第54話:再来
「代表して、一人前へ出ろ……そいつと話す」
少しの騒めきがあった後、群衆の中から手が伸び、ガタイのいい男がゆっくりと彼女の前に出た。
「名前は?」
「……ガンザイだ。一応、この市場を仕切っている」
初老の男は、険しい表情でそう名乗る。
彼が纏う、袖のないボロボロの薄汚れた服や、膝の部分が擦り切れ、穴の空いた長ズボンは、そのまま彼らの状況を表しているかのようであった。
「そうか。私は南方司令部総統付き特別補佐官、シャナリーゼという」
「ッ! ……そんなお偉いさんが、こんなところにいったい何の用だ」
「うむ……ジャバー閣下は、実に寛大なお方だ。これまで、貴様ら廃墟街の人間が悪事を働いても、多少のことには目をつぶってきた。やろうと思えば、貴様らを駆逐することなどいつでも簡単に出来た……まさに、今のようにな」
ガンザイの頬を、一筋の汗が伝う。
シャナリーゼは、笑みを浮かべながらさらに続けた。
「しかし、閣下が今までそうされなかったのは……貴様らを憐んでのことだ。それは、理解しているだろう?」
シャナリーゼは見下すように、蔑むように、そう言って再び笑みを浮かべた。
そしてその直後、フッと笑みが消える。
「だが、今回は見逃せん……と、閣下はそう言われた。心当たりがあるんじゃないか?」
「バカな……我らには何もない。それはお前たちも知っているだろう。この姿を見ろ……後ろの者たちも! 武器どころか服すらこの有様だ! お前たちが全てを奪ったのではないか! 我らはただ生きる為に───」
「あー、分かった分かった……不幸自慢はもう結構。聞き飽きているのでな。では、単刀直入に言おう……ここ一週間程の間に、この掃き溜めへと流れてきた者がいるだろう。貴様らに間違った知恵を授け、徒党を組ませようとしている不届な輩が。そいつをここに連れてこい。そうすれば、貴様らには手を出さん。どうだ? 簡単な話だろう?」
「な、何の話をしているか分からん! そんな者はいない!」
その言葉を受けたシャナリーゼは、わざと大げさにため息をつく。
「貴様らがここでどう生きようが……それは別に構わん。好きにするがいい。だが、何かよからぬことを企んでいるなら話は別だ……さぁ、最後にもう一度だけ聞いてやる」
シャナリーゼが右手を挙げると、周りを囲んでいた兵士たちが一斉に武器を構えた。
「……ッ!」
「いいか? 今、お前の言葉に、数百人の命がかかっている。意味は分かるな? それ相応の覚悟を持って答えろよ? では、問おう……最近ここに来た───」
「そんな者はいないッ!」
空虚な街に、怒号にも似た拒絶の言葉が響き渡る。
シャナリーゼは、一瞬眉を顰めた後、殺意のこもった眼差しを彼へと向けた。
「いいんだな? ……それで」
「……いない者はいない。さぁ、殺すなら殺すがいい! 無抵抗の我らの死は、お前には届かずとも、無垢な兵士たちには楔となるだろう! 好きなだけ蹂躙し、我らを穢せ! だが、我らペルシアの民は、誇りを決して捨てはしないッ! 最後の最後までな……!」
「阿呆が……だから滅びたのだ。それが分からん輩でもあるまいに……こんな暮らしをしてまで、必死に繋ぎ止めたその生を無駄にするつもりか? ただ一人の為に、数百人が死ぬのだぞ?」
「くどいッ……既に覚悟は出来ている。我らは何も語らぬ……抵抗もせぬッ! さっさとその右手を下ろし、罪なき命を刈り取らせるがいいッ!」
「……ちッ」
シャナリーゼは心底呆れながら、ガンザイを侮蔑するような表情を浮かべた。
主人であるジャバーからは、"なるべく殺すな"と言われており、そうでなければ彼女は、話などせず即座に右手を振り下ろしていただろう。
無論それは、廃墟街の人間に情けをかける訳でも、何も知らない兵士たちの感情を慮ってのことでもない。
言うまでもなく、商品の数が減ってしまうから。ただそれだけである。
この場では、彼女だけがそれを理解していた。
「……まぁ、仕方ないよなぁ?」
"なるべく殺すな"。
それはつまり、多少は仕方がないと、そういう意味だと解釈していた彼女は、実に嬉しそうに片方の口角を吊り上げる。
そして、その右手を───
「ッ!?」
振り下ろさんとした、まさにその刹那であった。
彼女とガンザイたちの間に、それが姿を現したのは。
「は!? きさッ!? どこからッ……!」
シャナリーゼは、振り下ろす機会を失った右手を掲げたまま後退し、そのまま戦闘態勢へと移行する。
そして、物陰に隠れて見守っていた四人も含め、その場にいた全員の視線が、突如として現れたその黒いフードをかぶった人物へと向けられた。
「あ……あれはっ……!」
その時、ターニャの身体がわなわなと震え始める。
彼女は即座に気づいたのだ。
その匂いと、風貌と、そしてその男が放つ、圧倒的な存在感によって。
「ターニャちゃんどうし───」
「あ、あの人です……あの人が……軍人殺しでありますっ……!」
「なッ!? あ、あれが……!」
四人の見つめる先。
その黒いフードをかぶった人物───軍人殺しは、剣に手をかけるシャナリーゼを意にも介さず、ガンザイたちの方へゆっくりと振り返った。




