第3話:悪魔との契約
ガタガタと震える身体を必死に抑え、俺がそう言うと、そいつはやっぱりにやりと、本当に嫌な顔で笑った。
「……もちろん。ゲームには報酬が必要だ。君だって生き残れるかもしれないよ? 頑張れば……ふふっ!」
何が面白いんだ。
意味が分からない。
でもやるしかないんだ。
そうしないとフィオナを助けられない。
その時、俺が彼女を見ると───
「アストッ……だめッ……だめだ……!」
目が合った途端、弱々しく、泣きながら彼女はそう言った。
「………………やるよ」
その顔を見て、俺は覚悟を決めた。
「よしッ! 決まりだ。じゃ、早速始めよう。お前ら並べ」
「はっ!」
俺を囲む円は残しつつ、兵士がゆっくりと列を作り始める。
俺はそれを、ただ呆然と見つめていた。
今から俺は、一千人に攻撃される。
なんだそれは。
理不尽とか不合理とか、もうそういう言葉じゃ表せない意味不明な状況。
そんな意味の分からないことが、今現実に起きている。
そもそも、なんで俺たちはこんな目にあってるんだ?
なんなんだよこれは。
ただ暮らしていただけじゃないか。
誰に迷惑をかけた?
俺はただ平穏に、ただフィオナと一緒に───
「準備出来たよ」
「はっ!?」
気がつくと、目の前に剣を持った兵士が立っていた。
やはり、ニヤニヤと笑っている。
狂ってるよこいつら……なんでそんな嬉しそうな顔が───
「はい、始め」
「ぎッ……いッ……!?」
開始の合図と同時に、右足に痛みと熱が走った。
剣先が身体の中に入ってくる異様な感覚。
初めてのそれに、俺は人生で出したことのない声を上げていた。
「大丈夫? まだ一人目だけど……」
「ハッ……ハッ……!」
痛い。
浅く刺されただけなのに、痛みがズキンズキンと全身に回っていくようだった。
「うッ! ぐ……ぎ……!」
「よぉ? いてぇか……なぁ?」
俺に剣を突き刺したまま、その兵士はそう言って嬉しそうに笑っていた。
「クックックッ……ほら、頑張れ頑張れ。お前がゲームに負けたら、あのかわいこちゃんが……とんでもないことになっちまうぞ?」
「ギッ……いあぁッ!?」
ぐりぐりと捻じられ、剣が肉を割く感覚が全身を駆け巡る。
「付き合ってんのか? なぁ? かわいそうになぁ……ま、お前が死んだら俺らがたっぷり慰めてやるよ……せいぜい頑張んなッ!」
「うぎッ!?」
ズッと、今度は剣が思いっきり引き抜かれ、思わず膝が落ちそうになるのをグッと堪えた。
そして、一人目の兵士がニヤニヤと笑いながら、そのまま俺の前から離れると、また違う奴が目の前に立った。
これをあと、九百九十九回───
「はい、どんどん行こう。まだまだ先は長いからね。じゃ、次」
「あッ……!」
また同じところを刺され、すぐに引き抜かれる。
「次」
「がッ……ひ……!」
今度はその少し上。
「動脈は外せよー……次」
「あッ……はぁッ……」
今度は左腕。
「んー、二人くらい同時にいこうか。長くなりそうだし。はい、次」
「あッ……おッ……!」
左足と右腕。
「んっふっふっふっ! さぁ、あと……九百九十五回だ」
──────────────────
「おー、すごいねぇ……まだ立ってる。遂にここまできたよ……アストくん」
部隊を指揮し、満面の笑みを浮かべてパチパチと拍手を送るその男の名は、バルバロス=アセルゲイア。
とある国で、軍団長を務める男である。
彼はある極秘任務を国王より直接拝命し、それを達成することと同時に、それとは別に自身のある目的を果たす為、わざわざその国の首都から遠く離れたこの地へと、数人の信頼出来る直属の部下と、人数合わせの手頃な若い部隊を率いて訪れていたのだった。
「ほら! フィオナくん! 見てみなって! 君の彼氏凄いよ!?」
「うっうっうっ……アスト……アストぉ……」
フィオナは跪き、額を地面につけてただ泣き続けていた。
目の前で行われるあまりにも凄惨な光景から、目を背けるように。
「ほらぁッ……見てみなって!」
「あッ……」
髪を引っ張り、フィオナの顔を無理矢理引き上げて顎を掴む。
そして、フィオナが見てしまった彼の姿は───
「いやぁ……いやぁッ!? アストぉ!!」
邪魔だからと、服を全て脱がされた彼は、裸でそこに立っていた。
前傾姿勢で顔は俯き、彼女からその表情は伺えない。
脱力した彼はゆらゆらと揺れながら、それでも決して倒れようとはしなかった。
また、全身に無数にある幾重にも重なった傷口は赤黒く、ただ奥はピンク色で、さらに殴打の後も数え切れないほどあり、それが身体の皮が残っている場所全てをドス黒く変色させていた。
こんなことが起きる前は、綺麗な黒髪だった彼の頭部は、やはり表情がよく見えなくて邪魔だからと、ところどころ頭皮ごと削がれ、その一部は薄っすら骨が見えている。
足もまた、何故それで立っていられるのかというくらいに抉られており、皮はほとんど残っておらず、至る所から綺麗な白い骨がよく見えていた。
彼の両腕の上腕部は、紐が肉に食い込むほどきつく縛られており、そしてそれより下はもう、何もなかった。
「やあぁ……やだぁ……!」
フィオナは強引に顔を背けようとするが、バルバロスはそれを許さない。
顎を強い力で握り、髪を掴んだ腕をグッと前に出しながら、彼はフィオナの顔に頬を擦り付けた。
「いやー……凄いッ! ほら顔ッ! 顔もよく見てあげて! おい」
兵士が一人彼へと近づき、少し残った髪を掴むと、それをぐいっと持ち上げる。
「やだぁ……もういやぁぁぁあッ!」
だらりと、よだれか何かも分からない液体を口から垂らしながら、どこを見ているか分からない目をした彼は、口を大きく開いたまま、弱い呼吸を繰り返していた。
「ほらッ……よく見て! 耳がないだろう? あれは八百四十九回目に切り取った。で、歯も全部抜いたんだよ? あれは五百三十回から四百九十九回目だ。親知らずが生えていたからねぇ……彼は運が良かった。ほら、回数が稼げたからラッキーなんだよ。あ、鼻もないでしょ? あれは三百七十回から五回かけて剃っていったの。でも、彼はその頃には静かになってたからねぇ……ちょっとつまんなかったかな。腕も少しずつやったよねぇ。あ、見てたか! 爪を一枚ずつ綺麗に剥がした後、止血してから指を関節単位で一本一本落として……最後に手首から切り落としたんだよね。あれはまだ七百四十六回目だったから、ほんといい顔してたよねぇ……ガタガタ震えちゃってさぁ! あ、どう思ったんだろう? 両手首を落とした時……君にもう触れないなとか考えてたかもしれないねぇ!? それから足の肉を削いだのは、四百二十三回目くらいからだったねぇ。そう、まだギリギリ反応があった頃だ! うーうー言いながらガクガク震える身体がもう……あっはぁッ! たまらなかったッ!! あ、そうそう! 目は潰さなかったんだよ? まだまともな意識があるか分かんないけど、彼から君がよく見えるようにしたんだ。ねぇ……優しいだろ僕って」
それでも、それでも彼は立っていた。
もはや、意識があるのかないのかすら分からない。
随分前から呻き声すら上げず、何をされても反応がなくなっていた。
そして───
「さぁ、あと十回だ」
九百九十回。
彼はここまで耐えた。
残るはあと十回。
たったそれだけ。
「ま、もう反応ないし、適当でいいよ」
「はっ」
そう命じられた兵士たちは、おどけながらこつんと頭を叩いたり、またある者は陰部を指で弾いたりと、まるでおもちゃを与えられた子供のように、実に楽しそうに遊び始める。
その様子に、バルバロスも含めた全員がゲラゲラと笑っていた。
そして、フィオナは泣き続けた。
これが本当に人のする行いなのかと、こんなことがあっていいのかと、噛み締めた唇からは血が流れ、涙と鼻水と血で、顔をぐしゃぐしゃにして、神を恨みながら泣き続けた。
やがて、九百九十九回目の一人が、彼に小便をかけ始める。
周りからは大歓声が巻き起こり、それが終わると、場がしんと静まり返った。
「さて、最後は……僕だね」
彼はフィオナを兵士に命じて無理矢理立たせると、さらにもう一人の兵士に命じて、彼女の顔を無理矢理彼へと向けさせる。
彼はただ虚な表情で、まるで死人のような顔で、口を大きく広げて前を向いていた。
「よく頑張ったね……アストくん」
バルバロスは剣を引き抜きながら彼へと近づいていく。
「実はね、君にしたことは……ある"儀式"だったんだ」
そう語りながら、彼はアストの前に立った。
「必要なことだったんだよアストくん……まぁ、眉唾だからどうなるかは分からない。いろんな地域で試してるんだけど、結局どれも上手くいかなかった。おそらく、何か条件があるんだと……ああ、君には関係なかったね。とにかく安心したまえ。フィオナくんには手を出さない。というか、最初から手なんか出すつもりないんだよ」
「…………え?」
フィオナの声に、バルバロスは振り返る。
そして、ニヤッと笑った。
「君は、自分のことが分かっていない。自分自身がどういう存在なのかを知らないんだ。ま、無理もないね。そんなこと分かるはずもない。でも、そのうち分かるよ……嫌というほどに、ね」
意味の分からないその言葉に、フィオナはただ呆然としていた。
しかし、聡明な彼女は気づいてしまう。
ひょっとしてと、まさかと、そんなはずはないと、そう思いながら───
「わ、私の…………せい……なの…………?」
バルバロスはそれに、この日一番の邪悪な笑みで応えた。
「さぁ、フィナーレだ」
アストに向き直った彼は、その剣を両手で握り天へと向ける。
その構えに、フィオナの全身がビクッと動いた。
「待って……やめてくださいお願いします……やめて……なんでもしますッ! 私はなんでもするからッ……だからッ……だからアストをッ……アストを殺さないでぇッ!!」
「はは……フィオナくん、彼はもう……」
泣き叫ぶ彼女に背を向けたまま、バルバロスは両腕に力を込め───
「……とっくに、死んでるよ」
直後、嫌な音がした。
鋼が骨を砕く嫌な音。
そして、バルバロスは剣を収める。
その時、アストの頭蓋から、何かがぼとりとこぼれ落ちた。
「…………やるね。君だけだよ。本当に最後の最期まで……倒れなかったのは」
そう言って、バルバロスは振り返───
「……………………せん…………」
ビタリと、バルバロスの動きが止まる。
そして、ゆっくりと彼の方へ向き直った。
───その時。
「……ッ!」
目が合った。
間違いなく、彼はバルバロスを見ていた。
中身が、こぼれ落ちて尚。
「……君…………は……!」
バルバロスは恐怖した。
取り繕わず、誤魔化さず、ただただ恐怖した。
そして、それと同時に───
「君は……素晴らしいッ……!」
同じくらい、感動していた。
「ああ……こんな出会いになってしまったのが残念でならないッ! アストくんッ! 君は凄い人間だったッ……! 僕は生涯、君を忘れないだろう。本当に……本当に素晴らしい! だからこそすまない……君との約束を守れないことを、どうか許してほしい」
「…………や………………く……」
「そう……彼女を逃すことは出来ない。ただ! 丁重に……大事に扱うことは約束するッ! 乱暴なんか絶対しない! 彼女が平穏無事に生涯を過ごせるよう……君に代わって僕が彼女を守るよッ! 君にはもう守れないからねぇッ! 僕が代わりに……彼女を幸せにしてあげるッ!! だから……だから安心して……」
バルバロスの手がスッと伸びる。
彼はその手を見ていた。
自身に伸びる、その悍ましい手を。
「…………おやすみ、アストくん」
ドンッと、凄まじい衝撃が彼の身体を突き抜け、彼はまるで糸が切れた操り人形のように膝から崩れ落ちる。
うつ伏せに倒れた彼の胸には、大きな穴が空いており、そこから残り少なくなった血液がダラダラと溢れ出していた。
「や…………いやッ……やだ…………アストぉ……アストぉッ!! いやぁぁぁぁぁぁぁぁあッ!!!」
「何か噛ませて大人しくさせろ。強めに縛って動けないようにしておけ」
「はっ!」
その時───
「ごぽッ…………か……フ…………」
「こ、こいつまだ生きて……!」
兵士は剣に手をかけるが、それをバルバロスが手で制した。
「放っておけ。彼は耐えたんだ。一千……一回もね。くっくっくっ……うふっ……あははっ……あっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!! あー……じゃ、シャンディくん」
「はっ! 撤収!」
そうして、一つの地獄が終わった。
しかし、アストは見ていた。
変わり果てた姿で、もはや動くことのない身体で、連れ去られていく彼女の姿を。
遠のいて、ぼやけていく、愛する彼女のことをただひたすらにずっと。
そして、彼の世界は、暗闇に包まれた。
「───ん、契約成立」




