第31話:檻の中の狂人
「……早くしろ」
妖艶な笑みを浮かべる彼女に、看守の女は冷たくそう言い放つ。
「そう急かさないでくれよ……ほら、これがね」
フィオナはそう言って微笑みながら、両手を繋ぐ鎖を彼女に見せつける。
両手首と、両足首それぞれ繋ぐようにつけられているその鎖は、日常の生活動作に大きな支障はないものの、金属が擦り合うたびに、なんとも耳障りな音を立てた。
「ちっ……いいからさっさと来い」
「はいはい……」
気怠そうにベッドから降り、フィオナは差し入れ口へと向かう。
「んっ……」
物のやり取りが唯一行えるその場所は、腰より低い位置に設置されており、屈んだ際にフィオナの口から吐息が漏れる。
一年以上前に与えられた大きめの白いシャツは、もう生地が伸びてゆるくなっていて、前屈みになると襟がだらりと落ち、そこから彼女の豊満な胸元が露わになった。
「……取れ」
その一連の様子を無表情で見つめながら、看守の女は最低限の言葉だけを口にし、食事が乗ったトレイをぐっと押し込む。
上目遣いで彼女に応えたフィオナは、トレイを受け取ると、長く美しい黒髪を翻し、ベッドの前にある机にそれを置いた。
「では、いただきます」
ベッドを椅子代わりにし、彼女は両手を合わせて頭を下げた後、ゆっくりと食事を始めた。
食べ始めたのを確認すると、看守の女はため息をつきながら、牢屋の前にある椅子へと腰掛ける。
「ふふっ……」
「……何がおかしい」
「いや、ため息をつきたいのは、むしろ私の方だと思ってね……だってそうだろう? 毎回毎回、陰鬱な面持ちで食事を監視されているこちらの身にもなってくれ。せっかくの美味しい料理が台無しだよ」
そう言って、彼女はパンをちぎると、それを今日のメインであるビーフシチューにつけてから口へと運んだ。
そして、中指、人差し指と順に、指に付着したソースを舐め取ると、最後に親指を軽くしゃぶりながら、また悪戯っぽい笑みを浮かべる。
その薄紅色の小ぶりな唇は、付着した油によって、微かに艶めいていた。
「……黙って食え。もう私に話しかけるな」
「んっ……分かった。なら、一人で勝手に話すとしよう。食という行為を他人に見られるのは、非常にストレスが溜まるものだ。相手も同様に食事を楽しんでいれば気にならないのだが、相手が食べ終わり、時間を持て余していたりすると……ふふっ……要するに、今みたいな状況だな」
クスクスと笑うフィオナに、看守は足を組んで目をつぶり、腕組みをした後にまた一つ、ため息をついた。
「食事姿を見れば、その人間の人生が分かる言われていてね……食器の使い方、細かな作法は勿論のこと、物を口に運ぶ速度や、立てる音、視線の置き方、他者への配慮など、あらゆる要素によってそれを知ることが出来る。つまり今、私は君に人生を覗かれていると言っても過言では───」
「うるさいッ! 黙って食えッ!!」
八畳ほどの隔絶された空間である地下牢に、看守の怒号が響き渡る。
それでも、フィオナの表情は一切変わることはない。
「ふふ……だいぶ苛立っているね。無理もない。私がここに監禁され始めてから約一年ほど経つが、世話をする君たち四人は誰一人として入れ替わっていない。おそらく、外にも出ていないんじゃないかな? 私はあの男にとって、かなり重要な存在らしいし……君たちが外に出て、情報を漏らしたり出来ないようにしている……どうだろう? 当たっているかな?」
「黙れと言っている……!」
「君たちも災難だな。あの男にいいように扱われて……ん? いや、それはつまり、あの男から信頼されているとも言えるのか……なるほど? ということは、君たちはそれに幸福を感じている訳だ。なぁ、一つ聞きたいんだが、それは部下としての幸福か? それとも女───」
「黙れッ!!」
「ぐぎッ……あッ……がッ……!!」
突如、フィオナは全身に走った激痛によってビクンと痙攣し、その息も出来ない程の痛みによって、彼女は全身に力を入れたまま固まってしまう。
そのままベッドから転がり落ちると、石畳の床の上で、苦痛に顔を歪めながらのたうち回り始めた。
「バカが……忘れたのか? お前の首輪には、魔術を組み込んだ魔石が埋められている。その対となるこの魔石に……こうして魔力を流せばッ……!」
「おあぁぁあッ!? うッ……ぐぅぅッ……!」
フィオナにつけられている黒い首輪。
普段は髪に隠れて見えないうなじ側には、小さな赤い魔石が埋め込まれており、看守が持つ魔石に魔力を流すたびに、それが赤い光を放ちながら、彼女の身体に激痛を走らせていた。
「ふふっ……痛いだろう? バカな奴だ……確かにお前は、あのお方にとって重要な存在なのだろう。傷つけるような真似は許されていないが…… そいつは全身の神経に、直接痛みの信号を送るという力を持っている。つまり───」
「あぐぅッ……んんッ……!」
「怪我をさせることなく、お前みたいなバカに痛みを与えることが出来るんだよ。どうだ? 少しは自分の立場を理解したか? 分かったら、さっさと飯を食えこの狂人が……!」
「はぁっ……はぁっ……う……んっ……ふふっ……はははっ……狂人か……確かに私はっ……く、狂ってるんだろうな……」
全身の肌を汗で濡らし、肩で大きく息をしながら、フィオナは震える手を床につけると、ゆっくりと立ち上がる。
そして、そのままベッドへと倒れ込んだ。
「おい……さっさと───」
「……目の前で、婚約者が殺された。婚約した……その日にだ」
消え入るような声で、彼女はベッドに身体を投げ出したまま、そう呟いた。
「やっと結ばれた……幸せな日だったんだ。彼は、私の全てだった。知っての通り、私は頭がおかしいだろう? 疑問に思ったことは、納得いくまで繰り返し尋ねるし、聞いてほしいことは、相手の都合などお構いなしに話続ける。な? 理解してるのにこうなんだよ。そして、それは子供の頃から変わらないんだ。村の人たちは優しかったからな……表面上は普通に接してくれるんだが、分かるんだよ。深く関わらないように、私を刺激しないようにと、細心の注意を払っているのがね。それは……とても辛くて悲しいことだった。でも、彼は……アストだけは違ったんだ」




