第5話:一年後の事件
襲撃から約一年後───
「では、定刻となりましたので、これより月例報告会を始めさせていただきます」
豪華な装飾のなされた大広間。
その部屋の中央を陣取る長方形の重厚な長机には、赤と黒を基調とする軍服を着た男女が、ずらりと左右に分かれて並んでいた。
「まずは、こちらをご覧ください」
進行役の男が前方の壁にかけられた透明の板を指差すと、部屋の中が薄暗くなり、そこに世界地図が表示される。
世界地図には、横に並んだ三つの大きな大陸と、大小様々な島があり、それらは全て色分けされた状態で描かれていた。
「我がアレクサンドリア帝国は、中央大陸アテナを完全統一した後、こちら……皆様から見て右側のアルテミス大陸へと侵攻中であります。現在我が軍は、既に北沿岸部にある二つの国を占領し───」
進行役の男から、前月に当たる四月の戦果報告、各部隊の侵攻具合、並びに損耗状況、兵站事情などのあらゆる情報が、会議に参加する将校たちへと次々に語られる。
また、内政についても触れられ、大陸統一後の各種諸問題から、食糧生産量の向上に関する政策、大陸を縦断する幹線道路、及び線路の整備に加え、また新たな移動手段として、空を飛行する船の開発に成功したことなどが発表された。
これらに対し様々な議論が行われた結果、普段より長丁場となった会議ではあったが、それもようやく終盤へと差し掛かる。
「───では、次が最後のご報告となります。と言いましても、皆様には直接関係のない話ではありますが、念の為お耳に入れておこうかと。ここ最近、この本国におきまして、兵士の不審死が立て続けに発見される、という事案が発生しております」
会議が長引いたこともあり、参加者のほとんどは既に資料の片付けを始め、席の後ろに控える補佐官に何かを伝えたり、隣同士で話しながら笑い合ったりと、既に終わったような空気が流れ始める。
そんな中、ある一人だけは、進行役の男の話にしっかりと耳を傾けていた。
「昨日までの時点で、判明している限り十名の兵士が不審な死を遂げており、またその全てが、何者かによって殺害されたものであると断定されました。そして、手口がほぼ同一なことから、全て同じ者、あるいは同じ組織による犯行であると推測し、現在調査を進めております」
進行役の話を聞きながら、その男は肩肘をつき、こめかみを指でトントンと叩く。
「これは明確な叛逆行為であり、また殺害された兵士たちの勤務地が、全て占領地の街であるということも鑑み、本国憲兵隊はこれを重大事件と認定。これ以上の被害拡大を防ぎ、このような暴虐行為を断固として許さない姿勢を全国民に示す為、精鋭を集めた専門の調査部隊である特務課を派遣し、事態の収拾に当たらせることとなりました。お手元の資料に簡単な情報を記載しておきましたので、後ほどご確認いただければと思います。また何か判明次第、逐次ご報告いたします。それでは、本日はこれで解散とさせていただきます。皆様、長時間の議論、お疲れ様でございました」
その言葉を皮切りに、皆が一斉に席を立ち、補佐官を引き連れて部屋を後にし始める。
その際、角に座っていたその一際大柄な男に、皆必ず頭を下げてから退室していった。
彼は笑顔を浮かべながら、それらに手をあげて応えつつ、手元の資料に目を通していく。
「バルバロス閣下……それでは失礼いたします」
アレクサンドリア帝国第一軍団長。階級は大将。
それがバルバロスの肩書きであり、彼は軍事における実質的なトップである。
齢五十。彼は身長約百九十センチと大柄な体格の持ち主だったが、ただ大きいだけではなく、武術と魔術を高いレベルで習得した本物の武人でもあった。
その肩書きと高い戦闘能力により、彼に意見出来る者はほぼ皆無に等しいという、まさに今、世界の支配者と言っても過言ではない存在である。
「ん、ご苦労さん」
最後に進行役の男が退室すると、その大きな部屋の中に、彼とその秘書官だけが残された。
「……シャンディちゃん」
「はっ!」
バルバロスに名を呼ばれた補佐官の女は、すぐに彼の横へと移動して跪く。
「これ、詳しく調べといて」
彼女は、渡された資料に目を通す。
「先ほどの……兵士連続殺人についてですか?」
「うん。ちょっと気になってねぇ……出来れば現場の写真とか、調査資料も全部欲しいな。あ、僕がこれに興味を持ってることは、ひとまず伏せてお願いね……いい?」
「承知しました。すぐに手配を」
彼からすれば、あまり関係のないその事件。
占領地において、怨恨による軍人殺しなど特段珍しい話でもないのだが、何故興味を惹かれたのか、実のところ彼にもよく分かっていなかった。
強いて言えば直感。
知っておいた方がいいと、何かが彼に囁いたのだ。
「なーんか……変な感じだねぇ」
彼はそう一人呟いた後、ゆっくり椅子から立ち上がると、シャンディを引き連れて部屋を後にした。
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月例報告会の一ヶ月ほど前───
「チッ……あー……つまんねぇなぁ……」
酒に酔った男は、一人そう呟きながら家路についていた。
時刻は深夜二時。
四月初旬とはいえ、夜風はまだ肌寒く、彼は着ていたコートのポケットに手を突っ込み、ふらふらと蛇行しながら道を歩く。
辺りに人影はなく、中心部から離れた住宅街には、男の呟きと、その靴が不規則に鳴らす、石畳を叩く音のみが響いていた。
「なんっも楽しくねぇよ……毎日毎日……クソが」
男は、この街を守る兵士である。
今日の仕事を終え、もはや日課となった酒場通い帰りの彼の腰には、兵士のみが持つことを許される国の紋章が入った剣がぶら下がっていた。
「なーんもねぇ……なーんも……」
恋人もおらず、気の許せる友人もいない。
両親は遠く離れた街におり、自宅に帰っても彼を出迎える人はいなかった。
九ヶ月程前に配置換えで就任した仕事も単調で、ただ毎日鎧を着て街を練り歩くだけである。
まだ二十代前半の彼は、そんな退屈な毎日に嫌気がさし始めていた。
「ふふっ…………ありゃ、楽しかったな」
急に思い出したそれに、彼は思わず笑みを浮かべる。
それは上の命令で、とある村を襲った日の記憶であった。
「あんれはやばかった……まーじ最高だったなぁ……」
あの日の体験が、彼の倫理観を大きく狂わせていた。
彼はあの男の指揮する部隊で、数ヶ月に渡ってあらゆる地に赴き、似たようなことを繰り返していたのである。
「でも、あれ以外はいまいちだったな。みーんなすぐ死んじまったり、逃げ出そうとして殺されたり……ふひっ……ま、それはそれで楽しませてはもらえたけどねぇ……はははっ……!」
行く先々の場所で、彼は快楽の為に人を殺し、犯し、そして奪った。
男も女も老人も子供も、あの男に"やれ"と言われるがまま、"儀式"に不要な存在を喜んで殺し続けた。
彼にとって、それは最高の日々。
毎日が楽しくて楽しくて仕方がなかった。
だが、それは唐突に終わりを迎える。
「なのに今はこんな……クソぉ……なんでこんな占領地の潮くせぇど田舎で、毎日毎日お散歩しなきゃなんねぇんだ? あぁッ!? クソがよぉ……!」
彼は別に、優秀な人間ではなかった。
たまたまその部隊にいたから従軍していただけで、あの男に名前すら認知されていない。
任務が終わり、帝都へと戻った直後に部隊は解散。
そして彼は、定期的に行われる配置換えで、この街の衛兵職へと回されただけである。
「クソッ……俺も出世したかったなぁ……」
部隊にいた同僚の中には、バルバロスに評価されて昇進するものや、そのまま彼の手勢に加わったものもいた。
それは彼の嫉妬心を強く刺激し、選ばれなかった自身への失望も相まって、現状に折り合いをつけることが余計に出来なくなっていたのである。
加えて、約半年間の任務は極秘扱いとなっており、その内容を他者に話すことは固く禁じられていた。
それがまた、誰にも鬱憤をぶつけられないという苦しみを彼に与える結果となる。
「そりゃ大半が俺みたいにどーでもいい仕事に割り振られてたけどよぉ……こんなんだったらお前……前線にぶち込まれた方が全然マシだっての……あー……またやりてぇなぁー……」
狂った世界に一度身を置けば、もはや平穏な日々の安らぎなど、パン屑よりも価値がない。
人間は本来、非常に残酷な生き物である。
それを法律やら、刷り込まれた道徳心やら倫理観やらで縛りつけ、社会性を持たせて"人はこうあるべき"という枠に嵌め込み、誰しもが無意識に飼っている内なる獣が、表に出ないよう監視しあっているだけに過ぎないのだ。
故に、一度そのたがが外れれば、人はいくらでも残酷になれる。
そうやって枠からはみ出たものは、基本的に法によって裁かれるのだが、それが適用されない場合もあった。
それが、戦場である。
そこに道徳心や倫理観は必要なく、それらはパン屑どころか、馬の糞ほどの価値もない。
なにせ、本来社会から逸脱しないようにこちらを監視しているはずの周りが、逆に逸脱せよと言ってくるのだからそれも当然である。
街に住んでいるだけでは、一生経験することのないあまりにも強烈で鮮烈な、狂った価値観。
それは、人間社会一般における正常な思考を容易に焼き焦がし、その人間を異端の存在へと変えるには、あまりにも十分過ぎるほどの効果を持っていた。
無論、中にはそうならず、人としてあるべき姿を保つ者も決して少なくはない。
環境に左右されず、己の信念を持ち、人としての矜持を胸に、必要がある人間だけを駆逐する。
軍事大国であるアレクサンドリアでも、軍人である前に自分は人であると、そのように考えて行動出来る者も当然いた。
ただ、彼はそうではななかった、というだけの話である。
「やっぱ最初のあいつだよなぁ……俺が最初に太ももを刺した……なぁんだっけ名前ぇ……」
ふらふらと揺れながら、かつての快楽を思い返しつつ、彼は自身の部屋がある集合住宅へと辿り着いた。
塗装が剥げ、ひび割れた木製の手すりに身体を預けた彼は、二階へと続く階段を一つ一つ、豪快な音を立てながらゆっくりと上がっていく。
「女の名前は…………あぁ……フィオナだ。いい女だったなぁ胸もデカくてよぉ……へへっ……あー、いいよなぁ軍団長は……きっとやりまくりだぁ……」
階段を上り、通路を歩いて三番目。
そこが、彼の部屋だった。
「カギはぁ……ん、あったぁ……明日も仕事だよぉん」
頭に浮かんだ言葉を全て口にしながら、彼はカギを開けて取っ手を引く。
ギィっという嫌な音を立てて開いた扉の先には、深い深い暗闇が広がっていた。
特に何も考えず、彼はいつも通りに玄関へと足を踏み入れる。
「明日も仕事でありますっ……つって……ん? あす……あすも……あっ!」
その時、彼は唐突に思い出した。
一年前にあの村で死んだ、彼の名前を。
そして───
「思い出した…………アストだ」
バタンと、扉が閉まった。
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「…………ん…………あ……?」
目覚めた彼が最初に感じたのは、匂いだった。
フライパンでニンニクとオリーブ油を炒め、そこに肉を入れて焼いたようないい匂い。
食欲をそそる、芳しい香りだった。
「なん……だ……? えぇ……と……あれ……?」
まだ虚ろな思考のまま、窓から入る月明かりのみを頼りに周囲を見回すと、そこが自分の家で、リビングの真ん中にいることに気づく。
また、自身が椅子に座っている感覚と、朧げながらに家へと帰ってきた記憶が蘇ってきた彼は、とりあえず水でも飲もうと思い立ちあがろうとした。
「ッ!? え……?」
しかし、身体が動かない。
そして、そこでようやく、自身の置かれている状況を理解した。
「なッ……はぁ!? んだこれッ!?」
彼の身体は、椅子に固定されていた。
肘と手首は紐で手すりに括られ、膝と足首も椅子の脚に同じよう縛られている。
「うッ……がぁッ!! んだよこれぇッ!? ざけんなッ……誰だオラァッ!! あぁッ!?」
さらに、首と腰も他と同様に紐で結ばれていることに気づいた彼は、怒鳴りながら全力で暴れ始めた。
その根幹にあるのは恐怖。
"何故"、"やばい"、"まずい"と、現状を理解し始めた彼の心臓は痛いくらいに激しく脈打ち、その恐怖をかき消す為にひたすら叫んで暴れ続ける。
「ざっけんなコラァッ!! このッ……だ、誰だかしらねぇがぶっ殺すぞこの野郎がぁッ!!」
それは、強い言葉を発し、虚勢を張ることで、心が押し潰されないようにする為の自己防衛反応。
同時に、誰かがこの音に気付き、助けにきてくれるかもしれないという救助要請でもあった。
しかし、"助けてくれ"とは叫ばない。
ちっぽけなプライドが、それをまだ許さなかった。
「はぁッ……はぁッ…………」
しかし、どれだけ暴れようが、拘束された身体は一切動かせず、さらに何故かその椅子も、まるで床に固定されているかのように微動だにしない。
ひとしきり暴れてようやく、彼はその異常さを理解し始めていた。
「な、なんだよ……なんなんだよぉ……!」
汗が滝のように流れ出し、それが瞳や唇を洗っても全く気にならないほどの恐怖が、だんだんと彼の心を支配していく。
そうして、彼が叫ぶことをやめた途端、辺りを静寂が包み込んだ。
自身の荒い吐息、耳鳴り、衣擦れ、唾を飲み込む音。
静寂の中で誇張されたそれらの音とともに、頭まで上った血流が、ドクドクと激しい鼓動を彼の中で響かせていた。
と、その時───
「ッ!?」
「よぉ……やっと落ち着いたか」
キッチンから現れたのは、黒いフードをかぶった人物だった。




