第56話:左腕
直後、まるで巨大な爆発が起きたかのような轟音と、振り抜いた拳から生み出された凄まじい衝撃波が、彼の前方の空間を破裂させる。
「ごぁッ───」
それにより、シャナリーゼの放った風の刃は一瞬にして霧散し、突き抜けたその拳の衝撃によって、彼女の身体がくの字に折れ曲がる。
さらに、その衝撃の余波は周囲にまで及び、四人が身を潜めていた建物をも激しく揺らした。
「た、建物が……!」
「ぐッ……な、なんつう威力だッ……!」
建物は崩壊こそ免れたものの、ただでさえひび割れていた壁や天井には新たな亀裂が無数に走り、大量の土埃が彼らに降り注ぐ。
それは他の建物も同様であり、まるで地震が起きたかのように、廃墟街を激しく揺らしていた。
「無詠唱で……いや、それどころか、ただの拳一発でこの威力ッ……やっぱり、俺らでどうこう出来る相手じゃない……様子を見て離脱するぞ」
ジェスターの言葉に、ローザとカサンドラが頷く中、ただ一人ターニャだけは、"軍人殺し"のことをじっと見つめていた。
そして、その一撃を見舞った当の本人は───
「……やり過ぎたか」
アストはそう呟きながら、周囲をちらりと見る。
シャナリーゼは地面に倒れたまま動かず、周りにいた兵士たちもまた、彼女とは違った意味でその場から動けずにいた。
「結果はいいとして……いまだに加減が分からんな」
一応周りを気遣い、決して全力を出してはいなかった。
だが、あの一万年過ごした空間とは違い、このあまりにも脆弱な世界に、己の力がどれだけの影響を与えるのか、彼はまだ計りかねていたのである。
「ま、やっていくうちに覚えるしかないか……おい、大丈夫か?」
「は、はい……」
振り返り、ガンザイに声をかけたアストは、そのまま背後にいた住民たちへと視線を送る。
彼らは皆、その場で跪いたまま、ただじっと羨望の眼差しを彼へと向けていた。
そんな目で見られる対象ではないと、彼自身はそう思っていたのだが、それと同時に干渉した己の責任でもある以上仕方がないと、彼は半ば諦めてそれを受け入れる。
「我らのことはお気になさらず、指導者様の思うがままに行動を……」
「そう言われてもな……まだやってもらうこともあるし……まぁ、とりあえず───」
アストは両手を合わせると、そこに魔力を集中させ、それを引き延ばすようにして広げていく。
そうして出来た幕は、アストを中心にして廃墟街の住民たちをすっぽりと包み込んだ。
「これは……」
「結界魔術の一種だ。これで俺たちの声は外に漏れない。さて、事情が変わった。今あいつらを追い返しても、今度は大隊規模で攻めてくるだろう。まぁ、それも俺が叩き潰せばいいだけなんだが、万が一魔法使いにでも出張られたら面倒だ……よって、計画を早める。今日決行だ」
「お、おお……承知しました……!」
「あらかた準備は出来てるし、まぁ問題ないだろう。ガンザイ、今からお前らを各地区へ送る。決行は午前0時ちょうど……そう伝えろ」
「は……仰せのままに……」
「よし、出てこいルシファー」
彼がその名を呼んだ途端、何もなかった空間に突如として姿を現したルシファーは、ガンザイたちにニコッと微笑んでみせた。
「おお……ルシファー様だ」
「今日もお美しい……」
「ありがたやありがたや……」
「ほひょっ……おほほ……あへぁ……」
褒められ慣れていない彼女は、そんな信奉者たちにどう応えてよいか分からず、少々不気味な笑い声を漏らす。
「きッ……まぁ、言わないでおくか……」
「なんですかっ? 何を言おうとしたんですかっ?」
「ニコニコしながら近づくな……そんなことより、こいつらを転移させるから力を貸せ」
「そ、それは構いませんが、今の私ではこの数をいっぺんには……」
「分かってるよ。だからあいつにやってもらう。俺が命令するより、お前から命令した方がスムーズだからな」
「えっ? あ、ああ……そういうことですか……」
露骨に嫌そうな顔をする彼女を尻目に、アストは左腕の袖を捲ると、頭の中で悪魔のリストを開いた。
「代償を捧げる。来い……"左に座すは俊敏なる者"」
直後、彼の左腕の肘から先が急に捻じ曲がる。
捻れた左腕はそのまま回転を始め、やがて捩じ切られるように彼の身体から離れると、いつものように黒い空間へと引き摺り込まれていった。
やがて地面に六芒星の召喚陣が現れ、そこから姿を現したのは、短い銀髪に褐色の肌をした、執事の服を着た女性であった。
彼女は、そのボタンすら止められない程の豊満な胸を一度ぐいっと張った後、腹に右手を当て、左手を優雅に構えながら深々と頭を下げた。
「……やっとお声がかかりましたわね。待ちわびておりましてよ……アスト様?」
そう言いながら顔を上げた彼女は、ブエルの力で腕を治していた彼を軽く睨みつける。
しかし、すぐに笑みを浮かべ───
「ですが、あのバカ女より先にわたくしを呼び出したことだけは……まぁ、評価してさしあげますわ」
実に上からな目線で、彼にそう告げた。
「ああ……そりゃどうもありが───」
「そんなことよりっ……!」
彼女はアストの言葉を最後まで聞かずに、今度は凄まじい速さでルシファーの前に跪いた。
「ああ陛下っ……わたくしが来たからにはもうご安心を! 後のことは委細全て万事このわたくしめがっ……!」
「え、ええ……よろしくお願いしますね……バティン……」
「はいっ!」
"王の左腕"。
自他共に認めるその称号を持つ彼女は、ルシファーに絶対的な忠誠を誓った側近中の側近。
故に当然、その階級は───"公爵"である。




