ、しゅません……ほんと……」
今日から一万年……なんだよ一万年って。
いや、ほんとに……ちょっと冷静になって改めて考えてみたが、意味が分からない。
人間なんて百年生きただけで凄いのに、一万年ってそれを百回繰り返すってことだろ?
俺まだ十八歳だぞ? マジで意味が分からん。
「もっ……ほんと! ほんとすませんっ! 勘弁……勘弁してくだしゃい……」
ちなみに、今こいつが下手に出ているのは、俺が怖いからなんていう陳腐なものではなく、しっかりとした理由があった。
要するに、こいつは俺に嘘をついていたのだ。
自分が主人で俺が従者だとか言っていたが、それは全くの逆で、この契約は俺に全ての決定権がある、という内容だった。
契約内容を聞かれない限りは答えなくていいらしく、こいつは自分が有利な立場にいる為に俺を騙そうとしていたのだ。
だから、やろうと思えばこいつを酷い目に遭わせることも出来る。
まぁ、俺もそれなりの代償を払うことになるが、こいつよりはダメージが少ないので別にやったっていい。
「いや、ほんと勘弁してくだしゃ───」
「おまッ……だからぁ! 俺の心を読むなって言ってんだろ! この嘘つき野郎が……!」
ちなみに、俺の心の声も常に流れてくる訳ではなく、やろうとしなければ聞こえてこないらしい。
嘘ばっかりだこいつは。
「あ、もう読みません……もう嘘もつきません……しゅません……」
「ちっ……まぁいい。さて、どれにするか……」
俺が念じると、頭の中に悪魔のリストが現れる。
これが契約の恩恵。
つまり俺は今、様々な悪魔の力を使うことが出来るようになっているということだ。




