第26話:自己嫌悪
「ごふッ……あん……た……!」
「……俺は絶望を知っている。それも、本物の絶望を。それをあの野郎に返すまで俺は……殺し続けるだけだ」
深々と突き刺さったそれは、正確にリリアナの心臓部分を貫いていた。
その手応えを感じつつ、剣を引き抜こうとしたその時、彼の手をリリアナが掴んだ。
「ッ!」
アストはその手を振り払えなかった。
それは、物理的な意味でである。
「……あまっちょろいねぇ」
その強い力と笑い混じりの声に、思わず顔を上げた彼は見る。
片方の眉と口角を吊り上げ、歪んだ笑みを浮かべる、彼女の顔を。
「なッ!?」
直後、彼女は剣が刺さったままアストへと抱きつき、その身体を凄まじい力で締め上げる。
さらに───
「うッ!? こ、これ……は……!」
「……魔力が練れないだろう? 今、私の影があんたの身体に入り込んで、その邪魔をしてるのさ。つまり、あんたは今……魔術が使えないって訳だ」
「ッ! なん……で……!」
「ああ、私が平然としてる理由かい? そりゃ簡単な話さ。それはねぇ……」
「ッ!」
どろりと、彼女の顔が半分だけ、泥のように溶けていく。
さらに、手や足、胴体までもが溶け出し、アストの身体中を黒い影が覆い尽くした。
「分身体……!」
「"鏡の中の影法師"……文字通りの、影武者さ」
「さ、最初から……いや、あんたは間違いなく本物だった……!」
「気づかない筈がないって? そりゃそうさ……途中で入れ替わったんだからねぇ」
そう言われ、アストはハッとした表情を浮かべた。
「俺が振り返ったあの時か……!」
「ご名答だ」
ターニャの一撃を防いだ際、彼は振り返ってそれを受け止めている。
その一瞬の隙。
リリアナは、影で作った分身と己を入れ替えていた。
「私が堂々と姿を現したからねぇ……あんたは最大限に警戒し、私を探った。そうして免罪符を得た私は、隙を見て入れ替わる……ふふっ! 策もなしに身を晒すことは、魔術戦では下の下とされているからねぇ……だから、みんな最初は警戒するんだよ……で、結構決まるんだこれが」
「ぐッ!」
「だから言ったのさ……あまっちょろいねぇって」
全身に力を込め、必死に抜け出そうとするアストであったが、身体は完全に固定されており、微動だにしない。
「動けないだろう? 強化魔術も使えない今、あんたは自力で私を振りほどく必要がある訳だけど、影は動きの起点をがっちり抑えてる。脱出は不可能だよ。だから……次の攻撃も避けられない」
「ッ!?」
突如、上空に膨大な量の魔力を感知し、アストは空を見上げる。
そこに、赤く光る何かが見えた。
『やれ……ライリー』
『はっ!』
基地の上空。
本物のリリアナから指示を受け、浮遊魔術で空にいたライリーは、その全魔力を身体に纏わせ、地上へと向けて一気に加速し始めた。
「ちなみに言っとくが、さっきの爆発なんざ軽く凌ぐ威力だ。今のあんたじゃ……絶対に防げない」
「……ちっ」
強大な魔力が凄まじい速さで上空から迫る中、アストはただひたすら、自分自身に呆れ果てていた。
彼には、実戦の経験が一切ない。
あの空間で、それこそ数え切れない程の戦闘訓練を彼は悪魔たちと行ってきたが、そこに命のやり取りはなく、それらはどこまでいっても所詮は模擬戦。
やり直しはきかず、参ったも存在しない実戦というものに挑む覚悟が、彼には圧倒的に足りていなかった。
それは無論、リリアナたちとは比べるのもおこがましい程に。
「学んだ……筈だったんだけどな」
"あの時こうしていれば"という後悔を、彼は二度としないと心に誓っていた。
しかし、その誓いは守れず、"最初から本気を出していれば"という新たな後悔を生む結果に、彼は大きなため息をついた。
「落ち込んじまってるとこ悪いんだけど、そろそろお別れだ。あれを喰らって……死ななかった奴はいない」
ライリーは格闘術の達人であり、そんな彼が使う魔術は主に二つある。
一つは"硬化魔術"。
それは、鉄以上の硬度を身体に付与する魔術で、普段は硬化した腕で防御したり、殴る瞬間に拳を硬化させて攻撃力を高めているが、今彼は全身にそれを使用し、超高速で落下する鉄の塊となってアストに迫っていた。
そして、もう一つが"重化魔術"。
指定した対象の重量を増やすだけというこの魔術は、相手に使用することによってその動きを抑制したり、やはり攻撃の瞬間のみ発動して打撃の威力を高めたりと、使いどころこそ難しいが、はまれば絶大な威力を発揮する。
当然、彼は現在この魔術も同時に発動しており、二つを掛け合わせ、さらに落下の力も加えたその一撃こそが、彼が"曲がらず"のライリーと呼ばれるその所以であった。
「最後に言いたいことがあるなら聞いとくよ。ま、あと数秒の───」
「勝負はあんたらの勝ちだ。けど、勝敗は……悪いな」
すぐそこまで迫る風切音を聞きながら、半分だけになった分身体のリリアナの顔が、怪訝な表情を浮かべるのと同時、彼はため息混じりに呟いた。
「……代償を捧げる」
直後、凄まじい衝突音が、ガラバの街に鳴り響いた。
小型の隕石とも呼べるそれは、周囲にコの字型に建っていた兵舎を全て吹き飛ばし、さらには数百メートル離れた駐屯所本館の窓ガラスを全て砕きながら、建物本体にも無数のヒビを入れていく。
衝撃波は駐屯所の敷地内だけに収まらず、街全体を激しく揺らした。
そして、その中心では───
「なんッ!?」
「ばッ……馬鹿なッ……!」
リリアナとライリー、その両名の顔が、驚愕に歪んでいた。




